福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

浄土教と密教(栂尾祥雲)・・・その3

2014-10-16 | 法話
西方十万億土に実在する浄土へ往生するための念仏も、最初はその阿弥陀仏の形相なり、相好なり、実相なりを、思念し憶念することが主要であったのだあるが、支那における善導大師が「無量寿経」における「乃至十念」の文を称名念仏と解し、念仏のなかではこの称名念仏が最もおこないやすく、効果的であるとの見地から、盛んにこれを鼓吹し、勧説するに及び、この称名念仏が浄土往生の正因正行でその他のことは助行であり、難行にすぎないとせらるるに至ったのである。わが国における浄土教のごときもこの善導大師の称名念仏を継承し、これをもって極楽往生の正因正行としているのである。

弘法大師の後、平安末期より鎌倉にかけてわが国に浄土教が成立したのであるから、勿論、それは大師の予想せられなかったところであり、その教判中に、これが包括せられておらぬのは、当然のことである。しかし、日本浄土教の源泉ともいふべき、善導系の浄土教は、すでに古くから支那に伝播し、大師が入唐せられたる当時も、この善導系の浄土教を継承せる法照の五会念仏などがさかんに行われ、また、不空三蔵の門下たる飛錫が密教
思想や天台思想などの上から、この浄土思想を摂取し、「念仏三昧寶王論」などを著して、浄土念仏を鼓吹しておったのであるから、大師も親しくこれに接せられたことを想像しうるのである。

跳錫の念仏思想は普佛普敬の見地より一切衆生を未来佛としてこれを憶念し、礼拝し、西方極楽浄土を願生しながらも、これを是心是佛の観照浄土と見、全く密教の曼荼羅思想と一致するのであるから、大師はこれを密教と同一視せられしことは明らかである。しかも法照などの善導系の浄土念仏思想を、いかに見、いかに扱はれたかといふことである。

これを弘法大師の教判思想から考ふるに、その当時、この善導系の浄土思想が、わが国に伝わっておらなかったのであるから、ことさらこれを取り立てて説明する必要もなく、随って、大師は之をあらはにとりあつかわれなかったけれども、これを密教の見地からするとき、西方極楽浄土の教主たる阿弥陀如来は大日所來の一徳、一方面をつかさどる仏で、密教においてはかの不空三蔵が「この仏を無量寿如来と名ずける。浄妙佛國においては、成仏の身を現じ、雑染の五濁世界に住しては、すなわち、観自在菩薩となる。」といへるごとくに、時としては阿弥陀すなわち無量寿如来と、観自在菩薩とを同視するのである。
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