福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

不幸にならないためには幸福を求めないこと。

2024-04-23 | 法話

涅槃経には「福を求めれば禍もついてくる。愚人は福を求めて禍も蒙るが、菩薩は禍福共に求めない」とあります。逆に言えば俗世の垢にまみれた我々は禍福を逃れることはできない、ということでしょう。まさに「漢書 賈誼伝」に「それ禍と福、何ぞ糾える纆に異ならん。」といい、「史記 南越伝」「禍によりて福となす、成敗の転ずること、譬れば糾える纆のごとし。」というのもこのことでしょう。

 

「女人有りて他舍に入る、是の女は端正にして顏貌美麗なり。好瓔珞を以て其身を莊嚴す。主人見已りて即便ち問ふて言く「汝、字は何等とし、誰に繋屬すぞ」と。女人答へて言く「我身は即ち是れ功徳大天なり」。主人問言「汝所至の處、何の所作と為すや」。女天答言「我所至の處、能く種種の金・銀・琉璃・頗梨・眞珠・珊瑚・虎珀・硨磲・馬瑙・象馬・車乘・奴婢・僕使を與ふ」と。主人聞已りて心に歡喜を生じ、踊躍すること無量なり。「我今福徳故に汝をして我舍宅に來至せしむ。即便ち燒香散花供養恭敬禮拜す。復た門外に於いて更に一女を見る。其形醜陋、衣裳弊壞、諸垢膩多し。皮膚皴裂、其色艾白なり。見已りて問て言く「汝、何等と字なし誰に繋屬すや」。女人答言「我は黒闇と字なす」。復問ふ「何故に名けて黒闇と為すや」。女人答言「我所行の處、能く其家をして所有の財寶一切衰耗せしむ」。主人聞已りて即ち利刀を持ち如是の言を作さく「汝若し去らざれば當に汝の命を断つべし」と。女人答言「汝甚だ愚癡なり、智慧有ること無し」と。主人問言「何故に我を癡にして無智慧と名くや」。女人答言「汝の家中の者は即ち是れ我が姊なり。我常に姊と進止を共倶にす。汝若し我を驅らば亦當に姊も驅る」。主人還りて入りて問ふ「功徳天よ、外に一女有りて是れ汝の妹と言ふ。實に是と為すや不や」。功徳天言「實に是れ我が妹なり。我、此の妹と行住を共倶にす。未だ曾って相離れず、所住の處に随ひて我常に好を作し、彼常に惡を作す。我、利益を作し、彼、衰損を作す。若し我を愛さば亦應に彼を愛すべし。若し恭敬せらるれば亦應に彼も敬すべし」と。主人即言「若し如是の好惡の事有らば我皆な不用なり。各隨意に去れ」と。是時、二女便ち共に相ひ將いて其の所止に還る。爾時、主人、其の還り去るを見て心に歡喜を生じ踊躍無量なり。

是時二女、復た共に相隨ひて一貧家に至る。貧人見已りて心に歡喜を生ず。即ち之に請ひて言く「今より已往、願はくは汝二人常に我家に住せ」と。功徳天言「我等先に已に他に驅せらる。汝復た何に縁りてか倶に我が住を請ずや」。貧人答言「汝今、我を念ず。我、汝を以ての故に復當た彼を敬す。是の故に倶に請じて我家に住せしむ」と。

迦葉、菩薩摩訶薩も亦復た如是なり。生天を願はず、生は當に老病死有るべき故に。是を以って倶に棄てて曾って受心無し。凡夫愚人は老病死等の過患を知らず。是の故に生死二法を貪受す。」(大般涅槃經卷第十一聖行品第十九之一)

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