福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

神道は祭天の古俗(明治24年)・・2

2018-06-02 | 法話
神道は祭天の古俗(明治24年)・・2
文科大学(東京大学)教授  久 米 邦 武    

国民敬榊の結習
外面より見れば、日本は崇佛国と化したる様なれども、さにあらざることは、今にも都鄙人民の結集を察すべし。例へば東京の貴賎は、某区に山王祭をなし、某区に神田祭をなし、某は天神、某は稲荷と、各々氏神に祭礼をなし、是を毎年の大典となせり。某区は今の行政区に非ず、古農村にてありし時の村区に因るものなり。今は都会となりて、田地なければ、祭礼の本旨を証するに足らず。いづくの田舎も、村々に皆氏神ありて祭礼をなすは、全国に通じたる風俗なり、其氏神の区域は、今の村区と異なる所も多く、祭礼の習例も、各土に少異あれど、大抵新穀の登りたるを以て、濁酒を醸し、蒸飯を炊きて、神酒供饌となし、各其地の古俗によりて祭る。因て供日とも称す、濁酒蒸飯は古時の生活の状にて、祭礼は報本の意を表して、神に福を祷るなり。是を衆民の毎年天に事ふる務となし、而して水旱風雨疾病等の節々には、攘災の祷祭をなす、又其日々の勤むる所を見るベし、早旦に旅行すれば、野村も裏店も男女となく、朝起れは河流井水に浣嗽し畢て祷拝をなす、拍手の馨の聞へぬ里はなし、是神代よりの景象なり。細に其祷拝の状を観れば、合掌するもあり、南無の声聞ゆるもあり、或は上下四方を拝し、或は出日の方に向ふ、立もあり、跪もありて、崇佛にも似たり、或は回教拝日の民かとも誤らる。其は礼拝を教ふるもの流々義々なりしによる佛教の正式を教へられたる者は佛壇に向ふ此に却て眞率の誠を表せり。実は皆天に祷りて福を求むる所にて、往古の祓禊祭天の遺俗なり。日本人の日本人たる眞面目なり。されば国俗一般に清潔を喜びて、穢を嫌ふこと甚し、支那朝鮮の諸国とは、大に習俗を異にす、泰西人も東洋潔癖の国と称せり。其潔癖は、敬神より来りたれば、彼衛生の清潔とは異なる所あれども、迚も角も美風なり。支那朝鮮も、厥始は祓除祭天の俗より発達したれど、早く時世の推遷につれて本を失ひ、因て国体も変化して、動揺不定の国域となりたるに、日本のみは建国の初に天神の裔を日嗣の君と仰ぎてより、固く古俗を失はずして、其下に国をなしたれば、今に天子は常日に高御座の礼拝を怠り拾はず、新穀 登れば、神嘗・新嘗祭を行はせられ、毎年大祭日として、全国に之を祝ひ、御一代に一度の大嘗会を行はせらる。是神道の最重最古なる典なり。雲上の至尊より、野村裏店の愚民まで、毎日毎年天に事へ本に報ふの勤めは一規にして、勧めずして存し、令せずして行はれ君臣上下一体となりて結合したるは国体の堅固なる所にて、思へば涙の出る程なり。衆人の皆称する、萬代一系の皇統を奉じ、萬国に卓越したる国なりとは、かゝる美俗の全国に感染し、廃らぬ故に非ずや、実に国史に於て緊要なる節々なリ。



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