「今日彼岸菩提の種を蒔く日かな・・・芭蕉」
彼岸とは悟りの岸のことでそこへ行くためには六波羅蜜(布施・持戒・忍辱・精進・知恵・禅定)が必要とは常に説かれることです。
ではこの六種の徳目の基本はなにかというと、すべて自他平等、自他一如ということではないかと思います。「自分が・・自分が・・」といっていては実行できないことばかりです。
ではなぜ自他は一つなのかというと華厳経のいうように時間も空間も相互に入りこんでいるからです。一瞬の中に過去も未来もあり、一微塵のなかに宇宙があるからです。本当は空間も(したがって自他も)、時間もないのでしょう。この時間も空間もない世界が悟りの世界つまり「彼岸」かもしれません。そしてそれはこうしている麗らかな春日の一瞬のなかにあるともいえるのでしょう。
彼岸とは悟りの岸のことでそこへ行くためには六波羅蜜(布施・持戒・忍辱・精進・知恵・禅定)が必要とは常に説かれることです。
ではこの六種の徳目の基本はなにかというと、すべて自他平等、自他一如ということではないかと思います。「自分が・・自分が・・」といっていては実行できないことばかりです。
ではなぜ自他は一つなのかというと華厳経のいうように時間も空間も相互に入りこんでいるからです。一瞬の中に過去も未来もあり、一微塵のなかに宇宙があるからです。本当は空間も(したがって自他も)、時間もないのでしょう。この時間も空間もない世界が悟りの世界つまり「彼岸」かもしれません。そしてそれはこうしている麗らかな春日の一瞬のなかにあるともいえるのでしょう。