お大師様には何種類かの遺言があります。御年40才の時の教誡である『弘仁遺誡』と、その晩年62才で入定される6日前の835(承和2)年3月15日に示された『遺告』などです。
『弘仁の遺誡』を載せます。
『真言家末葉の弟子等、宿業の故に、甚だもって愚迷なり。須く文に就いて用意すべし。仍ってこの文をもって、常に座右に置いて心驚の縁となせ。
諸の弟子等に語ぐ。凡そ出家修道は、もと仏果を期す。更に輪王梵釈の家を要めず。豈況んや、人間少少の果報をや。発心して遠渉せんには、足にあらざれば能はず。仏道に趣向せんには、戒にあらざれば寧んぞ至らんや。必ず須く顕密の二戒堅固に受持して、清浄にして犯なかるべし。
いはゆる顕戒とは、三帰・八戒・五戒及び声聞・菩薩等の戒なり。四衆に各本戒あり。密戒とはいはゆる三摩耶戒なり。または仏戒と名づけ、または発菩提心戒と名づけ、または無為戒と名づくる等なり。
かくの如くの諸戒は十善を本となす。いはゆる十善とは、身三語四意三なり。末を摂して本に帰すれば、一心を本となす。一心の性は、仏と異なることなし。我心と衆生心と仏心との三、差別なし。この心に住すれば、すなはちこれ仏道を修す。この宝乗に乗ずれば、直ちに道場に至る。
もし上上智観なれば即身成仏の径路なり。上智観はすなはち三大に果を証す。中智観は縁覚乗、下智観は声聞乗なり。
かくの如くの諸戒、具足せざれば慧眼闇冥なり。この意を知って眼命を護るが如くすべし。寧ろ身命を棄つるとも、この戒、犯ずることなかれ。もし故に犯ずる者は、仏弟子にあらず、金剛子にあらず、蓮華子にあらず、菩薩子にあらず、我もまた彼が師にあらず、かの泥団折木に何ぞ異ならん。
師資の道は父子よりも相親し。父子は骨肉相親しといへども、ただこれ一生の愛にして生死の縛なり。師資の愛は法の義をもって相親しみ、世間出世間に苦を抜き楽を与ふ。何ぞよく比況せん。所以に慇懃に提撕して、これを迷衢に示す。
もし我が誠に随はば、すなはちこれ三世の仏戒に随順するなり。これすなわち仏説なり。これ我が言にあらず。もろもろの近円・求寂・近事・童子等、これ等の戒を奉行して、精しく本尊の三摩地を修し、速やかに三妄執を超えて、疾く三菩提を証し、二利を円満し、四恩を抜済すべし。いはゆる冒地薩埵、豈異人ならんや。
我が教誡に違ふは、すなはち諸仏の教に違ふなり。これを一闡提と名づく。長く苦海に沈みて、何れの時にか脱るることを得ん。我もまた永く共に住して語はず。
往き去れ、住することなかれ。往き去れ、住することなかれ。
弘仁四年仲夏月晦日』
『弘仁の遺誡』を載せます。
『真言家末葉の弟子等、宿業の故に、甚だもって愚迷なり。須く文に就いて用意すべし。仍ってこの文をもって、常に座右に置いて心驚の縁となせ。
諸の弟子等に語ぐ。凡そ出家修道は、もと仏果を期す。更に輪王梵釈の家を要めず。豈況んや、人間少少の果報をや。発心して遠渉せんには、足にあらざれば能はず。仏道に趣向せんには、戒にあらざれば寧んぞ至らんや。必ず須く顕密の二戒堅固に受持して、清浄にして犯なかるべし。
いはゆる顕戒とは、三帰・八戒・五戒及び声聞・菩薩等の戒なり。四衆に各本戒あり。密戒とはいはゆる三摩耶戒なり。または仏戒と名づけ、または発菩提心戒と名づけ、または無為戒と名づくる等なり。
かくの如くの諸戒は十善を本となす。いはゆる十善とは、身三語四意三なり。末を摂して本に帰すれば、一心を本となす。一心の性は、仏と異なることなし。我心と衆生心と仏心との三、差別なし。この心に住すれば、すなはちこれ仏道を修す。この宝乗に乗ずれば、直ちに道場に至る。
もし上上智観なれば即身成仏の径路なり。上智観はすなはち三大に果を証す。中智観は縁覚乗、下智観は声聞乗なり。
かくの如くの諸戒、具足せざれば慧眼闇冥なり。この意を知って眼命を護るが如くすべし。寧ろ身命を棄つるとも、この戒、犯ずることなかれ。もし故に犯ずる者は、仏弟子にあらず、金剛子にあらず、蓮華子にあらず、菩薩子にあらず、我もまた彼が師にあらず、かの泥団折木に何ぞ異ならん。
師資の道は父子よりも相親し。父子は骨肉相親しといへども、ただこれ一生の愛にして生死の縛なり。師資の愛は法の義をもって相親しみ、世間出世間に苦を抜き楽を与ふ。何ぞよく比況せん。所以に慇懃に提撕して、これを迷衢に示す。
もし我が誠に随はば、すなはちこれ三世の仏戒に随順するなり。これすなわち仏説なり。これ我が言にあらず。もろもろの近円・求寂・近事・童子等、これ等の戒を奉行して、精しく本尊の三摩地を修し、速やかに三妄執を超えて、疾く三菩提を証し、二利を円満し、四恩を抜済すべし。いはゆる冒地薩埵、豈異人ならんや。
我が教誡に違ふは、すなはち諸仏の教に違ふなり。これを一闡提と名づく。長く苦海に沈みて、何れの時にか脱るることを得ん。我もまた永く共に住して語はず。
往き去れ、住することなかれ。往き去れ、住することなかれ。
弘仁四年仲夏月晦日』