福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

観自在菩薩冥應集、連體。巻1/6・2/15

2025-03-02 | 諸経

観自在菩薩冥應集、連體。巻1/6・2/15

二、六観音八観音の事。

 

六観音の名目は天台の止観二の二に出なり。即ち六道の能化とせり。一には大悲観世音、即ち千手観音なり。是を地獄道の能化とす。手は物を取るものなり。地獄の罪人無量なるを一時に其の苦厄を抜き玉ことをあらはせり。二には大慈観世音。即ち聖観音、正の字作ることは誤り、なり。是を餓鬼道の化主とせり。手より甘露を降らして餓鬼趣に施し與へ玉ふが故なり。三には師子無畏観世音、即ち馬頭観音にして畜生道の能化なり。畜生の中に馬は吉祥尊貴にして輪王の所乗なり。故に観音忿怒の形を現じて白馬の頭を頂上に戴き玉へり。白は自性清浄無染着の色を表す。故に能く畜生の愚痴執着の業苦を済度し玉ふなり。四には大光普照観世音即ち十一面観音にして修羅道の化主なり。修羅は憍誑にして闘諍を好む。此の憍誑の暗を照破し玉ふが故に大光普照観世音と名けたり。五には天人丈夫観世音即ち准胝観世音なり。是を人道の能化とする事は人は万物の靈にして或は天にも勝れたる事あり。故に准胝佛母の能く観音部の諸尊を出生し玉ふが如く人も亦内心の蓮華胎蔵より一切の佛子を生ずべき事を表せり。六には大梵深遠観世音即ち如意輪観音なり。是を天道の化主とすることは諸天は利根なれば能く法輪を転じて済度し玉ふ事を表せり。六道に配する事は且くの義なり。實には各の九界を済度し玉へり。故に千手の四十臂は三界二十五有を度する事を表し(四十を二十五にたたみあぐれば一千なり。故に四十手なれども千手観音と云ふ。二十五有は即ち六道)。准胝の十八臂は九界を度するに折伏摂取の二門あるがゆえに二九十八の数を顕せり。十八日を観音の縁日とすることは是に本つ゛くならん。但し十王經に十斎日に念ずべき聖衆を挙げる中に十八日には地蔵を念じ、二十四日には観音を念ぜよといへり。世俗には二十四日を地蔵の縁日とす。いずれの代よりか誤れるや。又如意輪の六臂は六道の能化なる事を顕す(此の事、礦石集に書記が故に今は略す)。(以下長い説明あり。礦石集には「右の第一思惟の御手は地獄道の劇苦を如何が再度せんと思惟し玉ふ相なり。第二宝珠の御手は檀波羅蜜の如意寶を持す。所求に随って一切の財と法と無畏とを施し、餓鬼道の慳貪悪習の業を救玉ふ相なり。第三念珠の御手は畜生道の能化なり。念珠は智慧を表す。一百八顆は百八三昧、一百八尊の智にして百八煩悩を破す。粒粒断ぜるは断漏の相なり。母珠は即ち果位、阿弥陀仏を表す。達磨と号する事は達磨は法の梵語にして西方の法部を云なり。線貫は観音を表す。観音は因位即ち行者なり。大師の秘鍵に『観自在薩埵は即ち諸乗の行人を挙』といふは是なり(般若心經祕鍵「大般若波羅蜜多心經者。即是大般若菩薩大心眞言三摩地法門。文缺一紙。行則十四。可謂簡而要約而深。五藏般若嗛一句而不飽。七宗行果歠一行而不足。觀在薩埵則擧諸乘之行人。度苦涅槃則褰諸教之得樂。」)。因位の行人は百八三昧を皆証する身なれば貫けり。念珠は総じて智慧を表示すれば畜生道の暗を照らして百八三昧を得せしめ光明遍照の徳在す。西方の阿弥陀仏智慧門の佛の果位に至らしむる相なり。観經に浄土に生ずる者は百法明門を得と説くも義相近し。左の第一按山の御手は山は安住不動の相なり。然るを今按すは倍々安住不傾動の義なり。阿修羅は天帝釈と常に闘諍して心に恐怖多ければ無畏を施して安穏に住せしむる相なり。第二の蓮華の御手は人道の能化なり。一切衆生の内心に八分の肉団あり。是を心臓と号す。菩提心論には「凡人の心は合蓮華の如く、佛心は満月の如し」と説けり(金剛頂瑜伽中發阿耨多羅三藐三菩提心論「凡人心如合蓮華。佛心如滿月。此觀若成。十方國土。若淨若穢。六道含識。三乘行位。及三世國土成壞。衆生業差別。菩薩因地行相。三世諸佛。悉於中現證本尊身。滿足普賢一切行願故。」)。観経には密意を以て「念佛する者は人中の芬陀利華なり」と説く(佛説觀無量壽佛經「若善男子及善女人。但聞佛名二菩薩名。除無量劫生死之罪。何況憶念。若念佛者。當知此人即是人中芬陀利花。」)。此の妙法芬陀利華を人人具足し箇箇円成せり。早く開きて仏果を成せよと示し玉ふ相なり。第三輪寶の御手は天道の能化なり。諸天は利根なれば法輪を転じて度し玉ふ。是は輪の回転の義なり。又六欲天は六塵の欲に耽り、色・無色の天は三昧の味に耽著せり。彼の著を破し玉ふ相なり。是は輪の摧破の義なり。されば如意輪観音は一躰に六臂を現じて六道を救度し・・」)。然れば六観音各別に済度して本誓餘に周ねからざるにはあらず。天台大師の功釈にて六字章句と云を以て六道に配し玉ふなり。又此に不空羂索観音を加て世人七観音と云事は本説なし。京都東山清水坂に七観音院といふあり。本尊は修理の大夫信隆の息女七条女院(高倉院の妃、後鳥羽院の御母)の安置し玉へるなり。故に七観音と云ひならはせるならんか。

