今日8日(金)は赤坂山王祭です。 午前7時30分より神幸祭が執り行われます。
赤坂日枝神社の御祭神は大山咋神(おおやまくひのかみ)で「古事記」に『大山咋神(おおやまくひのかみ)。又の名は山末之大主神(やますゑのおほぬしのかみ)。
この神は近淡海国(ちかつあふみのくに)の日枝山に坐す。また葛野(かづぬ)の松尾(まつのを)に坐す。鳴鏑(なりかぶら)になりませる神なり』とあります。
日枝神社は古くは日 . . . 本文を読む
神道は祭天の古俗(明治24年)・・7
文科大学(東京大学)教授 久 米 邦 武
神道に地祇なし
神道に地祇なしとは。頗る世聽を驚かすならん。然れども余は神道に地祇なしと信ずるなり。支那の地祇てふ字は。后土(こうど。中国道教の最高位の全ての土地を統括する地母神。土地・陰陽と生育を司る墓所の守り神)を祀り、社稷を祠り、山川を祭ることなどを云。我古代にハかゝる例なし。但し諾冉二尊の八大洲國及 . . . 本文を読む
神道は祭天の古俗(明治24年)・・6
文科大学(東京大学)教授 久 米 邦 武
賢所及ひ三種神器
賢所には伊勢神體寶鏡の寫しを齋まつる。内侍所といふも是なり。往古は三神器を大殿に奉し。天皇は同牀にましまして。政事をなし給ひしに。崇神帝の時に。鏡劍の寫しを造り。眞器をば大和の笠縫邑(かさぬいむら。日本書紀で、崇神天皇が天照大神(を皇女豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)に祭らせたと . . . 本文を読む
人間の生を受けるなかに東勝神洲の寿命は二百五十年。西牛貨(さいごけ)洲の寿命は五百年、しかれども若し難を受ければ中夭あり。この二州には仏法伝はりあり。北倶廬(ほっくる)洲の人は一千年の齢定まり、中夭もなく、我、我所なければ(主観客観の区別がない)自他の隔てもなく、父母妻子兄弟の別もなく、貧富貴賤の別もなく、難もなければ殺生等悪事をもせず、菩提心をも発せずして無記の心なれば佛の法は一向に伝はらず、故 . . . 本文を読む
神道は祭天の古俗(明治24年)・・5
文科大学(東京大学)教授 久 米 邦 武
太神宮も天を祭る
伊勢太神宮には。三神器の鏡劔を(後に劍は尾張熱田太神宮)齋奉ること。普く世の知所なるべし。此鏡は古事記に太神宮の詔を記して。專爲我御魂而如拜吾前伊都岐奉(もはらわがみたまとして、わがまへをいつくがごといつきまつれ)〕とあれば。俗に太神を祠ると思ふも無理ならねど。是も實は天を祭るなり。我御 . . . 本文を読む
実の如く自心を知るこれを仏と名ずく。実の如く自心を知らざるこれを凡夫と名ずく。凡夫は自心の本不生を知らざるがゆえに生死の無明の家に生まれて貪瞋癡の煩悩を起こして五逆十悪業等を造りて生死の苦果を招くなり。迷悟は一切衆生の面々の上にあれば無始以来の無明の迷執、自然にきえうせて、無始以来自然の本覚の智の悟り現れるようにと、常に吾が自心の常住の三宝にたいして諸々の福智の善根を随喜し、無始以来の罪業を懺悔し . . . 本文を読む
神道は祭天の古俗(明治24年)・・4
文科大学(東京大学)教授 久 米 邦 武
新嘗祭神嘗祭大嘗祭
日本の上古は。彼禹貢の冀州に島夷皮服と。楊州に島夷卉服と見ゆ。冀州の島夷は。韓人の皮を以て交通したるにて。楊州の島夷は。倭人の麻穀の木棉を以て交通したるなり。此く四千年前より。三土互に交通したれば。風俗も交互に輸入したらん。然れども倭韓は尚神祇を分つことはなく。純に天を祭れり。又一千年 . . . 本文を読む
今朝修法していて四無量心の「心もとより不生なり」という観想で、「そうだDNAが無始以来の先祖の遺伝子の集積であるように、心も無始以来の先祖の心の集積であるから、先祖供養をするということは自分の心と体を供養するということでもある」と思いつきました。本来「心もとより不生なり」というのはもっと大変なことを示唆しているのですがとりあえず俗物たる自分にはこういうレベルの気付が実感を持つのでした。 . . . 本文を読む
先祖供養の経典・・4
・地藏菩薩本願經卷下 利益存亡品第七に「地藏答言。「若し男子女人有りて、在生に善因を修せず多く衆罪を造らんに、命終之後、眷屬、小大爲めに福利一切の聖事を造らば七分之中而も乃ち一を獲ん。六分の功徳は生者自ら利せん。是を以ての故に未來現在善男女等よ聞け、健なるとき自ら修せば、分分に已に獲ん。無常大鬼は期せずして到る、冥冥たる遊神は未だ罪福を知らず。七七日の内は癡の如く聾の如し、或 . . . 本文を読む