地蔵菩薩三国霊験記 1/14巻の9/9
九、和州吉野郡尼公地蔵尊を造る事。
大和國吉野郡に往年の化他師あり。其の名を祥蓮坊と申しける。化他門を好て是を習ひ彼を宗としけるほどに行業尤も緩怠なりけり。齢七旬に及びければ覚ず音曲滞りけるほどに化他も空しくなりぬ。餘の事に重き病を受て終に空くなりぬ。其の後三年に及びけるに後室の尼公の夢に遥かなる山路に行く更に日の光もなし。忽ち日暮て夜三更に及びける。侭に詮方なく岩の下に宿れり。自ら暁を待つ。然るに旁に幽かなる音にて悲泣せり。さなきだに物涼(すさま)じき山中に覚束なくも漸(やや)聞くに故祥蓮坊の音あんり。尼公立ち寄りて何にかやと問ひける。祥蓮答て曰、吾施を受けし罪により今の業果を招くことの哀れさよ、日夜の苦輪止ことなし。されどもせいぜいに地蔵尊を信じ奉る功力によりて三度つ゛つ来現ありて我が苦に代り皈り給ふなり。且亦吾に一首の和歌を示さる。其の歌に云く、
「人も無き 深山隠れに 唯獨(ひとり)哀れ其の身は 幾世経ぬらん」
是の如くこそ示し玉へと語りつつ涙を流し申すと思へば夢覚めぬ。尼公あさましく思ひて早く佛工を請じて御長三尺に地蔵の像を造り奉り幷に法華経一部を書寫し奉る。川の上(ほとり)日蔵房の別處に就いて開眼供養を伸て弔ひ申しける。其の後尼公の夢に大徳悦びて曰、此の善力によりて彼の苦界を出て天上に生を得たり。付して願くは追善の力によりて西方の浄刹に望みありとぞ申すも果てぬに夢覚にけり。尼公若しや又見ることもありやせんとて寝けれども妄想にもありて好相はなかりき。所謂十王經の中に亡人を哀れみ言はく、諸經の中に於いて法華経を造れ、竜女海を出て無垢に成道すと云々(仏説地蔵菩薩発心因縁十王経「第九都市王の廳、亡人を哀みて言はく、諸經の中に於いて法花経を造るべし、龍女海を出て無垢にして成道す。諸佛の中に於いては阿弥陀仏を造るべし、光明遍く照らし熱寒の苦を除きたまふ」)。是即ち周忌追福の法式を説き玉ふ文なり。造法花とは諸經の中に於いて至極の甚深の奥蔵、三世の如来證得し玉ふ所なり。忝くも久遠實成の都を出させ玉ひ浄飯摩耶を父母とし八相の化儀を施し玉ふも唯此の一大事の因縁の故なり。されば受持読誦解説書寫の五種の修法又は五種の行に拘はらず行住坐臥常に法花を信念し自然に法花三昧に入る。是を一行三昧と名くなり。或は略して經題を挙るに玄に一部を収むとも智者大師は釈し玉へり。一々文金色の佛躰なれば一句一文片言も皆當に佛の福となるべきこと何の疑ひかあるべき。且霊山會上の列にて御座ます地蔵薩埵いかでか疎忽にし玉ふべきや。偏門の士敢へて疑難を為すことなかれ。
地蔵菩薩霊験記巻一終