今日は「かね起し」(正月十六日)
「年中行事覚書・柳田国男」「正月松の内は仏いじりはせぬようにしている。それを新たに始めるので、十六日は意味があったように思われる。中国四国のかなり広い区域では、この日を仏の正月といい、あるいはまた「念仏の口あけ」ともいっている。これに対する「念仏の口止め」は、多くの地方では暮の二十五日ごろであった。九州の島々には、正月十六日を鉦起しという例がある。この鉦もまた念仏のために叩くもので、日は少しずつちがっても、近畿地方にも正月第一回の念仏講を、鉦はじめというのは通例である。
淡路の島では十六日を「真言始め」といい、鉦はこの日までは鳴らしてはならぬことになっていた。越後の東蒲原の山村にも同じ日を後生始めといい、前年十一月からこの前日まで、鉦を叩かぬ習わしがある。沖繩の農村でも同じ日をミイグショウ、すなわちまた新後生にいごしょうの日といって、新ぼとけのために燈籠を上げた。東京でこの日をオサイニチと呼び、あるいは餓鬼の首だの地獄の釜の蓋などという名が各地にあるのも、正月仏事を抑制していた名残に他ならぬと思う。」