「観音の霊験」中根環堂(昭和初期の教育家、曹洞宗僧侶。鶴見大学理事長・校長、駒沢大学学長)その3
「牛込高等女学校 臼井マサ女史の観音霊験
「自分は若い教員の頃、雪中を生徒の家庭訪問をしたことがもとでチフスに罹り絶体絶命となった。入院していた金沢病院の院長は母に『娘さんはとても助からない』と告げた。母は闇夜に卯辰山の観音様にお参りした。山麓の川で身を清め一気に卯辰山にのぼり祈願した。一方このころ自分は医者にも見放され一人でベッドに人事不省で横たわっていたが、誰かに呼ばれた気がして気が付いた。その後母が病室に帰ってきたときは「お母さん」と元気な声が出て母は驚いた。母に聞くと気が付いた時間は母が祈願した瞬間であった。その後、上京して高校を興すことになったが、当初はわずか三人の生徒であった。しかし五年後には500人となった。全生徒には残らず観音経を持たせている。父母は「先祖の命日には娘がお経を読んでくれる:」といって感謝されている。卒業生は「お嫁に行けば苦しい事・死んでしまいたいこともあるが観音様の教えを思い出し、艱難辛苦こそ喜びのもとであると考えて気を取り直すことが出来ます。在校中に教わった信仰のお話の賜物であります」という。弱き女よ、汝の護りとなるものはただ悟りへの道があるだけである。これを私は女子教育のモットーとしたい」
「牛込高等女学校 臼井マサ女史の観音霊験
「自分は若い教員の頃、雪中を生徒の家庭訪問をしたことがもとでチフスに罹り絶体絶命となった。入院していた金沢病院の院長は母に『娘さんはとても助からない』と告げた。母は闇夜に卯辰山の観音様にお参りした。山麓の川で身を清め一気に卯辰山にのぼり祈願した。一方このころ自分は医者にも見放され一人でベッドに人事不省で横たわっていたが、誰かに呼ばれた気がして気が付いた。その後母が病室に帰ってきたときは「お母さん」と元気な声が出て母は驚いた。母に聞くと気が付いた時間は母が祈願した瞬間であった。その後、上京して高校を興すことになったが、当初はわずか三人の生徒であった。しかし五年後には500人となった。全生徒には残らず観音経を持たせている。父母は「先祖の命日には娘がお経を読んでくれる:」といって感謝されている。卒業生は「お嫁に行けば苦しい事・死んでしまいたいこともあるが観音様の教えを思い出し、艱難辛苦こそ喜びのもとであると考えて気を取り直すことが出来ます。在校中に教わった信仰のお話の賜物であります」という。弱き女よ、汝の護りとなるものはただ悟りへの道があるだけである。これを私は女子教育のモットーとしたい」