福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

大乗起信論その・その37

2023-09-06 | 諸経

分別發趣道相とは、謂く一切諸佛所證の道に、一切菩薩が發心・修行・趣向する義なるが故なり。發心を略説すれば三種あり。云何爲三。一は信成就發心。二は解行發心。三は證發心。
覚りを求める道を解説するとは曰く、一切諸仏がかって実現した覚りに向けて一切の菩薩達が発心・修行・趣向するという意味である。この発心には3種ある。1は信心の成就を通じて覚りへ向けて発心するもの。2は予備的な修行道を通じて発心すること。第3は法身を体得して起こす発心。

信成就發心とは。何等の人に依り何等の行を修し信成就を得て能く發心に堪うるや。
所謂る不定聚衆生によるなり。熏習・善根力の故に、業果報を信じて能く十善を起こし、生死苦を厭うて無上菩提を欲求し、諸佛に値うことを得て、親承し供養して信心修行す。一萬劫を經て信心成就するが故に諸佛菩薩が教えて發心せしめ、或いは大悲を以ての故に能く自ら發心し、或は正法滅せんと欲すに因って、護法の因縁を以て能く自ら發心す。是の如く信心成就して發心を得たる者は、正定聚に入り畢竟不退なるを、如來種の中に住して正因と相應すと名ずく。(このうち信心の成就により発心することとは、どんな人に関する者でまた如何なる修行によって信心を成就し、発心することが可能となるのか?
それは則ち、まだ覚りへ向けての実践の後戻りしないことが確定していない段階の衆生に関わるものである。彼らは熏習・善根力の故に、かって積んだ善根の効果により業の果報のあることを信じ、十善業を修め、業の果報を信じて能く十善を起こし、生死苦を厭うて無上菩提を欲求し、諸仏に逢うことができ、そば近く仕えて諸仏を供養することによって信心を養う。)


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