福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

僧行善、観音の助に依りて震旦より帰来れる語

2021-06-04 | 法話

今昔物語集巻十六「僧行善、観音の助に依りて震旦より帰来れる語 第一」 今昔、□□天皇の御代に行善https://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=&cad=rja&uact=8&ved=2ahUKEwiw7cWIoPDwAhW4wosBHb0-ARwQFnoECAQQAA&url=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F%25E8%25A1%258C%25E5%2596%2584&usg=AOvVaw2UYX6XOMleKjVy9CD8l-3Uと云ふ僧有けり。俗姓は堅部の氏、仏法を習ひ伝へしむが為に高麗国に遣す。然れば、行善、彼の国に至るに、其の国、他国の為に破られける時に當りて、国の人、皆王城の方に籠て、国に人無ければ、行善、騒ぎ迷て逃て行けるに、大なる河有り。其の辺に至て、河を渡らむと為るに、河深くして、歩にて渡る事能はず。此(かか)れば、「船に乗て渡らむ」と思て、船を求むるに、船も皆隠してければ無し。橋有りといへども、皆破りてければ、渡るべき様無し。而る間、「人や追て来らむずらむ」と思ふに、更に物思えず。 然れば、行善、為べき方無きに依て、破れたる橋の上に居て、只観音を念じ奉る間、忽に老たる翁、船をさして河の中より出来て、行善に告て云く、「速に此の船に乗て渡るべし」と。行善、喜て船に乗て渡ぬ。 即ち、下て陸にて見るに、翁も見えず、船も無し。されば、行善、「此れ観音の助け給ふ也けり」と思て、礼拝して願を発す。「我れ、観音の像を造奉て、恭敬供養し奉らむ」と誓ひて、其の所を遁れ去て、王城の方に行て、暫く隠れて有る程に、乱も静まりぬれば、「此の国に有ては、益無かりけり」と思て、其より伝はりて、唐に渡ぬ。 □□と云ふ人を師として法を学す。亦、願を発ししところの観音の像を造奉り供養して、日夜に恭敬し奉る事限無し。 其の時に、唐の天皇、行善を召して問はれけるに、彼の高麗にして河を渡る間の事共、聞き給ひて、行善を帰依し給ふ事限無し。亦、世に行善を「河辺の法師」と付たり。観音の化して河を渡し給たれば、其れを聞て云ふなるべし。 かくの如くして、唐に有る間、日本の遣唐使□□と云ふ人の帰朝しけるに付て、養老二年718と云ふ年、日本に返り来にけり。 行善、高麗にして、乱にあひて、河を渡らずなりし時、老翁来て船を渡せりし事共、具に語りけり。此の国の人、此れを聞て貴ぶ事限無し。其の観音の像をも具し奉て、此の国に返りて、興福寺に住して、殊に恭敬供養し奉けり。 此の国にては、老師行善とぞ云ひけるとなむ、語り伝へたるとや。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« コロナで困窮するインドのチ... | トップ | 秘密安心往生要集・・4/42 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

法話」カテゴリの最新記事