生きているといろいろなことが起こります。いわゆる「不幸」です。大般涅槃經・出曜経等では、八苦といって「生老病死、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五陰盛苦」を我々の「苦」として提示します、こういうとあまり生々しさが感じられませんが生の人生ではこれらの一つ一つの「苦」つまり現代語で言うと「不幸」がとんでもない生々しさ重さを伴って襲ってきます。そしてこの「苦・不幸」からは誰も遁れることはできません。大般涅槃經卷第二十二北涼天竺三藏曇無讖譯光明遍照高貴徳王菩薩品第十之二」にも「復次に善男子よ。菩薩摩訶薩、諸衆生を觀ずるに、色・香・味・觸の因縁を為すの故に、昔より無數無量劫より來かた常に苦惱を受ける。一一の衆生の一劫の中に積むところの身骨は王舍城毘富羅山の如し。飮む所の乳汁は四海の水のごとし。身より出すところの血は四海の水より多し。父母兄弟妻子眷屬の命終に哭泣して出す所の目涙は四大海より多し。盡地草木を四寸籌となし以って父母を数えるも亦た盡すあたわず。無量劫より來た、或は地獄畜生餓鬼にありて受くる所の行苦は稱げて計ふべからず。此の大地を揣じて棗等のごとくせんも、猶究極すべからず。生死盡すべからず。菩薩摩訶薩は是の如く深く一切衆生、欲の因縁を以ての故に苦を受けること無量なるを観ず。菩薩は是の生死行苦の故に念慧を失はず。」とあり、古来我々は無量の「苦」を受けてきたことが分かります。
昔、鈴木宗忠老師の提唱をよみうりホールでお伺いしたとき、千人の聴衆を見まわして老師は開口一番「ここからみると、皆さんはみな因果の博覧会じゃ」とおっしゃいました。まさにその通りでわれわれの人生は因縁因果の博覧会を演出しているのです。あらゆる家庭に因縁因果があり「不幸」があります。どんなに取り繕っても一族に何一つ問題のないという家はありません。それはそうでしょう、2の27乗は1,3421,7728となります。つまり27代前(約千年前に相当か)には今の日本の全人口同じ数の先祖がいたことになるのですから。これだけの先祖がいて全員が品行方正であったとは考えられません。その先祖の因縁因果をうけて、人生の「不条理」に「なぜ・・・」と泣くことになるわけです。
そこで先祖供養とか悪因縁払の加持祈祷をしてもらうことになります。
大師も「秘密曼荼羅十住心論」で「心病を治する法は大聖よくこれを説きたまへり。其の経はすなわち五蔵の法これなり。いはゆる五蔵とは修多羅・毘奈耶・阿毘達磨・般若・総持等の法これなり。(心の病を治す方法は仏がよくこれを説かれている。それは五蔵とよばれる教えである。すなわち経‣律・論・般若・陀羅尼等のおしえである。)
・・四蔵の薬は但し軽病を治して重罪を消すこと能わず。いわゆる重罪とは四重・八重・五逆・謗法等と一闡提とこれなり。醍醐のよく通じて一切の病を治すごとく総持の妙薬も良く一切の重罪を消し速やかに無明の株杌しゅごつを抜く。」とされ、真言によって重罪を清めるとされています。また特に光明真言が有難いと「光明真言袖鑑 (密厳)」には、「されば経軌のなかに光明真言の功徳を説ていはく、若しばらくもこの呪の声をきくものは十悪五逆四重の大罪も忽に消滅して初地の菩薩の位を得べし、若畜類ならばその業をめつして天上に生れあるひは人間に生ずべし、いはんや自らこれ(光明真言)を唱ふる功徳をや。もし信心をもてわずかに一遍誦する功徳は八万四千の一切経を読誦する功徳にもすぐれたり、・・」とされていたりします。
こうして加持祈祷をすることもありますが、必ずしも効験がすぐに顕れるとは限りません。
また顕れても元に戻ったりします。
なぜか、それは依頼人・修法者ともに機根・修業が昔に比べて劣るからです。
ここで思い出すのは「一人出家すれば九族(高祖父母・曽祖父母・祖父母・父母・自分・子・孫・曽孫・玄孫)天に生ず」という言葉です。出典は不明ですが禪籍によく出てきます。解説は「ここで出家というのは真の出家である」と出てきます。
逆に言うと形だけの出家よりは在俗であっても真の出家を遂げれば先祖は悪趣から解脱することができるということです。自分が「真の出家者」となれば「九族」は成仏するのです。ここで、真の出家者とはなにかといえば、六波羅蜜と十善戒を守ることです。檀波羅密・戒波羅密・忍辱波羅蜜・精進波羅蜜・禅波羅蜜、と、不殺生・不偸盗・不邪淫・不妄語・不綺語・不悪口・不両舌・不慳貪・不瞋恚・不邪見。これを守りさえすれば九族が地獄餓鬼畜生の悪趣から逃れ出て成仏できるということになります。逆にいえば自身が六波羅蜜・十善戒を守れなくて他人に先祖供養をまかせきりにしてもその効験はむつかしいということではないでしょうか。じぶんもこの考えにたどり着て随分楽になりました。昔はどのようにしてだれに先祖供養を頼むべきかと、悩んだ時期もありましたが、自分で自分を律して、自分を高めて仏様をどこまでも信じて六波羅蜜・十善戒を守った生活をすればそれが何よりの先祖供養・先祖の滅罪生善になるものだったのです。
ただ現実には六波羅蜜・十善戒を完全に守り通せませんから第三者の僧侶に祈願して助けてもらうことも必要になってきます。関係者・当人すべてが考えられるすべての手段を尽くして先祖供養を続ける事でしょう。それでだめなら以て瞑すべしです。