還暦を過ぎて多くの「生死」を見てきました。「われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか」とはゴーギャンの言葉ですが自分にとっても痛切に感じられることばです。多くの人からも質問を受けます。仏教用語では「父母未生以前本来の面目如何」とでもなりますか・・・これを今の自分の境涯から探求してみました・・・。
最初に、今の時点での結論は「わわれわれは『心=佛=衆生』からきた。われわれは『心=佛=衆生』であり、われわれは『心=佛=衆生』に帰るとなります。いいかえるとわれわれは「宇宙(佛、衆生)」から「心」を経由してきて、「心=宇宙(佛、衆生)」を生き、「心」を経由して「宇宙(佛、衆生)」に帰るとでも表現できるかと思います。
此の結論は以下の説法を読んで確信したものです。
「一切衆生は皆死するときはこの根本三識(マナ識、阿頼耶識、阿摩羅識)におさまり、生するときは此の三識より生ず。一切衆生の迷へるときは六識妄念によりて造るところの善悪の諸業は皆此の根本識におさまる故に、迷ひ根本識にかへりぬれば一業一生を此の識より開きて六道に生ず。若し現生に密教に遇ひて妙観察智を開きぬれば、根本識は平等性智、大円境地、法界体性智の三智と転ずる故に、悟りの功徳となりて願楽に任せて十界の身を自在に現じて衆生を利益す。余の普賢、文殊、観音、弥勒の四尊は慈悲喜捨の四心と現じて衆生を利益する心と顕る。 (真言宗安心全書「密教修行念誦作法」、栂尾自性上人)」
・・・長谷宝秀師は「真言宗安心全書」の中で作者略伝として「自性上人は槇尾山最明寺平等心王院の中興なり。同寺の旧記の中に記して云く、『後宇多法皇御在世のとき、本堂経蔵宝塔鎮守等を建て、平等心王院と号す。自性上人に命じて当院の住持となす。上人徳高く智深く顕密の教えを弘通す。学者笈を負ひて到る者沛然として水の低きつくが如くなり。法皇しばしば臨幸して顕密の法を聞きたまふ。また遊義門院二百余函の聖教を寄付したまふなり。上人臨末の日法皇親しく鳳輦を病室に顧み、午の刻より酉の刻まで秘密の玄旨を伝授し、哀傷して別る。法皇還幸の後、上人座を半跏に畳み、手に秘契を結び、口に密言を誦して眠るが如く気絶ゆ。時に紫雲靉靆として奇香馥郁たり。実に正和六年正月二十七日なり。・・・』」と記しています。
最初に、今の時点での結論は「わわれわれは『心=佛=衆生』からきた。われわれは『心=佛=衆生』であり、われわれは『心=佛=衆生』に帰るとなります。いいかえるとわれわれは「宇宙(佛、衆生)」から「心」を経由してきて、「心=宇宙(佛、衆生)」を生き、「心」を経由して「宇宙(佛、衆生)」に帰るとでも表現できるかと思います。
此の結論は以下の説法を読んで確信したものです。
「一切衆生は皆死するときはこの根本三識(マナ識、阿頼耶識、阿摩羅識)におさまり、生するときは此の三識より生ず。一切衆生の迷へるときは六識妄念によりて造るところの善悪の諸業は皆此の根本識におさまる故に、迷ひ根本識にかへりぬれば一業一生を此の識より開きて六道に生ず。若し現生に密教に遇ひて妙観察智を開きぬれば、根本識は平等性智、大円境地、法界体性智の三智と転ずる故に、悟りの功徳となりて願楽に任せて十界の身を自在に現じて衆生を利益す。余の普賢、文殊、観音、弥勒の四尊は慈悲喜捨の四心と現じて衆生を利益する心と顕る。 (真言宗安心全書「密教修行念誦作法」、栂尾自性上人)」
・・・長谷宝秀師は「真言宗安心全書」の中で作者略伝として「自性上人は槇尾山最明寺平等心王院の中興なり。同寺の旧記の中に記して云く、『後宇多法皇御在世のとき、本堂経蔵宝塔鎮守等を建て、平等心王院と号す。自性上人に命じて当院の住持となす。上人徳高く智深く顕密の教えを弘通す。学者笈を負ひて到る者沛然として水の低きつくが如くなり。法皇しばしば臨幸して顕密の法を聞きたまふ。また遊義門院二百余函の聖教を寄付したまふなり。上人臨末の日法皇親しく鳳輦を病室に顧み、午の刻より酉の刻まで秘密の玄旨を伝授し、哀傷して別る。法皇還幸の後、上人座を半跏に畳み、手に秘契を結び、口に密言を誦して眠るが如く気絶ゆ。時に紫雲靉靆として奇香馥郁たり。実に正和六年正月二十七日なり。・・・』」と記しています。