福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

自分の根は霊界にあることを実感

2011-01-31 | れわれはどこから来たのか われわれは何者
最近折に触れて自分の根も霊界にあることを実感することがあります。「阿字(梵字のア)の子が 阿字の古里 立ち出でて 又立ち帰る 阿字の古里」(弘法大師ご詠歌)
といいますが、霊界に根をもっている、霊界がふるさとといったほうが自分にはよりピンときやすいのです。自分も理屈では「阿字本不生」といいますが「故郷は霊界にありそこから出稼ぎにきている」とおもったほうが分かり易いことはたしかです。

ただこういうことは最近になって実感し始めたことで今までもこういう言葉は無数に見てきましたが体で感じることはできませんでした。体で感じることの不思議さを噛みしめています。

霊界が故郷と思えば現世であだやおろそかなことはできません。霊界での立場を辱めることになるからです。

先般Tさんから「輪廻はあるか、自分は年なので・・・」という質問をうけました。このように具体的に切羽詰った質問をうけるとこちらも真剣に考えました。そして自分や、自分の両親などのケースで具体的に考えてみました。するとやはり霊界に根を持っていると考えたほうが納得しやすいのです。転生しているとしても霊界にも根をもっており供養するとその根を通じて転生先にもと届くと考えると救われるのです。さらに霊界を含め、いたるところに先祖の魂はあると考えるとより救われる気がします。

要は1人の人の魂は1つではなく無数にあるのではないかと思うのです。まさに「千の風」ならぬ「千の魂」です。

ひとつとおもっているのは唯識でいう前五識(眼、耳、鼻、舌、身、意)のみでその下にある未那識、阿頼耶識、阿摩羅識は身体に固定されているものではないとおもうのです。
(未完)
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