神道は祭天の古俗(明治24年)・・3
文科大学(東京大学)教授 久 米 邦 武
東洋祭天の起り
萬園の発達を概見するに、祭天は人類襁褓の世に於て、単純なる思想より起りたる事なるべし。葢義人類の始めは、柳宗元の所謂る、草木榛々鹿豕狉々なる(「天地果して初め無きか。吾得てこれを知らざるなり。生人果して初め有るか。吾得てこてを知らざるなり。・・彼その初め、万物と皆生ず。草木榛榛(しんしん)た . . . 本文を読む
先祖供養の経典・・3
・父母恩重経には「・・・もし親、志を遷して、仏の五戒を奉じ、仁ありて殺さず、義ありて盗まず、礼ありて淫せず、信ありて欺かず、智ありて酔わざれば、すなわち家門の内、親は慈に、子は孝に、夫は正に、妻は貞に、親族和睦し、婢僕忠順に、六畜虫魚まで、あまねく恩沢を被りて、十方の諸仏、天竜鬼神、有道の君、忠良の臣より、庶民万姓にいたるまで、敬愛せざるはなく、暴悪の主も、佞嬖の輩も、兇児妖 . . . 本文を読む
真言教誠義・・26
密蔵沙門周海・・(死して引導の法を授からぬものは、葬儀をしないものは、)罪悪の滅することなければその生前の善悪にひかれて当来の果をうけんこと知るべし。(死して引導の法を授からぬものは、葬儀をしないものは、)その一念永く中有に迷いて火となり後は現在の身を執着するがゆえにその妄念をはなれず、中有にまようとしるべし。これらのことをみても常に瞋恚と愛着のこころをばおこすべからざるなり。 . . . 本文を読む
神道は祭天の古俗(明治24年)・・2
文科大学(東京大学)教授 久 米 邦 武
国民敬榊の結習
外面より見れば、日本は崇佛国と化したる様なれども、さにあらざることは、今にも都鄙人民の結集を察すべし。例へば東京の貴賎は、某区に山王祭をなし、某区に神田祭をなし、某は天神、某は稲荷と、各々氏神に祭礼をなし、是を毎年の大典となせり。某区は今の行政区に非ず、古農村にてありし時の村区に因るものなり . . . 本文を読む
先祖供養の経典・・2
こ以下のようにあの世の先祖や衆生を救うためのお経が種々に説かれています。以下思いつくままに紹介します。
・中陰経は仏が大光明を放ち自ら中陰にお入りになり中陰の衆生を集めて法をお説きになるというお経です。
・中阿含経にも「祠祀諸天。祭餟先祖。及布施沙門梵志。爲後生天而得長壽得樂果報」とあります。
・「仏説救面然餓鬼陀羅尼神呪経」には「佛告阿難。有陀羅尼名曰一切徳光無量威力。若有 . . . 本文を読む
神道は祭天の古俗(明治24年)・・1
文科大学(東京大学)教授 久 米 邦 武
日本は敬神崇仏の国なり、国史は其中より発達したるに、是迄の歴史家は其沿革を稽ふることを忽にしたる故に、事の淵底に究め至らぬを免れず。因て爰に其概略を論ずべし。
敬神は日本固有の風俗なり、中比に佛教を外国より伝へ、合せて政道の基本となりたり。其は聖徳太子の憲法に始まり、大化の令に定まる、大旨は格の孝謙帝詔 . . . 本文を読む