福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

「夢」の力

2014-01-11 | 法話

本田圭佑は 大阪・摂津市立鳥飼北小の卒業文集で「Wカップで有名になって、ぼくは外国から呼ばれてヨーロッパのセリエAに入団します。そして、レギュラーになって10番で活躍します。」と記しその通りに夢を果たしました。
夢の力は今更ながらに凄いと驚かされます。

我々仏教徒はお参りの時必ず四句誓願をとなえます。 「衆生無辺誓願度、 煩悩無盡誓願断、 法門無量誓願学、仏道無上誓願成」です。

この最初の「衆生無辺誓願度」が特に仏教徒の究極の「夢」であると、鈴木大拙は西田幾太郎にあてた手紙(1901、1、21)で書いています。

「自分は近頃、「衆生無辺誓願度」のことがわかってきたように思う。大乗仏教がこの「衆生無辺誓願度」を四句誓願の最初に掲げているのは、人類が生存していく為の究極の目的を示していると思う。無辺の衆生を救うことができなければこの人生半銭の値打もないのである。・・本当の安心は衆生無辺誓願度をねがうところにのみある。この「夢」を離れて外に個人が安心できることはないのである。・・自分はじめて四句誓願を聞いたときは「煩悩無尽誓願断」が第一に来てその次に「衆生・・」が来るのが当然と思ったが、今にして考えれば大いに間違いであった。、「衆生無辺誓願度」のために「煩悩無尽誓願断」であり、もし第一の「衆生無辺誓願度」の願がなければ煩悩は何の為に断ずる必要があろうか。いや煩悩を断じ得るのは実に「衆生無辺誓願度」という願い(夢)があるからである・・・」
(原文・・予は近頃「衆生無辺誓願度」の旨を少しく味ひ得るやうに思ふ、一句を四誓願の劈頭にかかげたるは、直に人類生存の究竟目的を示す、げに無辺の衆生を教ふべきなくんば、この一生何の半文銭にか値ひすとせん、・・・真誠の安心は衆生無辺誓願度に安心するにあり、これを離れて外に個人の安心なるものあることなし、・・予は始めて四句の願を聞きしとき、「煩悩無尽誓願断」が第一に来てその次に「衆生・・」が来るのが当然と思いなりき、今にして之を考ふれば予は大いに誤まれり、「衆生無辺誓願度」のために「煩悩無尽誓願断」なり、もし第一願なくば煩悩何が為に断ずる必要あらん、否、煩悩を断じ得る最条件は実に度衆生の願にあり、・・・)

お大師様も「衆生尽き、虚空尽き、涅槃尽きなば我が願いも尽きなん」とおっしゃって奥の院に入定されています。
この夢は見果てぬ夢ではありますが、しかしこの夢を持ち続ける限り、諸仏善神から無限のお助けを頂けることも古今東西の聖者が証明されているところでもあります。
自分も求聞持という難行を「衆生無辺誓願度」の掛け軸をかけて祈ることにより成満できました。

我々がしなくてもいい苦労をするのはこの「夢」を忘れて「まず自分が助かりたい」という願いが強すぎるからではないかと思うこの頃です。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 今年は四国八十八所御開創千... | トップ | 福聚講 今日の言葉  »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

法話」カテゴリの最新記事