続史愚抄 / 長享二年1488七月十二日甲戌条
「十二日甲戌 大覚寺心経〈嵯峨天皇宸筆及後光厳院後花園院等宸翰合三巻 〉を召して宮中に於いて 御礼拝有り。 抑(そもそも)頃日(ちかごろ)京畿に疫病流行し 人民多死の故也。」
・天皇は後土御門天皇(室町幕府は足利義尚)。後土御門天皇は敬虔な仏教徒であり、皇室の貧窮は自分の罪障が原因と考えて、阿弥陀仏の慈悲に希望を託し以下の和歌を詠まれた。
「誓ありと 思ひうる身に なす罪の 重きもいかで 弥陀はもらさむ」
・大覚寺の勅封心経殿には、嵯峨天皇・後光厳天皇・後花園天皇・後奈良天皇(16世紀)・正親町天皇(16世紀)・光格天皇(19世紀)の勅封心経が奉安されています。
・歴代天皇陛下は災害の都度、大覚寺の勅封般若心経を拝まれました。
最新の画像[もっと見る]
- 金剛頂瑜伽中發阿耨多羅三藐三菩提心論 8ヶ月前
- 一日は定光佛・熱田大明神・妙見様・天神と地神の日 2年前
- 万人幸福のしおり 4年前
- 佛説彌勒大成佛經 (全巻書き下し) 4年前
- 四国八十八所の霊験・・・その97 6年前
- 四国八十八所の霊験・・・その92 6年前
- 四国八十八所の霊験・・その89 6年前
- 四国八十八所の霊験・・・その88 6年前
- 四国八十八所の霊験・・・その83 6年前
- 四国八十八所の霊験・・・その76 6年前