童子教( 傳安然(平安前期の天台僧)作、「塵添壒嚢鈔」「大蔵経データベース」「童子教故事要覧(加藤咄堂)」等により解説)・・5
「厭ひても厭ふべきは娑婆なり。 会者定離の苦しみ、 恐れても恐るべきは六道。生者必滅の悲しみあり、(慧林の大般涅槃経寿命品音羲に聖者たるひとこの中に於いて堪えていたわり苦しみて修行して衆生を救うが故に堪忍土という、とあり。祖庭事苑には苦忍ともいう。涅槃経に「盛んなるものは必ず衰えることあり、会うものは別離有り。」)
寿命は蜉蝣(ふゆう)の如し。 朝に生れて夕に死す。(毘曇論に「寿きわめて長きものも一劫に過ぎず、極めて短き者は朝に生まれて夕べに死す」)
身体は芭蕉の如し、 風に随つて壊れ易し。(維摩経「是身は芭蕉の如く中には堅あることなし」。随願往生経「四大仮に合して形芭蕉の如し、中に実あることなし、又電光の如く久しく停まることを得ず」)
綾羅錦繍は 全く冥途の貯えに非ず。 黄金珠玉は、只一世の財宝。 (震丹の維摩といわれた 龐居士が珍宝を水に沈めた話は有名)
栄花栄耀は 更に仏道の資けに非ず。官位寵職は、唯現世の名聞、 亀鶴の契りを致すも、 露命の消えざるが程なり、(漢書蘓武伝に「人生は朝露の如し」卓氏藻林巻三「朝露は人の久しく存えざるを喩うなり」)
鴛鴦(ゑんわう)の衾(ふすま)を重ぬるも、 身体の壊(やぶ)れざる間なり。(西京雑記巻一に、趙飛燕という人皇后となれり、その女弟照陽殿にありて飛燕に送る書に、鴛鴦の襦・鴛鴦の被・鴛鴦の褥などを送ることあり、皆絵にかきたることなり。また天宝遺事に、玄宗楊貴妃の契りを称して「被底鴛鴦」といふなり。本草綱目に「鴛鴦雌雄離れず、人其の一を獲れば則ち一は相思いて死す、之を匹鳥という」。老杜が詩に「合歓尚時有り、鴛鴦独り宿せず」)
刀利摩尼殿(とうりまにでん)も 遷化(せんげ)無常を歎く。( 忉利天の第十三に摩尼殿あり。雑宝蔵経巻四「命終わりて三十三天の摩尼炎宮殿の中に生ずることを得、この宮殿に乗じて善法堂に至る」。往生要集「忉利天のごときは快楽極まりなしと雖も臨命終の時五衰あい現ず・・」菩薩本生鬘論に「是時三十三天帝釋天主五衰」)
大梵高台の閣も、 火血刀の苦しみを悲しむ。(大梵とは初禅の梵天、俱舎の疏にいわく「梵輔天の中に高楼閣あり、大梵天と名く、一主のいるところにしてさらに別地なし」。火血刀とは三途のこと。竜樹の勧発禅陀王経偈に「梵天離欲の娯を受けると雖も還って無間熾燃の苦に堕し、天宮に居して光明を具すると雖も遂に地獄黒闇に中に入る」)
須達(しゆだつ)の十徳も、 無常を留むること無し。(須達は舎衛城の富豪、祇園精舎を寄進、給孤独長者。十徳とは天台大師文句に「姓貴・高位・大富・威猛・智染・年耆・行浄・礼備・上歎・下帰」須達の如く十徳を備えた長者もついに給孤独にて死す。別訳雑阿含経に「(須達長者は体の苦悩に悩まされたとき、仏の説法を聞き)於佛去後。尋於其夜。身壞命終。得生天上。」とあり。三教指帰にも「勢いを以て留めることを得ず」とあり。)
阿育(あしゅく)の七宝も 寿命を買ふこと無し。(阿育王は金銀財宝を多く蓄え、南閻浮提に八万四千の塔を建てられたること釈迦譜巻五、阿育王造八万四千塔記にあり。しかれども宝をもちて寿命を買うことはならぬ、となり。蔡伯嗜が陳仲碑にいわく「命は贖うべからず。」註に翰がいわく「人の命は分あり。一たび死して重き財宝を以て贖って生を取るべからず」)
月支の月を還せし威も炎王の使ひに縛せらる(法句経譬喩経に、梵士あり、兄弟四人あり、各五通を得たり、後七日過ぎて四人ながら一度に命終わらんことを知りて、共に評議して曰く、我ら五通の力、天地を反復し手に日月を取り山を移し流れを留む、いかでか死を免れざらんや、と。・・・仏柘植たまわく、人に四つの事あり、一には中陰の中にありて生を受けざるを得ず、二にはすでに生じて老を受けざるを得ず、三にはすでに老いて病を受けざるを得ず、四にはすでに病して死を受けざるを得ず、と。「炎王の使ひ」とは十王経にいう奪魂鬼・奪精鬼・縛魄鬼なり。ここの大意は月氏国の日月を自由に還しめぐらしたる梵士も炎王の使三人に縛りからめとられて命終われりとなり。)
