第十一条
一文不通のともがらの念仏申すにあうて、「なんぢは誓願不思議を信じて念仏申すか、また名号不思議を信ずるか」と、いひおどろかして、ふたつの不思議を子細をも分明にいひひらかずして、ひとのこころをまどはすこと、この条、かへすがへすもこころをとどめて、おもひわくべきことなり。
誓願の不思議によりて、やすくたもち、となへやすき名号を案じいだしたまひて、この名字をとなへんものをむかへとらんと、 . . . 本文を読む
お大師様には何種類かの遺言があります。御年40才の時の教誡である『弘仁遺誡』と、その晩年62才で入定される6日前の835(承和2)年3月15日に示された『遺告』などです。
『弘仁の遺誡』を載せます。
『真言家末葉の弟子等、宿業の故に、甚だもって愚迷なり。須く文に就いて用意すべし。仍ってこの文をもって、常に座右に置いて心驚の縁となせ。
諸の弟子等に語ぐ。凡そ出家修道は、もと仏果を期す。更に輪王 . . . 本文を読む
第九条
念仏申し候へども、踊躍歓喜のこころおろそかに候ふこと、またいそぎ浄土へまゐりたきこころの候はぬは、いかにと候ふべきことにて候ふやらんと、申しいれて候ひしかば、
親鸞もこの不審ありつるに、唯円房おなじこころにてありけり。よくよく案じみれば、天にをどり地にをどるほどによろこぶべきことを、よろこばぬにて、いよいよ往生は一定とおもひたまふなり。よろこぶべきこころをおさへて、よろこばざるは、煩 . . . 本文を読む
第八条
念仏は行者のために、非行・非善なり。わがはからひにて行ずるにあらざれば非行といふ。わがはからひにてつくる善にもあらざれば非善といふ。ひとへに他力にして自力をはなれたるゆゑに、行者のためには非行・非善なりと云々。
. . . 本文を読む
第七条
念仏者は無碍の一道なり。そのいはれいかんとならば、信心の行者には、天神・地祇も敬伏し、魔界・外道も障碍することなし。罪悪も業報を感ずることあたはず、諸善もおよぶことなきゆゑなりと云々。
. . . 本文を読む
3月16日
定例の護国寺参拝をしました。2月のお参りとは打って変わってぽかぽか陽気となりました。入口の音羽幼稚園ではかわいい園児たちと若いお父さんお母さんたちが着飾って記念写真を撮っていました。卒園式のようです。
境内入口の梅は散り始めており、石段の上では桜が咲き始めていました。
玉葉和歌集に
「 法花経の心を・・ 前大僧正公什『 春にあふ花もいまこそ匂ひけれ よそぢあまりのわしの山風』」 . . . 本文を読む
第六条
専修念仏のともがらの、わが弟子、ひとの弟子といふ相論の候ふらんこと、もつてのほかの子細なり。親鸞は弟子一人ももたず候ふ。そのゆゑは、わがはからひにて、ひとに念仏を申させ候はばこそ、弟子にても候はめ。弥陀の御もよほしにあづかつて念仏申し候ふひとを、わが弟子と申すこと、きはめたる荒涼のことなり。つくべき縁あればともなひ、はなるべき縁あればはなるることのあるをも、師をそむきて、ひとにつれて念 . . . 本文を読む
歎異抄第五条
親鸞は父母の孝養のためとて、一返にても念仏申したること、いまだ候はず。そのゆゑは、一切の有情はみなもつて世々生々の父母・兄弟なり。いづれもいづれも、この順次生に仏に成りてたすけ候ふべきなり。わがちからにてはげむ善にても候はばこそ、念仏を回向して父母をもたすけ候はめ。ただ自力をすてて、いそぎ浄土のさとりをひらきなば、六道・四生のあひだ、いづれの業苦にしづめりとも、神通方便をもつ . . . 本文を読む
2013年春のお彼岸入りは今日3月17日、お中日 は3月20日(春分の日)お彼岸明けは3月23日です。
「今日彼岸、菩提の種を播く日かな」蕪村
「彼岸」という言葉は 迷いのこの世(此岸)に対して 悟りの向こう岸(彼岸)
という意味。サンスクリットの「波羅蜜」(Pāramitā パーラミター) の意訳「至彼岸」に由来するとされます。
お彼岸は迷いの此岸にいる我々がこの期 . . . 本文を読む
歎異抄第四条
慈悲に聖道・浄土のかわりめあり。
聖道の慈悲というは、ものを憐れみ愛しみ育むなり。
しかれども、思うがごとく助け遂ぐること、
極めてありがたし。
浄土の慈悲というは、念仏して急ぎ仏になりて、
大慈大悲心をもって思うがごとく
衆生を利益するをいうべきなり。
今生に、いかにいとおし不便と思うとも、
存知のごとく助け難ければ、この慈悲始終なし。
しかれば念仏申すのみぞ、
. . . 本文を読む