「宇井伯寿・唯心の実践」より
「佛教に於いてもっとも重要なる実践は空観であろう。観はいうまでもなく実践を指すに外ならにから、空観といえば如何にも実践にのみ関係してる如くであるが実際は必ずしもそうとのみはいえない。一方に於いては仏教者の実際生活上凡て固執的欲望の対象を厭離する点に関係して進んでは実践的観心の禅定三昧から発達した点を見逃すをえないが、
同時に他方においては理論的考察の結果、不変固定の実体を容認するを得ない点から起こって学説の根拠となって居るといえるのである。・・空観の真の理解は自ら空にならねば到底得られる所ではないことになる。空の考えを述べている論書が常に難解と称せられるのは一には・・その空を概念的に把握せんとのみ試みるが為である。・・・仏教の見方に於いては、一切は色と心とのいずれかに分類せらるるとすれば、空観は色をも空、心をも空となす・・・色心を等分に対等視するものである。・・・心本色末でも色本心末でも唯識でも唯境でも凡て否定し尽さねば空観たるを得ないのである。空観は外的に見られる色と心との対立を無みするのみならず、外的客観と内的主観との他立をも無みせられ、相対的事と絶対的理(現象と真理)との対立すら全く無みせらるるのである。然し三昧禅定の場合で知られる如く色心を空というのは色心を事実的に破壊して虚無ならしめんとするのではなくして行者の見方を改変せしむる観心であって行者をして色心の彼岸に覚悟入証せしめそこを立場と為す見方を体現せしめんとする方便手段である。この色心の彼岸を一心と名け、唯一心と呼び、唯心と称する。従って唯心は全く実践である。・・・」
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