(華厳では「理」「事」というが「理」は「個別・表面にあらわれたもの・色即是空の色」。「理」は「ものごとの奥に在る原理・色即是空の空」をあらわす。 )
華厳思想を了解するに、いくらかの基礎用語と云ふべきものを知らなくてはならぬ。一は「事」、今一つは「理」です。「事」は「個」「特殊」「具体」「原子」などの義です。「理」はこれに反対するものを意味する。即ち「全」「一般」「抽象」「原理」などの義です。いままでの仏教用語でいえば「事」は分別・差別、「理」は無分別・平等などです。般若経典では「色」と「空」といひます。「色」は「事」に、「空」は「理」に相応する。またこれを西洋哲学に当てれば、「事」は「形体フォルム」で「理」は「質料マター」となるのでせう。キリスト教の言葉にすればいくらかの留保条件をつけて、「空」を「神ゴッド」に、「事」を「個己エゴ」に見てよろしいとおもいます。それから独逸哲学では「事」「色」を「特殊」とし、「理」「空」を「一般」とします。
・・華厳の法界観を理解する助けとして、十面の鏡を東西南北の八方と上下とに据え付ける喩がよく用ゐられます。十個の鏡はこれで球形をなすのですが、その中心点に一燈の光をおきます。するとこの光は鏡面に一一映りなす。その一鏡を取ってみますと、其の面には残りの九鏡の一々が中央の光を自らに映したままにして、そこに映っているのみならず、その一々の鏡面には今取り上げているその鏡がそこに映っている光と共に亦映っているのです。即ち九鏡の一々がその一鏡に映って居り、その一鏡が亦九鏡のいずれにも映ってゐます。さうしてそれは個々の鏡だけでなく全体がまた一団となって互いに映りあって居ます。
華厳の法界観をこのやうに鏡に喩へてみると一々の事事が自己の上によく全を容れて、又よく他己の上に全と共に摂せられる模様が髣髴するのです。
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