龍帝の龍を投げし力も、獄卒の杖に打たる。
人尤(もつと)も施しを行ふべし。 布施は菩提の粮なり。 人最(もつと)も財を惜しまざれ、 財宝は菩提の障なり。
若し人貧窮の身にて布施すべき財無く 他の布施を見る時、 随喜の心を生ずべし。(諸経要集「若し貧窮の人ありて財の布施すべき無くんば、他の施を修するを見て随喜の心を生ぜよ。随喜の福報と施と等しくして異なる事無し」)
心に悲しんで一人に施せば、功徳大海の如し。 己が為に諸人に施せば 報を得ること芥子の如し。(提婆尊者の丈夫論偈「悲心を以て一人に施せば功徳大なる事、地の如し、己がために一切に施せば報を得る事芥子の如し、一人の厄難の人を救うは余の一切の施に勝る、衆星光有りと雖も一月の明かりには如かざるがごとし」)
砂(いさご)を聚めて人塔を為す、 早く黄金の膚(はだへ)を研(みが)く、(仏祖統紀巻九の普明傳をみれば稚き頃より砂を集めて塔を作り蒿を刈て殿とせられたる事あり。法華経方便品に「童子の戯れに砂をあつめて佛塔となす、是のごとき諸人等皆既に仏道を成ぜり」)
花を折つて仏に供する輩は、速かに蓮台の政(はなぶさ)を結ぶ。(法華経方便品「若し人、散乱の心にて乃至一華を以て画像の供養せば、漸く無数の仏を見る」科註に賢愚経を引いて「長者あり、一男子を生めり、天より衆花を雨ふらす、前世に草花を以て僧に散ずぜしが故に出家して羅漢果を証す」)
一句信受の力も転輪王の位に超(いた)る。 半偈聞法の徳も 三千界の宝にも勝れたり。(華厳経に「若し一句一偈未曾有法を聞くは三千大千世界の中に満てる七宝釈梵転輪王の位を得るに勝たり」秘蔵宝鑰巻中に「満界の財宝は一句の法にしかず、恒沙の身命は四句の偈に比せず」)
上(かみ)は須く仏道を求む、 中は四恩を報ずべし、 下は編(あまねく)六道に及ぶ、 共に仏道成るべし。(広弘明集に「沙門の孝たるや上は諸仏に順い、中は四恩に報じ、下は含識の為にす、三の者遺ずば大孝なり」)
幼童を誘引せんが為に 因果の道理を註す。 内典外典より出でたり。 見る者誹謗すること勿れ、 聞く者笑を生ぜざれ。(おわり)
「厭ひても厭ふべきは娑婆なり。 会者定離の苦しみ、 恐れても恐るべきは六道。生者必滅の悲しみあり、(慧林の大般涅槃経寿命品音羲に聖者たるひとこの中に於いて堪えていたわり苦しみて修行して衆生を救うが故に堪忍土という、とあり。祖庭事苑には苦忍ともいう。涅槃経に「盛んなるものは必ず衰えることあり、会うものは別離有り。」)
寿命は蜉蝣(ふゆう)の如し。 朝に生れて夕に死す。(毘曇論に「寿きわめて長きものも一劫に過ぎず、極めて短き者は朝に生まれて夕べに死す」)
身体は芭蕉の如し、 風に随つて壊れ易し。(維摩経「是身は芭蕉の如く中には堅あることなし」。随願往生経「四大仮に合して形芭蕉の如し、中に実あることなし、又電光の如く久しく停まることを得ず」)
綾羅錦繍は 全く冥途の貯えに非ず。 黄金珠玉は、只一世の財宝。 (震丹の維摩といわれた 龐居士が珍宝を水に沈めた話は有名)
栄花栄耀は 更に仏道の資けに非ず。官位寵職は、唯現世の名聞、 亀鶴の契りを致すも、 露命の消えざるが程なり、(漢書蘓武伝に「人生は朝露の如し」卓氏藻林巻三「朝露は人の久しく存えざるを喩うなり」)
鴛鴦(ゑんわう)の衾(ふすま)を重ぬるも、 身体の壊(やぶ)れざる間なり。(西京雑記巻一に、趙飛燕という人皇后となれり、その女弟照陽殿にありて飛燕に送る書に、鴛鴦の襦・鴛鴦の被・鴛鴦の褥などを送ることあり、皆絵にかきたることなり。また天宝遺事に、玄宗楊貴妃の契りを称して「被底鴛鴦」といふなり。本草綱目に「鴛鴦雌雄離れず、人其の一を獲れば則ち一は相思いて死す、之を匹鳥という」。老杜が詩に「合歓尚時有り、鴛鴦独り宿せず」)
刀利摩尼殿(とうりまにでん)も 遷化(せんげ)無常を歎く。( 忉利天の第十三に摩尼殿あり。雑宝蔵経巻四「命終わりて三十三天の摩尼炎宮殿の中に生ずることを得、この宮殿に乗じて善法堂に至る」。往生要集「忉利天のごときは快楽極まりなしと雖も臨命終の時五衰あい現ず・・」菩薩本生鬘論に「是時三十三天帝釋天主五衰」)
