福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

「苦」を抜くためには周囲に「振動」を与えること

2023-06-26 | 法話

「苦」を抜くためには周囲に「振動」を与えること

 

1,(量子力学でも現実の苦は空であるとしていること。)量子力学の正統的な考え方は、ボーアが提唱したコペンハーゲン解釈です。これは観測結果のみがすべてであり、その背後に実在など存在しないといいます。観察する我々とは独立に観察対象が存在するのではない、世界は我々がそれをどう見るかに応じて出現するという考え方です。

2,(仏教経典でも繰り返し苦は空と説かれてきたこと。)

・唯識の基本思想は「三界は虚妄にして但だ一心の作るところ」(華厳経二十五十地品「三界虚妄、但是心作、十二縁分は是皆心に依る」)であり、

・般若心経の冒頭には「観自在菩薩、深般若波羅蜜多を行ぜし時、五蘊は皆空なりと照見して、一切の苦厄を度したまえり」として諸法は空であるから苦は救われるとされています。

3,(現実には理論のみでは救われないこと)しかし現実に深刻な人生苦に突き当たって苦悩の最中にいるとき、こういう量子力学の考えにより「現実はない、見方次第だ」と思ってみてもまた心経の「五蘊皆空」と「瞑想」してみても一向に現実の苦悩から救われないことも事実です。

4,(ひも理論によると振動が世界をかえること)ここで再度最新の理論物理学に戻ると、相対性理論と量子力学をつなぐ理論「超ひも理論」という学問が出てきています。これは簡単に言うと、物質の最小構成単位である素粒子は、大きさを持たない「点」ではなく「ひも」であるという考えです。そしてこの「ひも」は振動し、その振動の仕方の違いが種々の素粒子として現れていると考えられています。つまり素粒子の振動の仕方が世界を作っているということになります。『碧巌録』(第三十七則)の「渓声は便ち是れ広長舌、山色豈に清浄身に非らざらんや」もこれを指しているのかもしれません。

5,(ひも理論はとっくに大師が提唱されていたこと)これを人生に敷衍すると、我々の深い人生苦が救われるためにはなんらかの「振動」を自他に与えなくてはならないということでしょう。

大師の「声字実相義」では「五大皆有響」と喝破されています。(大日経疏巻七「如来の一一の三昧門の声字実相は有仏無仏法として是の如くなるが故に」とあるのをうけた)。

大師は大日経疏の思想に基づいて、声字がそのまま実相であると主張されているのです。まさに超弦理論の先取りでしよう。

6,(利他行などにより苦から救われる理由はひも理論からも納得できること)

問題はこれをどう実行に移して苦から救われるかということです。大師の「御請来目録」には「苦空の因を済(すく)ふは利他なり。空しく常楽を願うも得ず。徒(いたずら)に抜苦を計れどもまた難し。必ずまさに福智兼ねて修し、定慧並べ行じて、いましよく他の苦を救い、自の楽を取るべし。(弘法大師「御請来目録」)

」(空の世界にいながら苦しむ衆生の苦の原因を救ってやるのは「利他」である。常楽だけを願っても得られず、衆生済度のみを願っても難しい。必ず利他という徳を積む福行と,自己の悟りを完成するための智行を共に修行し、また禅定行と智慧行を共に修行してはじめて自利利他行が全うできる。)(弘法大師「御請来目録」)とあります。これは利他行により世界に「振動」をあたえれば苦を抜くことができる、ということを示されていると思われます。また実際に熱心な祈願により苦を逃れえたとするこの福聚講での多くの例示もこういう祈願や善行により「振動」を自他に与えたからと理論つけられます。自分で読経祈願するときは、声を出すこととも言われます。これも「振動」をより強く起こすためと考えれば納得できます。また写経やボランテアなどの種々の「行」にはげむことも「振動」を周囲に与えて世界を変えることになるためいずれは苦を抜くことができる、とわかります。

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