寶篋印陁羅尼と光明真言が亡者の廻向には最適とのこと
沙石集・弥勒行者事に、浄土宗の竹谷ノ乗願房という人が御所の御下問にこたえて、「亡魂の菩提には、寶篋印陁羅尼(注3)と光明真言が一番」と答えさらに「十悪五逆の罪人で地獄に落ちて助かる道のないものでも、その子孫が寶篋印陁羅尼を七辺唱えて廻向すれば、地獄は変じて八功德の池となり宝蓋が頭にのり蓮華が生じて罪人の足を受け極楽へ導く。光明真言を一遍唱えれば無量壽如來(阿弥陀如来)が魂に手をさずけて極樂世界ヘ引導し、十辺二十辺誦せば功德は無量。墓所で光明真言を四十九遍誦して廻向すれば、無量壽如來が霊を背負って極樂世界ヘ引導し給う。また光明真言で土沙を百八辺加持して墓所に聴聞らし、死骸にちらせば、土沙より光を放って霊魂を救って極樂に送る。」といっています(注1)。同じことは徒然草にもあります(注2)。余ほど人口に膾炙してたと見えます。
(注1)「沙石集・弥勒行者事」「醍醐ノ竹谷ノ乗願房ノ上人。淨土宗ノ明匠ト聞ヱキ。亡魂ノ菩提ヲ訪フニハ。何ノ法カ勝タルト。勅宣ノ下ダリケルニハ。寶篋印陁羅尼。光明眞言ノスグレタルヨシヲ奏シ申サル。門弟本意ナキ事ニ思テ。淨土門ノ師也。念佛コソ廣大善根也。無上功德也。何事ニ無下ニ不足アルマジキニ。他宗ノ利益ヲホメテ。我家ノ佛法ヲツギニせラルヽ事。シカルベカラズト申アヒケレバ。誠ニ念佛ニ衆德ヲ具足シテ。祈念ニ隨テ。願望ヲトグベキ道理ハ。都テ善根ノ德ナレバ。疑ナシ。何ノ法ニカ其益ナカラン。タヾシ十悪五逆ノ者徃生スト云モ。善知識ニ相テ。我ガ十念ヲ唱テコソ。來迎ニアヅカリ。極樂ニ生ズルコトナレ。寶篋印陁羅尼ハ。十悪五逆ノ罪人。悪道ニ墮テマヌカル
ルニ期ナキニ。其子孫アリテ。此神咒ヲワヅカニ七反滿テ。カノ亡魂ニ廻向スレバ。忽ニソノ洋銅熱鐵。變シテ。八功德ノ池トナリ。蓮華
生ジテ足ヲウケ。寶蓋イタヾキニ。トドマリテ。ソノ蓮飛ガ如クシテ。須臾ノ間ニ。極樂ニ生シテ。一切種智ヲ證ジ。位補處ニアリト。ヽカレタリ。光明眞言又儀軌ノ説ニ。地獄ニオチテ。苦患ニシヅム亡魂ニ。此ノ眞言一反ミテヽ廻向スレバ。無量壽如來。コノ魂ニ手ヲサヅケテ。
極樂世界ヘ引導シ給フ共トキ。况ヤ十二十反誦ぜン功德。量ルベカラズト説レタリ。又亡魂ノ墓所ニテ。コノ眞言ヲ四十九遍誦シテ廻向スレバ。無量壽如來。コノ霊ヲ荷負シテ。極樂世界ヘ引導シ給ト説キ。又經ノ中ニハ。コノ陁羅尼ヲミテヽ。土沙ヲ加持スル事一百八返シテ。コノ土沙ヲ墓所ニチラシ。死骸ニチラせバ。土沙ヨリ光ヲハナチテ。霊魂ヲ救テ極樂ニ送ルト説レタリ。念佛ニハコレ程ノ文證イマダ見及侍ラズ。道理アレトモ文證無事ハ奏シ難シ。佛法ニ偏頗アルベキ事ナケレバ。自他宗ト。ヘダツベキニ非ズ。念佛ノ中ニモ分明ナル文證アラバ。追テコソ奏シ申サメト。申サレケルト承リ傳ヘタリ。・・」
