第十一 機根不同章(「真言宗義章」真言宗各派聯合法務所編纂局 1916)等より・・12
(真言行者には僧俗を問わず、一生に成仏する「正機」の者と、何度も生死を繰り返して成仏する隔生成仏の者(これを「結縁の機」という)の二類あるが、結縁の機であろうとも生きているうちに一密でも修行すれば必ずいずれかの世には成仏できる)
凡そ真言の機根に、正機・結縁の二類あり。正機といふは二密相修一生成仏(身・口の二密を修して一生の間に成仏する)の人なり。是を上智上根の人といひ、又は機教相応門の機根ともいふなり。結縁といふは一見曼荼羅挙手低頭の輩なり。一密二密を修するに至るまで総じて隔生成仏(何度も生死を繰り返して成仏する)の人にしてこれを下根下智結縁の人といひ、又は教益甚深の人ともいふなり。たとえ三密双修すれども或は疑惑の為に一生成仏すること能はざるものあり。是れまた結縁成仏なり。真言の機根はこの二類出でざるなり。真言の教法は一門普門種々の差別あれども何れも皆三密平等一生成仏の法門にて、これは出家の法門、これは在家の法門とて別々の法門には非ず。大日経所説の会坐には沙門・婆羅門、出家・在家等しく羅列して聞法得益ありと見られたり。此の上にて正機・結縁の不同あることゆえ正機・結縁の不同は出家・在家に通じてあるなり。出家にも正機と結縁あり、在家にも正機と結縁あり。凡そ正機・結縁の不同は行者自身の宿殖善根の厚薄によりて分るるものにして若し宿殖深厚の者ならば出家は出家のままにて三密相応し、宿善開発して一生成仏し、在家は在家のままにて治生産業を営みながら三密相応し、宿善開発して一生成仏するなり。若し 宿殖微薄の者ならば出家在家共に一密二密の功により教益甚深の力に引かれて彼の顕教の行者の如く久しく三大阿僧祇劫を経ることなく二生三生等の中には必ず三密相応宿善開発の時至り、速やかに成仏することを得るなり。吾ら未だ神通を得ざれば過去も知らず未来も知らず、過去を知らざるがゆえに吾が宿善根の厚薄を知ること能わず、未来を知らざるが故に当来成仏の時節を知ること能わず。されば唯だ現在において密教知遇の宿縁を歓びてこの三密の法門において諦信決定して(身口意のうち)一密にもあれ二密にもあれ精進修行するにしかざるなり。