 

(建久5年(1194)、第80代・高倉天皇の皇紀・七条院殖子が霊夢に感じ、東三条内裏に堂宇を建立。その堂内に如意輪観世音菩薩を安置したのが七観音院の起こり。その後、烏丸六角に移転し、後鳥羽天皇護持の6体の観音像も安置され、護持院と称された。京都府地誌には、「開基僧澄憲」と)。又六観音について二説あり。小野方には聖観音・千手・馬頭・十一面・准胝・如意輪の次第なり。是は天台の説に叶へり。廣澤方には、千手・聖観音・馬頭・十一面・不空羂索・如意輪の次第なり。此の意は千手を以て観音の本体とする義なり。後白河院の御建立蓮華王院(俗に三十三間堂と云)の本尊千手観音なるが故なり。小野流には聖観音を本体とす。胎蔵の八葉蓮華部の主は聖観音なるが故也。又千手大悲経の説も千手千眼は後に現じ玉ふと見たり(千手千眼觀世音菩薩廣大圓滿無礙大悲心陀羅尼經「若我(聖観世音)當來堪能利益安樂一切衆生者。令我即時身生千手千眼具足。發是願已。應時身上千手千眼悉皆具足」)。豈只十一面千手のみならんや、大佛頂經には二首三首一百八首乃至八万四千の爍迦羅首、百臂千臂乃至八万四千の母陀羅(此には印と翻ず)臂。二目三目一百八目乃至八万四千の清浄寶目を現ずと云へり(大佛頂如來密因修證了義諸菩薩萬行首楞嚴經「其中或現一首三首。五首七首九首十一首。如是乃至一百八首。千首萬首八萬四千爍迦囉首。二臂四臂六臂八臂。十臂十二臂十四十六。十八二十至二十四。如是乃至一百八臂千臂萬臂。八萬四千母陀羅臂。二目三目四目九目。如是乃至一百八目千目萬目。八萬四千清淨寶目。或慈或威或定或慧。救護衆生得大自在」)。然れば聖観音を以て本体とすべし。但し小野方にも安祥寺の傳には、准胝を除いて不空羂索を加ふ。是正説なり。准胝は観音部の佛母なり。故に胎蔵界には遍知院に列して七倶胝佛母と云へり。又安然の秘録(八家秘録)にも佛部に摂入せり。然らば七観音の時は准胝を佛母能生とし、六観音を所生とすべし。六観音の中には聖観音を能現とし、其の餘を所現とすべし。而も天台大師六観音の名を立て玉ふが故に、唐の涼州の姚徐曲、荊州の趙文侍(父母の為に六観音を画いた)、共に六観音を画いて亡親の六道の苦を救ひたること感応録に見へたり。又八大観音は一には不空羂索、二には毘倶胝、三には十一面、四には馬頭、五には忿怒鈎、六には如意輪、七には不空鈎、八には一髻羅刹なり。然れども観音は名号多種にして形像もまた多し。且く古来の傳を出さば、准胝観音・聖観音・千手観音・馬頭観音・如意輪観音・十一面観音・多羅観音・葉衣観音・不空羂索観音・毘倶胝観音・白衣観音・青頸観音・大白衣観音・白處尊観音・阿麼提観音・香王観音・不空鉤観音・一髻観音・楊柳観音・大明白身観音・水月観音・馬郎婦観音等なり。仁和寺の観音院の壁には十八観音を描けり。

