「高野春秋」に「(寛平七年895)冬十二月十三日、無空師、具支灌頂を聖寶師に受く」
無空師は真然の弟子、第2代金剛峰寺座主。
「今昔物語巻十四第一話 為救無空律師枇杷大臣写法花語」には比叡山の僧として以下のように出てきます。
「今昔、比叡の山に無空律師と云ふ人有けり。幼くして山に登て、出家して後、身に犯す所無し。亦、心正直にして、道心深かりければ、然れば、僧綱の位まで成にけれども、遂に現世の栄花名聞を永く棄てて、後世の菩提を偏に願ふ。此れに依て、本山に籠居て、念仏を唱るを業として怠る事無し。此れ、一生の間の勤也。亦、常に衣食に乏くして、更に憑む方無し。何に況や、房に一塵の貯へ有らむや。而るに、律師、銭万を自から得たり。其の時に律師の思はく、「我れ死なむ時に、弟子共必ず煩ひ有りなむ。然れば、此の銭を、人に知らしめずして隠し置て、没後の料に宛てむ。只死なむ時に臨みて、弟子共に告げ知らしめむ」と思て、房の天井の上に、窃に隠し置つ。其の後、弟子共、敢てかの事を知らず。
而る間、律師、身に病を受て悩み煩ふ間、此の銭隠し置たる事を忘れて、弟子共に告げ知らせずして、遂に死ぬ。
其の時に、枇杷の大臣と云ふ人在ます。名をば仲平と云ふ。此の人、彼の律師と年来師檀の契り深くして、万事を憑て過ぎ給ひける間、律師の失せたる事を、殊に歎き思ひ給けるに、大臣の夢に、律師、衣服穢気に、形貌衰へ弊くして、来て云く、「我れ、生きたりし時、偏に念仏を唱ふるを以て業として、『必ず極楽に生れむ』と思ひしに、我が身に貯へ無かりしに依て、『没後に弟子共に煩ひ有りなむ』と思ひて、銭万を没後の料に宛てむが為に、房の天井の上に隠し置たりき。『死なむ時に臨て、弟子共に告知せむ』と思給ひしに、病に煩ひし間、其の事忘れて告げずして死にき。今に其の事を知る人無し。己れ、其の罪に依て、蛇の身を受け、銭の所に有て苦を受くる事量無し。己れ、生たりし時、君と契を成す事深かりき。願くは、君、彼の銭を尋ね取て、法花経を書写供養して、我が苦を救ひ給へ」と云ふと見て、夢覚ぬ。
其の後、大臣、歎き悲て、忽に使をば遣らずして、自ら山に登て、律師の房に行て、人を以て天井の上を見しめ給ふに、実に夢の告の如く銭有り。銭の中に、蛇、銭を纏て有り。人を見て逃去ぬ。大臣、房に有る弟子共に、此の夢の告を語り給へば、弟子共、此れを聞て、泣き悲む事限無し。
大臣、京に返て、忽に此の銭を以て、法花経一部を書写し供養し給ひき。其の後、程を経て、大臣の夢に、彼の律師、法服鮮にして手に香炉を取て来て、大臣に向て云く、「我れ、君の恩徳に依て、蛇道を免るる事を得て、年来の念仏の力に依て、今極楽に参れる也」と云て、西に向て飛び去ぬと見て、夢覚ぬ。
其の後、大臣、喜び貴び給て、普く世に語るを、聞き継ぎて、語り伝へたるとや。」