以前妻が立川より帰り道、道端で顔を真っ赤にして泣いている幼子とその子に向かって必死に手話をしている若い母親をみて胸が詰まったという話をしたことがあります。幼子は何かを訴えようとして顔を真っ赤にして泣いていたのでしょう、その子の訴えをなんとかしてやりたいと必死になっている母親のすがたが瞼に浮かび自分も切なくてたまらなくなりました。
夕勤行のとき、なんとかこういうかたがたが幸せになりますようにと祈りましたが、ふと気が付くといつも読んでいる薬師如来本願功徳経に「・・第六大願、願わくは我来世に菩提を得る時、もし諸事情により諸根不具醜陋頑愚盲聾瘖瘂攣躄背僂白癩癲狂種々病苦のものは、我が名(おんころころせんだりまとうぎそわか)を聞けば一切皆、端正結黠慧にして諸根完具し無諸疾苦ならん。」とあるのを再発見し一生懸命読みました。お薬師様はこういう生来の疾患も「おんころころせんだりまとうぎそわか」と、その御名を呼べば助けて下さるというのです。
・また「壺阪霊験記」も思い出します。生来盲目の沢市が観音様の霊験を被り目が空く話です。
「・・頃は如月、中空や、はや明け近き雲間よりさつと輝く光明につれて、聞ゆる音楽の音も妙なるその中に、いとも気高き上藹の姿を仮に観世音。微妙の御声うるはしく「いかに沢市承れ。汝前世の業により盲目となつたり。しかも両人ながら、今日に迫る命なれども、妻の貞心または、日頃念ずる功徳にて、寿命を延ばし与ふべし。この上はいよいよ信心渇仰して、三十三所を順礼なし、仏恩報謝なし奉れ。コリヤお里お里沢市沢市」と宣ふ御声もろともに、かき消すごとく失せ給へばはや晨朝の鐘の声四方に響きて明け行く空、ほのぼの暗き谷間には、夢とも分かぬ二人とも、むつくと起きて「ヤこなたは沢市つあん。アヽ、コレこちの人。お前の眼が明いてあるがな」「エヽ、アノ、ほんにコリヤ眼が明いてある。オヽ、眼が明いた。眼が明いた。眼が明いた。眼が明いた。眼が明いた。眼が明いた。チエヽ観音様のお陰。ありがとうござります。」とあります。
・四国遍路でも不可能と思われた小児麻痺が治癒した話があります。
「日本巡礼記集成」の中のn尼の手記によると昭和55年5月45番岩屋寺奥の院で小児麻痺により20年間動かなかった女性の手が行場へ登ろうとして鎖に手をかけた途端に動くようになったということです。「不思議はいまも新たなり」です。其処の所を抜粋しておきます。「昭和55年5月12日、四国88所巡拝に(美代ちゃんという19歳の女性、小児まひで左腕が上に上がらず左足も不自由、が)お母さんと参加され3日目に45番岩屋寺に着きました。そしてセリ割禅定に美代子ちゃんも上げようとして下から押したり、上から引っ張ったりしても、美代ちゃんの腕は上がらず、鎖も握れませんでした。それでもなおも下からと上からでひっぱいあげてやっと岩の頂上に着きました。一同よかったよかったと悦びあっていたとき、突然美代ちゃんが『先生手が動いた』というのです。『あっ』みんな驚いて美代ちゃんを見ました。するとあの2歳から変形し硬直して動かなかった左手の指五本のうち三本が動くようになっていて、さらに腕が上下に動いているのです。みんなただただ目を見張っているばかりです。やがて感動の涙と御寶号が皆の口から一斉にあふれ出ました。とりわけお母さんもとめどなく涙を流しつついつまでも『南無大師遍照金剛』を唱え続けました(日本巡礼記集成)」とあります。自分でもここを書き写すたびに涙が止まらなくなります。
拝み込むとこういう人知を超えた不思議が起こるのです。この立川の若い母親にも・・・と願わずにはおれません。
夕勤行のとき、なんとかこういうかたがたが幸せになりますようにと祈りましたが、ふと気が付くといつも読んでいる薬師如来本願功徳経に「・・第六大願、願わくは我来世に菩提を得る時、もし諸事情により諸根不具醜陋頑愚盲聾瘖瘂攣躄背僂白癩癲狂種々病苦のものは、我が名(おんころころせんだりまとうぎそわか)を聞けば一切皆、端正結黠慧にして諸根完具し無諸疾苦ならん。」とあるのを再発見し一生懸命読みました。お薬師様はこういう生来の疾患も「おんころころせんだりまとうぎそわか」と、その御名を呼べば助けて下さるというのです。
・また「壺阪霊験記」も思い出します。生来盲目の沢市が観音様の霊験を被り目が空く話です。
「・・頃は如月、中空や、はや明け近き雲間よりさつと輝く光明につれて、聞ゆる音楽の音も妙なるその中に、いとも気高き上藹の姿を仮に観世音。微妙の御声うるはしく「いかに沢市承れ。汝前世の業により盲目となつたり。しかも両人ながら、今日に迫る命なれども、妻の貞心または、日頃念ずる功徳にて、寿命を延ばし与ふべし。この上はいよいよ信心渇仰して、三十三所を順礼なし、仏恩報謝なし奉れ。コリヤお里お里沢市沢市」と宣ふ御声もろともに、かき消すごとく失せ給へばはや晨朝の鐘の声四方に響きて明け行く空、ほのぼの暗き谷間には、夢とも分かぬ二人とも、むつくと起きて「ヤこなたは沢市つあん。アヽ、コレこちの人。お前の眼が明いてあるがな」「エヽ、アノ、ほんにコリヤ眼が明いてある。オヽ、眼が明いた。眼が明いた。眼が明いた。眼が明いた。眼が明いた。眼が明いた。チエヽ観音様のお陰。ありがとうござります。」とあります。
・四国遍路でも不可能と思われた小児麻痺が治癒した話があります。
「日本巡礼記集成」の中のn尼の手記によると昭和55年5月45番岩屋寺奥の院で小児麻痺により20年間動かなかった女性の手が行場へ登ろうとして鎖に手をかけた途端に動くようになったということです。「不思議はいまも新たなり」です。其処の所を抜粋しておきます。「昭和55年5月12日、四国88所巡拝に(美代ちゃんという19歳の女性、小児まひで左腕が上に上がらず左足も不自由、が)お母さんと参加され3日目に45番岩屋寺に着きました。そしてセリ割禅定に美代子ちゃんも上げようとして下から押したり、上から引っ張ったりしても、美代ちゃんの腕は上がらず、鎖も握れませんでした。それでもなおも下からと上からでひっぱいあげてやっと岩の頂上に着きました。一同よかったよかったと悦びあっていたとき、突然美代ちゃんが『先生手が動いた』というのです。『あっ』みんな驚いて美代ちゃんを見ました。するとあの2歳から変形し硬直して動かなかった左手の指五本のうち三本が動くようになっていて、さらに腕が上下に動いているのです。みんなただただ目を見張っているばかりです。やがて感動の涙と御寶号が皆の口から一斉にあふれ出ました。とりわけお母さんもとめどなく涙を流しつついつまでも『南無大師遍照金剛』を唱え続けました(日本巡礼記集成)」とあります。自分でもここを書き写すたびに涙が止まらなくなります。
拝み込むとこういう人知を超えた不思議が起こるのです。この立川の若い母親にも・・・と願わずにはおれません。