 

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胎蔵蓮華部の諸尊は皆観音なり。況や三十三身無量の身をや。今列なる中に水月観音は俗に瀧見の観音と言へるならん。馬郎婦は大唐の陜右に出現し玉へり(「法華経顕応録巻下に、陜右の地は唯騎射を習ひて三宝を聞かず。唐憲宗元和4年一美女あり。来りて魚を鬻ぐに、人競うて之を娶らんとす。女曰はく、一夕にして普門品を誦する者あらば之に帰せんと。即ち能く誦する者二十余輩あり。復た授くるに金剛般若経を以てす、猶ほ十人之を善くす。更に法華経全巻を授け、約するに三日を以てするに独り馬氏のみ之を能くす。仍て女は馬氏に帰せしも、病と称して別房に止り、須臾 にして死す。後数日老僧来り、葬所に至りて衆に謂はて曰はく、此の婦は之れ観音なり、汝等を化せんが為に方便示現せしのみと云へる是れ其の伝説なり」)。魚藍観音は本説を見ず。疑ふらくは靈照女の像の籠を持せるを誤って魚藍観音と号するか(靈照女とは中国唐代の龐居士の娘のことで、竹籠を売って両親に孝養を尽くしたと言われる人物である。古くより禅宗の画題として用いられ、図像としては少女が竹籠を持つ物が多い)。或は馬郎婦と魚藍とは一ならんか。水月・馬郎・魚藍は大唐に於いて描き出せり。佛説には非ず。餘は皆佛説なり。猶一尊に付いても異説多し。如意輪の尊像にも二臂の説あり。左手には如意宝珠を持し、右手は施願の印なり。又石山の像は右手は蓮華を持し左手は施願の印なり。

 

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右の蓮華の上に或は如意宝珠を安ぜり。或は右は思惟の相、左は按山の手なるもあり。然るを宋元明朝の人は密教に暗きを以て観音の像を描くに帽子を蒙らしめ、禅座の相を圖して是本体とし、密教所説の形像を非なりと思ふは大に誤れり。又女身なりと思て観音菩薩傳といふものを作り妄りに世に傳ふるは一可笑事なり。佛菩薩の形像は真言の阿闍梨にあらざれば是非を弁へず誤って描き、猥に作らば却って罪を得べき事大乗造像功徳經の中に説き玉へり(佛説大乘造像功徳經「爾時優陀延王白佛言。世尊。如來過去於生死中爲求菩提。行無量無邊難行苦行。獲是最上微妙之身無與等者。我所造像不似於佛。竊自思惟深爲過咎」)。

 

 

 

 

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