地蔵菩薩三国霊験記 1/14巻の3/9
三、西京の僧蔵観房祈求の生身の地蔵を拝し奉る事。(今昔物語巻十七願値遇地蔵菩薩変化語 第一にもあり)
中古西京の傍に住む僧あり。蔵観房と曰して古老の仁なりき。彼の仁、年来地蔵菩薩を信仰の行者にて侍りけるがいかにしてか、吾今生の間にまのあたり生身の地蔵菩薩を拝し奉らんと心肝に入りて思いけるほどに、五畿七道を遊行し諸国を環轉して地蔵菩薩の霊験の所を尋訪けり。此を聞く人々吹(わらひ)白しけるは思立玉ふ所は實にもやさしく貴く侍れども中々烏滸がましき事なり。争で今生にて生身の地蔵菩薩を値遇し申す事の叶ふべきとも思はれず。御聲を慥かに承ることだにもありがたしと云へども尚も本意を存じ停ずして漸く行くほどに常陸の國の或山蔭の麓にて日俄かに晩れけり。下賤の家に一宿を請て夜を明かしき。老婆侍りけり八旬にあまりたるが牛を飼けるが童を呼びて打事十棒、叫ぶこと限り無し。件の老婆彼の童子は月の二十四日に生れければとて地蔵と字す。父母に早く別れてまさに人の依怙なし。根性不調にして人の牛をも共に是飼故に己が牛が痩るとて日毎に如是に呵責を受けて哀めども更に懲(こり)けることなしとぞ白しける。彼の僧聞て若し彼の童子や我が尋る所の生身の地蔵にて在すやらん。菩薩の化義測るべからざる也。凢夫の身誰か其の境界を辨へんと思ひて漸く日暮て深更に及んで彼の僧あやしく思いける侭偏に地蔵の名号を唱奉りつつ終夜目邑ず丑の時ばかりに及びければ件の童子起挙って頭いまだ禿なるに身の邊明かにして月の薄雲の中を出るがごとく、恍惚たる光明ありて曰く、我は此の三年隨縁行の為に彼の家主に打たれき。客僧今夜値遇の縁を成す、求願成就せば吾則ち他の行を為すと曰て忽然として失玉ひぬ。夜明て件の嫗を尋るに同じく隠れて見ず。家内の人に事の由を問ふに更に以てさることなしと申しける。蔵観奇異の思ひをなして、我年来生身の地蔵尊を尋ね奉りき、今日忽ち感應ありて値遇し奉ることのありがたさよ、貴哉大聖大慈大悲の是微細なることよ。行者信心堅固にして生身を拝し奉るに何の疑念のあるべきとて、手を合わせて泣きける。此の始末を彼の僧人に向て語りける。真に以てありがたくぞ侍りぬ。凢そ地蔵菩薩願力自在にして機に應じ物を利す廣大菩提の覺路を啓き隠顕不測にして無碍神通の妙用を顕す。悲智併しながら行れて妨障なし。これを自在の願とす。願とは志求の義なり。惣じて自在に五種あり。一には壽命自在。謂く菩薩已に法身の慧命を成就して終に生死夭殤の愁なし。万劫を延れども長しとせず。一念に促(つつ゛)むれども短しとせず。諸の有情を度脱せんと欲するが為に諸の方便を以て機に随ひ時に應じて壽命長短の相を示す。其の心に礙る所なし。二には生自在。謂く菩薩方に「有情を度脱せんと欲するが為の故に大悲心を以て處に随ひ類に從って受生し、能く一切を饒益し天宮に處すれども快楽とせず。地獄に入れども苦患とせず。去往住去するに礙るところなし。三には業自在。謂く、菩薩乃し万行圓備し悲智双べ運で或は種々の神通を現じ、或は甚深の妙法を説き、或は禅定に入り、或は苦行を修し、所作の行業唯是利他の為に施設するに礙なし。四には覚観自在。謂く初心を覚と云ひ、細心を観と云ふ。菩薩或は禅定を修し観行を勤む。利生の心に思惟ありといへども諸の散乱を離れ及び伺察を忘れ願に随って度生するに平等にして礙なし。五には衆具自在。謂く菩薩固行深廣にして果報殊勝なり。一切所須の資具に於いて営むことを励まさずと云へども自然に満足して必ず乏染の礙なしと云ふ。寶積經の説明なり(大寶積經・遍淨天授記品第二十一「當知是菩薩得五種自在。何等爲五。一者壽命自在。二者生自在。三者業自在。四者覺觀自在。五者衆具果報自在」)。況亦地蔵經の中に三界所有四生五形変ぜざる所無し、志あらば生身の尊容を拝せんこと疑ふべからず。或現農人身の説、頼有り。所詮行人の心あるべし。