見果てぬ夢「衆生無辺誓願度」
嶋野榮道師「禅僧ひとりニューヨークに立つ、愛語の力」に感動的な場面があリます。先輩千崎如玄師がアメリカにいたとき永らく預かって世話をしていた精神障害児を嶋野師が施設に何十年ぶりかで訪ねたときその児が「しゅじょうむへんしぇいがんど」とだけ言えるようになっていたというのです。千崎師が子守唄代わりに何度もその児におしえたのでしょう。嶋野師は書いています。
「これが祈りの力というものです。・・ジミーは私を千崎師と勘違いしたようでした。私を見るなり、延びない手を一生懸命伸ばしてよだれをたらしながらなにかをしゃべりかけてきました。耳を近つけてきいていると最後に「しぇいがんど」というのが聞こえました。「誓願度」のつもりでしょう。その言葉を聴いた途端全身に鳥肌が立ちました。それまで私自身何千回何万回「衆生無辺誓願度」と唱えてきたか分かりません。しかしあのときのジミーの口からでた「しぇいがんど」くらいズーンと響くものはあとにも先にもきいたことがありません。」
障害児ジミーはまさに「しぇいがんど」のなかに代受苦の菩薩として衆生の苦を自ら代わって引き受けていることをのべていたのです。
嶋野榮道師「禅僧ひとりニューヨークに立つ、愛語の力」に感動的な場面があリます。先輩千崎如玄師がアメリカにいたとき永らく預かって世話をしていた精神障害児を嶋野師が施設に何十年ぶりかで訪ねたときその児が「しゅじょうむへんしぇいがんど」とだけ言えるようになっていたというのです。千崎師が子守唄代わりに何度もその児におしえたのでしょう。嶋野師は書いています。
「これが祈りの力というものです。・・ジミーは私を千崎師と勘違いしたようでした。私を見るなり、延びない手を一生懸命伸ばしてよだれをたらしながらなにかをしゃべりかけてきました。耳を近つけてきいていると最後に「しぇいがんど」というのが聞こえました。「誓願度」のつもりでしょう。その言葉を聴いた途端全身に鳥肌が立ちました。それまで私自身何千回何万回「衆生無辺誓願度」と唱えてきたか分かりません。しかしあのときのジミーの口からでた「しぇいがんど」くらいズーンと響くものはあとにも先にもきいたことがありません。」
障害児ジミーはまさに「しぇいがんど」のなかに代受苦の菩薩として衆生の苦を自ら代わって引き受けていることをのべていたのです。