(注2)徒然草・第二百二十二段にも「 竹谷乗願房、東二乗院へ参られたりけるに」として、「竹谷の乗願房、東二乗院へ参られたりけるに、『亡者の追善には、何事か勝利多き』と尋ねさせ給ひければ、『光明真言・宝篋印陀羅尼』と申されたりけるを、弟子ども、『いかにかくは申し給ひけるぞ。念仏に勝る事候ふまじとは、など申し給はぬぞ』と申しければ、『我が宗なれば、さこそ申さまほしかりつれども、正しく、称名を追福に修して巨益あるべしと説ける経文を見及ばねば、何に見えたるぞと重ねて問はせ給はば、いかゞ申さんと思ひて、本経の確かなるにつきて、この真言・陀羅尼をば申しつるなり』とぞ申されける。」と同じ内容があります。
(注3)寶篋印陁羅尼「のうまく しっちりや じびきゃなん さらば たたぎゃたなん おん ぼびばんばだばり ばしゃり ばしゃたい そろ そろ だらだら さらばたたぎゃた だどだり はんどま ばんばち じゃやばり ぼだり さんまら たたぎゃた たらましゃきゃら はらばりたなう ばざら ぼうじまんだ りょうぎゃらりょうぎりてい さらばたたぎゃた じしゅちてい ぼうだやぼうだや ぼうじぼうじ ぼうじゃぼうじゃ さんぼうだに さんぼうだや しゃらしゃらしゃらんと さらばばだに さらばはんだびぎゃてい ころころ さらばしゅきゃびぎゃてい さるばたたぎゃた きりだや ばざらに さんばらさんばら さらばたたぎゃた ぐきや だらんじ ぼじり ぼでいそぼでい さらばたたぎゃた じしゅちた だどぎゃらべい そわか さんまやじしゅちてい そわか さらばたたぎゃた きりだや だどぼだり そわか そはらちしゅちたさとべい たたぎゃたじしゅちてい ころころ うんうん そわか おん さらばたたぎゃた うしゅにしゃ だどぼだらに さらばたたぎゃたんさだと びぼしたじしゅちてい うんうん そわか」
沙石集・弥勒行者事に、浄土宗の竹谷ノ乗願房という人が御所の御下問にこたえて、「亡魂の菩提には、寶篋印陁羅尼(注3)と光明真言が一番」と答えさらに「十悪五逆の罪人で地獄に落ちて助かる道のないものでも、その子孫が寶篋印陁羅尼を七辺唱えて廻向すれば、地獄は変じて八功德の池となり宝蓋が頭にのり蓮華が生じて罪人の足を受け極楽へ導く。光明真言を一遍唱えれば無量壽如來(阿弥陀如来)が魂に手をさずけて極樂世界ヘ引導し、十辺二十辺誦せば功德は無量。墓所で光明真言を四十九遍誦して廻向すれば、無量壽如來が霊を背負って極樂世界ヘ引導し給う。また光明真言で土沙を百八辺加持して墓所に聴聞らし、死骸にちらせば、土沙より光を放って霊魂を救って極樂に送る。」といっています(注1)。同じことは徒然草にもあります(注2)。余ほど人口に膾炙してたと見えます。
(注1)「沙石集・弥勒行者事」「醍醐ノ竹谷ノ乗願房ノ上人。淨土宗ノ明匠ト聞ヱキ。亡魂ノ菩提ヲ訪フニハ。何ノ法カ勝タルト。勅宣ノ下ダリケルニハ。寶篋印陁羅尼。光明眞言ノスグレタルヨシヲ奏シ申サル。門弟本意ナキ事ニ思テ。淨土門ノ師也。念佛コソ廣大善根也。無上功德也。何事ニ無下ニ不足アルマジキニ。他宗ノ利益ヲホメテ。我家ノ佛法ヲツギニせラルヽ事。シカルベカラズト申アヒケレバ。誠ニ念佛ニ衆德ヲ具足シテ。祈念ニ隨テ。願望ヲトグベキ道理ハ。都テ善根ノ德ナレバ。疑ナシ。何ノ法ニカ其益ナカラン。タヾシ十悪五逆ノ者徃生スト云モ。善知識ニ相テ。我ガ十念ヲ唱テコソ。來迎ニアヅカリ。極樂ニ生ズルコトナレ。寶篋印陁羅尼ハ。十悪五逆ノ罪人。悪道ニ墮テマヌカル
