つらつら真言密教の大意を案ずるに、生仏自他の差別なく本
初不生の心地に居し共に三平等の観に住して、深く凡聖不二の
旨を信ずるを以て、総じて安心の宗要とす、是故に高祖大師は
医眼の視る所、百毒変て薬となり、仏慧の照らす所、衆生即ち
仏なりと仰せられたり、是れ則ち諸法平等にして、本より生仏
一味解脱の床に住すれども、我等衆生は悟らざるが故に隔歴妄
執の我見に蔽はれて、長夜に苦を受く、此衆生をして、悉く覚
悟せしめんが為に、仏みづから真言密教を説き、群機に普応し
給ふなり、是故に此教に依る機は勝慧劣慧斉しく其益を蒙らず
と云ふことなし、是を以て興教大師は浅観但信は真に浄土に遊
び、深修円智は現に仏道を証すと述べ給へり、
初不生の心地に居し共に三平等の観に住して、深く凡聖不二の
旨を信ずるを以て、総じて安心の宗要とす、是故に高祖大師は
医眼の視る所、百毒変て薬となり、仏慧の照らす所、衆生即ち
仏なりと仰せられたり、是れ則ち諸法平等にして、本より生仏
一味解脱の床に住すれども、我等衆生は悟らざるが故に隔歴妄
執の我見に蔽はれて、長夜に苦を受く、此衆生をして、悉く覚
悟せしめんが為に、仏みづから真言密教を説き、群機に普応し
給ふなり、是故に此教に依る機は勝慧劣慧斉しく其益を蒙らず
と云ふことなし、是を以て興教大師は浅観但信は真に浄土に遊
び、深修円智は現に仏道を証すと述べ給へり、