夢中問答集(無窓疎石)より・・・3
「真言の加持と禅宗の祈祷
問。真言宗には苦厄をやむる加持門あり。禅宗はかやうの利益欠けたりと難ずるひと有。そのいわれありや?
答。密宗は十界の凡衆、本位をあらためず。全くこれ大日如来也とす。しかれば賢愚貴賤の勝劣もなし。禍福苦楽の差別もあるべからず。何をか祈り、なにをか求むべきや。しかれどもいまだこの真理に達せざる人を誘引せむために、有相の悉地を明かせり。かやうの方便をば教門に譲るゆえに、禪門には直に本分を示すのみなり。もし本分に到りぬればもとより生死の相なき事を知る。乃これ真実の延命の法なり。 災殃の相を見ず。乃これ真実の息災なり。貧福の相を離れたり。乃これ真実の増益なり。怨敵とて厭ふべき者もなし。乃これ真実の調伏なり。憎愛の隔てもなし。乃これ真実の敬愛なり。もしこの理を信ずる人は禅宗には苦厄をやむる利益欠けたりと難ずべからず。
真言の加持門と申すも、世の常、行ずる息災増益等の加持門は愚人を引導する方便なり。衆生の全体、六大・四曼具足して大日覚王と無二無別なりといへども、愚人これを知らざるゆへに、如来方便を垂れて三密の加持にて現はさしむるを、真実の加持とは申す也。・・
「真言の加持と禅宗の祈祷
問。真言宗には苦厄をやむる加持門あり。禅宗はかやうの利益欠けたりと難ずるひと有。そのいわれありや?
答。密宗は十界の凡衆、本位をあらためず。全くこれ大日如来也とす。しかれば賢愚貴賤の勝劣もなし。禍福苦楽の差別もあるべからず。何をか祈り、なにをか求むべきや。しかれどもいまだこの真理に達せざる人を誘引せむために、有相の悉地を明かせり。かやうの方便をば教門に譲るゆえに、禪門には直に本分を示すのみなり。もし本分に到りぬればもとより生死の相なき事を知る。乃これ真実の延命の法なり。 災殃の相を見ず。乃これ真実の息災なり。貧福の相を離れたり。乃これ真実の増益なり。怨敵とて厭ふべき者もなし。乃これ真実の調伏なり。憎愛の隔てもなし。乃これ真実の敬愛なり。もしこの理を信ずる人は禅宗には苦厄をやむる利益欠けたりと難ずべからず。
真言の加持門と申すも、世の常、行ずる息災増益等の加持門は愚人を引導する方便なり。衆生の全体、六大・四曼具足して大日覚王と無二無別なりといへども、愚人これを知らざるゆへに、如来方便を垂れて三密の加持にて現はさしむるを、真実の加持とは申す也。・・