第二章、第八、所説の法門(説かれていること)
大日如来は三世常恒に三密平等の法門を説きたまふ。・・弘法大師この法身平等の義を釈し「法身の三密は纖芥に入れどもせまからず、大虚に亙れども寛からず、瓦石草木を簡ばず、不人天鬼畜を擇ばず、何の處にか遍せざる、何物をか攝せざらん」(『吽字義』、ここは大師が梵字の『ま』字を解説されたところ。法身の身口意の三密は宇宙至る所に遍在しているとされる)
如来の身心の様に一切衆生の身心の自体も平等一味で一切所に遍ずるが、(衆生は)無明煩悩のためにその自体を知ることができない。此の平等の身心の実性を説くのが大日経である。・・吾らは赤子が慈母の懐にいてしかも母を忘れているように、われらは如来のまごころの真ん中にいながら或は悲しみ、或は迷うている。密教にいう法身佛は宇宙法界に遍在する絶対の真理である。・・この絶対の法身如来に帰命し、この生死を捨てて如来常住の生を得る・・
大日如来は三世常恒に三密平等の法門を説きたまふ。・・弘法大師この法身平等の義を釈し「法身の三密は纖芥に入れどもせまからず、大虚に亙れども寛からず、瓦石草木を簡ばず、不人天鬼畜を擇ばず、何の處にか遍せざる、何物をか攝せざらん」(『吽字義』、ここは大師が梵字の『ま』字を解説されたところ。法身の身口意の三密は宇宙至る所に遍在しているとされる)
如来の身心の様に一切衆生の身心の自体も平等一味で一切所に遍ずるが、(衆生は)無明煩悩のためにその自体を知ることができない。此の平等の身心の実性を説くのが大日経である。・・吾らは赤子が慈母の懐にいてしかも母を忘れているように、われらは如来のまごころの真ん中にいながら或は悲しみ、或は迷うている。密教にいう法身佛は宇宙法界に遍在する絶対の真理である。・・この絶対の法身如来に帰命し、この生死を捨てて如来常住の生を得る・・