今朝も起きるとシジュウカラ、ハクセキレイ、それに残鶯の声まで聞こえてきました。人間界は霖雨やコロナの猖獗で地獄の中をさ迷っているというのに自然界はまるで昨年と変わらず「花紅柳緑」「鳥鳴花咲」を謳歌しています。
古来自然の美しさと人間界の無常は繰り返し詠じられてきました。
「年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず」(注1)、「國破れて 山河在り」(注2)、
「おごれる人も久しからず、 唯春の夜の夢のごとし」(注3)「都は野辺の夕雲雀、上がるを見ても・・」(注4)など・・。
此の自然界とは何であるか?何を表しているのか?と考えていると、一昨日、たまたま滝を描く千住博画伯が「滝は神様が無限の神秘のほんの一部を滝の形で出してくださっていると考えているのでその神秘を一生懸命描かせていただいている・・」と言っているのを見ました。
これを見て、そうだ自然界は霊界の一部を神仏が、自ら地獄に落ちこんでいる我々(注5)に、これが本来の霊界であると、これでもか、これでもか、と見せてくださっているのではないか、と思いました。
(注1)「白頭を悲しむ翁に代る(劉希夷)」
「洛陽城東 桃李の花。飛び来たり飛び去って誰が家にか落つ。洛陽の女兒、顏色を惜しみ。
行くゆく落花に逢いて長歎息す。今年花落ちて顏色改まり。明年花開いて復た誰か在る。
已に見る松柏の摧かれて薪と爲るを。更に聞く桑田変じて海と成るを。
古人また洛城の東に無く。今人還た対す落花の風。年年歳歳花相似たり。歳歳年年人同じからず。言を寄す全盛の紅顔子。応に憐れむべし半死の白頭翁。此翁、白頭、真に憐れむべし。
伊れ昔 紅顔の美少年。公子王孫、芳樹の下。清歌妙舞す 落花の前。光禄の池台、錦繍を開き、将軍の楼閣、神仙を画く。一朝 病に臥して相識無く。三春の行楽 誰が辺りにか在る。宛転、蛾眉、能く幾時ぞ。須臾にして鶴髪乱れて糸の如し。但だ看る古来歌舞の地、
惟だ黄昏、鳥雀の悲しむ有るのみ。」
(注2)「春望(杜 甫)」「國破れて 山河在り。城春にして 草木深し。時に感じて 花にも涙を濺ぎ。別れを恨んで 鳥にも心を驚かす。峰火 三月に連なり。家書 萬金に抵る。白頭掻いて 更に短く。渾べて簪に 勝えざらんと欲す。」
(注3)「平家物語」「祗園精舎の鐘の声。諸行無常の響きあり。 娑羅双樹の花の色、 盛者必衰の理をあらはす。 おごれる人も久しからず、 唯春の夜の夢のごとし。 たけき者も遂にはほろびぬ、 偏に風の前の塵に同じ。」
(注4)「応仁記(飯尾彦六左衛門尉常房)」「汝や知る 都は野辺の 夕雲雀。上がるを見ても 落つる涙は」
(注5)以前CNNで放送していた福音派の牧師は
「神様がいるなら何故コロナが流行るのか?」との問いに、「私たちは天国にいるのではない。地上にいるのです。」と答えていました。
仏教でいえば我々は「娑婆世界」「穢土」にいることをもう一度思い起こせということでしょう。「娑婆」とは「忍土」と訳されます。
古来自然の美しさと人間界の無常は繰り返し詠じられてきました。
「年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず」(注1)、「國破れて 山河在り」(注2)、
「おごれる人も久しからず、 唯春の夜の夢のごとし」(注3)「都は野辺の夕雲雀、上がるを見ても・・」(注4)など・・。
此の自然界とは何であるか?何を表しているのか?と考えていると、一昨日、たまたま滝を描く千住博画伯が「滝は神様が無限の神秘のほんの一部を滝の形で出してくださっていると考えているのでその神秘を一生懸命描かせていただいている・・」と言っているのを見ました。
これを見て、そうだ自然界は霊界の一部を神仏が、自ら地獄に落ちこんでいる我々(注5)に、これが本来の霊界であると、これでもか、これでもか、と見せてくださっているのではないか、と思いました。
(注1)「白頭を悲しむ翁に代る(劉希夷)」
「洛陽城東 桃李の花。飛び来たり飛び去って誰が家にか落つ。洛陽の女兒、顏色を惜しみ。
行くゆく落花に逢いて長歎息す。今年花落ちて顏色改まり。明年花開いて復た誰か在る。
已に見る松柏の摧かれて薪と爲るを。更に聞く桑田変じて海と成るを。
古人また洛城の東に無く。今人還た対す落花の風。年年歳歳花相似たり。歳歳年年人同じからず。言を寄す全盛の紅顔子。応に憐れむべし半死の白頭翁。此翁、白頭、真に憐れむべし。
伊れ昔 紅顔の美少年。公子王孫、芳樹の下。清歌妙舞す 落花の前。光禄の池台、錦繍を開き、将軍の楼閣、神仙を画く。一朝 病に臥して相識無く。三春の行楽 誰が辺りにか在る。宛転、蛾眉、能く幾時ぞ。須臾にして鶴髪乱れて糸の如し。但だ看る古来歌舞の地、
惟だ黄昏、鳥雀の悲しむ有るのみ。」
(注2)「春望(杜 甫)」「國破れて 山河在り。城春にして 草木深し。時に感じて 花にも涙を濺ぎ。別れを恨んで 鳥にも心を驚かす。峰火 三月に連なり。家書 萬金に抵る。白頭掻いて 更に短く。渾べて簪に 勝えざらんと欲す。」
(注3)「平家物語」「祗園精舎の鐘の声。諸行無常の響きあり。 娑羅双樹の花の色、 盛者必衰の理をあらはす。 おごれる人も久しからず、 唯春の夜の夢のごとし。 たけき者も遂にはほろびぬ、 偏に風の前の塵に同じ。」
(注4)「応仁記(飯尾彦六左衛門尉常房)」「汝や知る 都は野辺の 夕雲雀。上がるを見ても 落つる涙は」
(注5)以前CNNで放送していた福音派の牧師は
「神様がいるなら何故コロナが流行るのか?」との問いに、「私たちは天国にいるのではない。地上にいるのです。」と答えていました。
仏教でいえば我々は「娑婆世界」「穢土」にいることをもう一度思い起こせということでしょう。「娑婆」とは「忍土」と訳されます。