非暴力
エム・ケー・ガンヂー
福永渙訳(青空文庫)
人が非暴力であると主張する時、彼は自分を傷けた人に對して腹を立てない筈だ。彼はその人が危害を受けることを望まない。彼はその人の幸福を願ふ。彼はその人を罵詈しない。彼はその人の肉體を傷けない。彼は惡を行ふ者の加ふるすべての害惡を耐忍ぶであらう。かくして非暴力は完全に無害である。完全な非暴力は、すべての生物に對して全然惡意を有たぬことだ。だから、それは人間以下の生物をも愛撫し、有害な蟲類や動物までも除外しない。それ等の生物は、吾々の破壞的性癖を滿足させるように作られてゐるのではない。若し吾々が造物主の心を知ることさへ出來たならば、吾々は造物主が彼等を創造した意義を發見するだらう。故に、非暴力はその積極的形式に於ては、すべての生物に對する善意である。それは純粹の愛である。私が印度經の諸聖典や、バイブルや、コーランの中に讀むところのそれだ。
非暴力は完全なる状態だ。それは全人類が自然に無意識に動いて行く目標である。人は無辜の人間となることが出來ても、神にはなれない。ただその場合彼は眞の人間になるだけだ。現在の状態では、吾々は半人半獸である、然るに、吾々は無智傲慢にも、人類の目的を完全に果してゐると誇稱し、暴力に答ふるに暴力を以てし、それがために必要な憤怒の度合を増大する。吾々は復讐が人類の法則であることを信ずるかのやうに裝うてゐるが、どの經典にも復讐が義務であるとは書いてゐない。ただそれは許容さるべきものだとなつてゐるだけだ。義務的なのは抑制である。復讐は念入りに調整する必要があるところの我儘である。抑制は人間の法則だ。何となれば最高の完成は、最高の抑制がなくては達せられないからだ。從つて、受難は人類の徽章である。
目標はいつでも吾々から逃げて行く。進歩が大きければ大きいほど、吾々の無價値の認識も深くなる。滿足は目的の達成にあるのではなく、努力の中にあるのだ。十分なる努力は十分なる勝利だ。
故に、私はこの際特に自分が目的から遠ざかつてゐることを認めてゐるけれども、私にとつて完全な愛の法則は、生存の法則である。私はやる度に失敗するが、その失敗によつて私の努力は一層決然たるものになるのだ。
しかし、私は國民議會やキラフアツトの組織を利用してこの最後の法則を説かうとしてゐるのではない。私は自分の限界を知り過ぎるほど知つてゐる。私はかかる企てが失敗の運命をもつてゐることを知つてゐる。男女の集團全體に同時にこの法則を遵守させようとするのは、その働きを知らないからだ。が、私は國民議會の演壇からこの法則の結論を説く。議會やキラフアツトの組織に採用されてゐるのは、この法則が包含するところのものの一斷片に過ぎない。眞正の運動者があれば、短時日の間に、人民の大多數に、その限られたる適用の方法を實施することが出來る。その小範圍の[#「小範圍の」は底本では「小範團の」]適用は、全體への試みと同樣に滿足なものでなければならぬ。一滴の水も、分析者にとつては、湖全體の水と同じ結果を與ふる筈である。私の兄弟に對する私の非暴力の性質は、宇宙に對する私の非暴力の性質と相違があつてはならぬ。私が自分の兄弟に對する愛を宇宙全體に擴げる時に、それは同じ滿足な試みでなければならぬ。
特別な實行は、その適用が時と場所に限られる時は、政略となる。だから、最高の政略は十分な實行である。政略としての正直は、それが續く間は、信條としての正直と變りがない。正直を政略として信じてゐる商人は、正直を信條として信じてゐる商人と同じ尺度と同じ品質の反物を賣るであらう。この二人の相違は、政略的商人は支拂ひを受けない時に正直を抛棄するが、信條としてゐる方は、たとひ彼がすべてを失ふとも、正直を續ける點にある。
非協同者の政治的非暴力も、多くの場合に於て、この試練に耐へ得ない。そこで爭鬪が永引くのだ。何人も強情な英國人の性質を非難せぬがよい。彼等の最も堅い筋力は、愛の火の中で熔解しなければならぬ。私はそれを知つてゐるから、自分の立場から驅逐されることは出來ない。英國人若くはその他の人々に反響がない場合は、火が若し幾らかあるにしても、それが十分強くないのだ。
吾々の非暴力は強くなければならぬ必要はないが、本當のものでなければならぬ。吾々が非暴力を主張する限りは、英國人や我同國人中の協同者に害を與へようと思つてはならぬ。ところが吾々の大多數は今まで加害の意志を有つてゐたのだ。そして吾々がその實行を抑制した理由は、吾々が弱かつたためか、若くは物質的な加害を單に抑制するといふことが、吾々の宣誓の成就にあたるといふ無智な信念からである。吾々の非暴力の宣誓は、將來の復讐の可能を排斥する。吾々の或る者は、不幸にも、單に復讐の日を延期してゐるかのやうに見える。
