涅槃經には「信ありて解なきは無明を増長す。解ありて信なきは邪見を増長す。信解円通してまさに行の本となる(大般涅槃經 「信心無有智慧是人則能増長無明若有智慧無有信心是人則能増長邪見」)」とある。
この信解の位をはじめとし、しかるのちに三阿僧祇を経て万行を行じて涅槃の妙果に至るを真正仏教の目的とす。(しかるに世間の宗教は神に随順帰向して唯唯諾諾、唯名唯従を旨とし、もって能事おわれりとする)
しかし仏教は必ず信・解(信仰と理解)相応してそののちに発心修業し、修行熟してのちに法性に證入し、仏陀の位に入るをもって究竟とする。