大梵高台の閣も、 火血刀の苦しみを悲しむ。(大梵とは初禅の梵天、俱舎の疏にいわく「梵輔天の中に高楼閣あり、大梵天と名く、一主のいるところにしてさらに別地なし」。火血刀とは三途のこと。竜樹の勧発禅陀王経偈に「梵天離欲の娯を受けると雖も還って無間熾燃の苦に堕し、天宮に居して光明を具すると雖も遂に地獄黒闇に中に入る」)
須達(しゆだつ)の十徳も、 無常を留むること無し。(須達は舎衛城の富豪、祇園精舎を寄進、給孤独長者。十徳とは天台大師文句に「姓貴・高位・大富・威猛・智染・年耆・行浄・礼備・上歎・下帰」須達の如く十徳を備えた長者もついに給孤独にて死す。別訳雑阿含経に「(須達長者は体の苦悩に悩まされたとき、仏の説法を聞き)於佛去後。尋於其夜。身壞命終。得生天上。」とあり。三教指帰にも「勢いを以て留めることを得ず」とあり。)
阿育(あしゅく)の七宝も 寿命を買ふこと無し。(阿育王は金銀財宝を多く蓄え、南閻浮提に八万四千の塔を建てられたること釈迦譜巻五、阿育王造八万四千塔記にあり。しかれども宝をもちて寿命を買うことはならぬ、となり。蔡伯嗜が陳仲碑にいわく「命は贖うべからず。」註に翰がいわく「人の命は分あり。一たび死して重き財宝を以て贖って生を取るべからず」)
月支の月を還せし威も炎王の使ひに縛せらる(法句経譬喩経に、梵士あり、兄弟四人あり、各五通を得たり、後七日過ぎて四人ながら一度に命終わらんことを知りて、共に評議して曰く、我ら五通の力、天地を反復し手に日月を取り山を移し流れを留む、いかでか死を免れざらんや、と。・・・仏柘植たまわく、人に四つの事あり、一には中陰の中にありて生を受けざるを得ず、二にはすでに生じて老を受けざるを得ず、三にはすでに老いて病を受けざるを得ず、四にはすでに病して死を受けざるを得ず、と。「炎王の使ひ」とは十王経にいう奪魂鬼・奪精鬼・縛魄鬼なり。ここの大意は月氏国の日月を自由に還しめぐらしたる梵士も炎王の使三人に縛りからめとられて命終われりとなり。)
龍帝の龍を投げし力も、獄卒の杖に打たる。
人尤(もつと)も施しを行ふべし。 布施は菩提の粮なり。 人最(もつと)も財を惜しまざれ、 財宝は菩提の障なり。
若し人貧窮の身にて布施すべき財無く 他の布施を見る時、 随喜の心を生ずべし。(諸経要集「若し貧窮の人ありて財の布施すべき無くんば、他の施を修するを見て随喜の心を生ぜよ。随喜の福報と施と等しくして異なる事無し」)
心に悲しんで一人に施せば、功徳大海の如し。 己が為に諸人に施せば 報を得ること芥子の如し。(提婆尊者の丈夫論偈「悲心を以て一人に施せば功徳大なる事、地の如し、己がために一切に施せば報を得る事芥子の如し、一人の厄難の人を救うは余の一切の施に勝る、衆星光有りと雖も一月の明かりには如かざるがごとし」)
砂(いさご)を聚めて人塔を為す、 早く黄金の膚(はだへ)を研(みが)く、(仏祖統紀巻九の普明傳をみれば稚き頃より砂を集めて塔を作り蒿を刈て殿とせられたる事あり。法華経方便品に「童子の戯れに砂をあつめて佛塔となす、是のごとき諸人等皆既に仏道を成ぜり」)
花を折つて仏に供する輩は、速かに蓮台の政(はなぶさ)を結ぶ。(法華経方便品「若し人、散乱の心にて乃至一華を以て画像の供養せば、漸く無数の仏を見る」科註に賢愚経を引いて「長者あり、一男子を生めり、天より衆花を雨ふらす、前世に草花を以て僧に散ずぜしが故に出家して羅漢果を証す」)
一句信受の力も転輪王の位に超(いた)る。 半偈聞法の徳も 三千界の宝にも勝れたり。(華厳経に「若し一句一偈未曾有法を聞くは三千大千世界の中に満てる七宝釈梵転輪王の位を得るに勝たり」秘蔵宝鑰巻中に「満界の財宝は一句の法にしかず、恒沙の身命は四句の偈に比せず」)
上(かみ)は須く仏道を求む、 中は四恩を報ずべし、 下は編(あまねく)六道に及ぶ、 共に仏道成るべし。(広弘明集に「沙門の孝たるや上は諸仏に順い、中は四恩に報じ、下は含識の為にす、三の者遺ずば大孝なり」)
幼童を誘引せんが為に 因果の道理を註す。 内典外典より出でたり。 見る者誹謗すること勿れ、 聞く者笑を生ぜざれ。(おわり)