ルニ期ナキニ。其子孫アリテ。此神咒ヲワヅカニ七反滿テ。カノ亡魂ニ廻向スレバ。忽ニソノ洋銅熱鐵。變シテ。八功德ノ池トナリ。蓮華
生ジテ足ヲウケ。寶蓋イタヾキニ。トドマリテ。ソノ蓮飛ガ如クシテ。須臾ノ間ニ。極樂ニ生シテ。一切種智ヲ證ジ。位補處ニアリト。ヽカレタリ。光明眞言又儀軌ノ説ニ。地獄ニオチテ。苦患ニシヅム亡魂ニ。此ノ眞言一反ミテヽ廻向スレバ。無量壽如來。コノ魂ニ手ヲサヅケテ。
極樂世界ヘ引導シ給フ共トキ。况ヤ十二十反誦ぜン功德。量ルベカラズト説レタリ。又亡魂ノ墓所ニテ。コノ眞言ヲ四十九遍誦シテ廻向スレバ。無量壽如來。コノ霊ヲ荷負シテ。極樂世界ヘ引導シ給ト説キ。又經ノ中ニハ。コノ陁羅尼ヲミテヽ。土沙ヲ加持スル事一百八返シテ。コノ土沙ヲ墓所ニチラシ。死骸ニチラせバ。土沙ヨリ光ヲハナチテ。霊魂ヲ救テ極樂ニ送ルト説レタリ。念佛ニハコレ程ノ文證イマダ見及侍ラズ。道理アレトモ文證無事ハ奏シ難シ。佛法ニ偏頗アルベキ事ナケレバ。自他宗ト。ヘダツベキニ非ズ。念佛ノ中ニモ分明ナル文證アラバ。追テコソ奏シ申サメト。申サレケルト承リ傳ヘタリ。・・」
(注2)徒然草・第二百二十二段にも「 竹谷乗願房、東二乗院へ参られたりけるに」として、「竹谷の乗願房、東二乗院へ参られたりけるに、『亡者の追善には、何事か勝利多き』と尋ねさせ給ひければ、『光明真言・宝篋印陀羅尼』と申されたりけるを、弟子ども、『いかにかくは申し給ひけるぞ。念仏に勝る事候ふまじとは、など申し給はぬぞ』と申しければ、『我が宗なれば、さこそ申さまほしかりつれども、正しく、称名を追福に修して巨益あるべしと説ける経文を見及ばねば、何に見えたるぞと重ねて問はせ給はば、いかゞ申さんと思ひて、本経の確かなるにつきて、この真言・陀羅尼をば申しつるなり』とぞ申されける。」と同じ内容があります。
(注3)寶篋印陁羅尼「のうまく しっちりや じびきゃなん さらば たたぎゃたなん おん ぼびばんばだばり ばしゃり ばしゃたい そろ そろ だらだら さらばたたぎゃた だどだり はんどま ばんばち じゃやばり ぼだり さんまら たたぎゃた たらましゃきゃら はらばりたなう ばざら ぼうじまんだ りょうぎゃらりょうぎりてい さらばたたぎゃた じしゅちてい ぼうだやぼうだや ぼうじぼうじ ぼうじゃぼうじゃ さんぼうだに さんぼうだや しゃらしゃらしゃらんと さらばばだに さらばはんだびぎゃてい ころころ さらばしゅきゃびぎゃてい さるばたたぎゃた きりだや ばざらに さんばらさんばら さらばたたぎゃた ぐきや だらんじ ぼじり ぼでいそぼでい さらばたたぎゃた じしゅちた だどぎゃらべい そわか さんまやじしゅちてい そわか さらばたたぎゃた きりだや だどぼだり そわか そはらちしゅちたさとべい たたぎゃたじしゅちてい ころころ うんうん そわか おん さらばたたぎゃた うしゅにしゃ だどぼだらに さらばたたぎゃたんさだと びぼしたじしゅちてい うんうん そわか」