福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

秘藏寶鑰

2011-08-29 | お大師様のお言葉
法を存するがゆえに唯蘊なり。人を遮するがゆえに無我なり(声門乗を唯蘊無我と称する故は五蘊の法のみをあるとするゆえに唯蘊といい、人我を空として遮するがゆえに無我である)。簡持(けんじ)を義となすがゆえに唯である(ひとつをえらんで堅持するがゆえに唯である)。

(僧尼非法の問答)

憂國公子(儒教的愛国主義者)が玄關法師(仏教者)に問て曰く、
「今聲聞乘人及法を聞くに、既に道、人天よりも妙に、人釋輪に超えたることを知んぬ。六通具足し、三明圓滿せり。人天の仰ぐところ福田是に憑みあり。理誠に然るべし。ゆえに前來の聖帝賢臣は廣く伽藍を建てて僧人を安置す。萬戸を割いて鐘を鳴し、千頃(せんけい)を開いて、てい食す。憑み仰ぐこと他に非ず。只だ國家を鎭押し黎元(れいげん・・人々)を利濟するにあり。然に今のあらゆる僧尼、頭を剃って欲を剃ず、衣を染めて心を染めず。戒定智慧麟角よりも乏しく、非法濫行は龍鱗よりも欝(さかん)なり。日夜に經營して頭を臣妾の履に叩き、朝夕に苞苴(ほうしょ・・手土産)して膝を僕婕(ぼくしょう・・めしつかい)の足に屈す。釋風(仏の道)茲に因って陵替(りょうたい・・衰微)し、佛道之に由って毀廢す。旱澇(かんろう・・ひでりと洪水)しきりに至り、疫癘年に起る。天下の版盪(はんとう・・みだれ)公私の塗炭、職として此の由也。不若(しかじ)一切に度を停めて供を絶たんには(出家を停止し、供物を絶つべきである)。若し羅漢得道の者あらば身を屈して頂敬し、傾國して供給せんのみ。」


師のいわく、「善いかなこの問い、多く利益あり。よろしくなんじ、伶倫が聡耳を開き、顔子が敏心をさとって諦に聽き善く思え。且つ一二を擧げて子なんじ之迷を褰かかげん。夫蟭螟(しょうめい・・小さな虫)は大鵬之翼を見ず。蝘蜓(えんでん・・とかげ)何知難陀之鱗。蝸角は穹昊(きゅうごう・・天空)之頂を衝くを得ず。僬僥(しょうぎょう・・秦の北にあった小人の国)何ぞ能く溟渤(めいぼつ・・大海)之底を踐まん。生盲は日月を見ず。聾騃(ろうがい)は雷鼓を聞かず。愚少之分蓋だし此の如きか。又夫物有善惡あり。人に賢愚殊なり。賢善の者は希に、愚惡の者は多し。騏麟・鸞鳳は禽獸之奇秀者也。摩尼金剛は金石之靈異者也。人之挺粹者賢聖。帝之稱首者尭舜。后の美なるは文母。臣の歎ぜらるるは元凱(げんがい・・八元八凱といわれた十六人の舜王の名臣)。麟・鳳一たび見ゆれば則ち天下大平なり。摩・剛(摩尼と金剛)一たび目ゆれば則ち萬物聲に應ず。
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