私を誤解してはいけない。私は、非暴力の政策が、その政策を抛棄する時にも、復讐の可能を排斥するとは云はない。けれども、それは爭鬪が首尾よく終結を告げた後では、將來の復讐の可能を最も強く排斥する。だから、吾々が非暴力の政策を追求してゐる間は、吾々は英國の行政者や彼等の協同者と積極的に親善を保つ義務がある。印度の或る地方では、英國人や有名な協同者は歩くのが危險であつたといふ話を聞いた時に、私は耻しく思つた。最近のマドラスの集會で起つた不名譽な光景は、非暴力の完全な否認であつた。議長が私を侮辱したと思つて、彼をその席から引下ろした人々は、自分自身とその政策を辱めたのだ。彼等は彼等の友人であり援助者であるアンドリユース氏の心を痛めたのである。彼等は自分たちの主義を傷けたのだ。若し議長が私を無頼漢だと信じたとすれば、彼はさう云ひ得る立派な權利があつたのだ。無智は憤怒を起させない。非協同者は最も眞面目な憤怒をも耐へ忍ぶやうに誓はせられてゐる。私が無頼漢らしく振舞ふならば、憤怒があるだらう。それはあらゆる非協同者を非暴力の誓ひから解放するに十分であるといふこと、又どの非協同者も私の生活が彼を誤つた方へ導きつつあるのだと考へても正しいだらうといふことを、私は承認する。
かかる制限された非暴力の養成すらも、多くの場合に不可能かも知れない。人民が何もしてゐないのに、自己の利益を無視してまで、敵に害を與へようと思はぬやうにと、彼等に期待してはならないのかも知れない。さうだとすれば、吾々は、吾々の爭鬪に關して、「非暴力」といふ言葉を正直にさつぱりと棄てなければならぬ。しかし、それだからと云つて、直ぐ暴力に頼つてはならない。それでは、人民は非暴力の訓練を受けたと云ふことが出來ないであらう。その場合、私のやうな人間はチヨーリ・チヨーラ事件の責任を負ふ義務を感じないであらう。限られた非暴力の流派は、尚ほ曖昧のうちに繁榮し、今日のやうな責任の恐しい重荷を負ふ者はなくなるであらう。
けれども、若し非暴力がその公正と人道の名のために國民の政策として持續されなければならぬとすれば、吾々は文字通りに、且つその精神を酌んで、それを實行する義務がある。
そして、若し吾々がそれを遂行しようと思ひ、且つそれを信ずるならば、吾々は、速かに英國人や協同者と和解しなければならぬ。吾々は、彼等が吾々の中にゐても絶對に安全を感じ、たとひ吾々が思想や政策の上で急進的な別の流派に屬してゐるとしても、彼等が吾々を友人と見做すことが出來るやうに、彼等の信任を得なければならぬ。吾々は吾々の政治的演壇へ榮譽ある賓客として彼等を歡迎せねばならぬ。吾々は彼等と中立的壇上に於て會見せねばならぬ。吾々は、かかる會合の方法を案出せねばならぬ。
吾々は他の人々と同じやうに、吾々の仕事によつて判斷を下さるべきである。スワラジの達成にとつての非暴力の綱領は、非暴力の方針によつて吾々の諸問題を取扱ふ能力を意味する。それは服從の精神を諄々と説くことを意味する。暴力の福音だけを理解するチヤーチル氏は、愛蘭問題は印度のそれと性質が違ふと云つたが、全くそれは本當である。彼の語の意味は、暴力によつて自治への道を鬪つて來た愛蘭は、それを維持するにも、必要によつては暴力をもつてこれを能くすることが出來ようと云ふのだ。一方印度は、若し實際に非暴力によつて自治を獲たとすれば、主として暴力的手段でそれを維持しなければならぬ。これは、印度がこの主義の明白な表示によつてそれを實證するのでなければ、チヤーチル氏はその可能を信ずることが出來ない。かかる表示は、非暴力が社會に浸潤して、團結的生活(政治上の)をなす人々が非暴力と感應するにあらずんば、換言すれば、現在の武官のやうに文官が優勢となるにあらずんば、不可能である。
故に、非暴力的手段によるスワラジは混沌や無政府の介在を意味しない。非暴力による自治は進歩的な平和革命で、限られた團體から人民の代表者への權力の推移が、恰度よく發育した樹木から十分に成熟した果實が落ちるやうに自然でなければならぬ。私は更に云ふが、かかる事はその達成が全く不可能であるかも知れない。しかし、私は非暴力の意味するところは、何ものにも優つてゐることを知つてゐる。そして若し、現在の運動者がかかる比較的な非暴力の雰圍氣を作ることに成功する可能を信じないならば、彼等はその非暴力の綱領を棄てて、性質の全然異つた他の綱領を立つべきである。若し吾々が、結局吾々は武力によつて英國から權力をもぎ取ることになるだらうといふ考を心に保留して吾々の綱領に近づくならば、吾々は非暴力の宣誓に不忠實である。
若し吾々が吾々の綱領を信ずるならば、吾々は英國人が確かに武力に從順であるやうに、愛情の力にも從順であることを信じなければならぬ。これを信ぜざる者にとつては、立法會議は數世紀に亙る彼等の重苦しい屈辱の要領を學ぶ學校、若くは、恐らく世界が未だ嘗つて目撃しなかつた急激な流血革命を學ぶ學校である。私はさういふ革命に加はらうとは思はない。私はそれを促進するための道具になりたくない。卑見によれば、當然の歸結として非協同を伴ふところの非暴力か、妥協的な協同――即ち障碍を伴ふ協同への復歸か、そのいづれか一つを選ぶべきであると思ふ。
(一九二二年三月九日「ヤング・インデイア」紙所載。)