(当時日清戦争で熊本鎮台からも出兵していたが)・・・大衆が静かなことは日本人の特徴である。個人と同じように、民族としても感情がより深く動き始めると、その外見上はますます自制的となるのである。天皇陛下が寄付された例に倣って市民たちも、この畏れ多い例に習って、酒、食料品や日用品、果物、珍味、煙草などありとあらゆる種類の寄贈品を船で輸送した。高価な物品を購うことのできない者たちは、草鞋を作っている。全国民が戦時基金に寄附をしている。熊本はけっして裕福な街ではないのだが、貧しい者も富める者もみな、その忠誠を示そうとして熊本市にできうるかぎりの協力を惜しまなかった。自発的な自己犠牲という貴い慈善の下に、商人たちの小切手が、職人の一円札や労働者の銀貨が、それに車夫の銅貨が皆ごたまぜに一体となって寄付されている。子どもたちさえもそうしている。愛国精神の発露は微塵も挫かれてはならないという理由から、子どもらの国を思う志も受け入れられているのである。しかし、予備兵役の兵士たちは――突然の召集に応じなければならなかった既婚者たちであるが、生計の手段のない妻や幼子たちと突然に別れなければならなくなったので――その出征留守家族を援護するための特別の募金運動が街頭で行われている。これらは市民たちが自発的にあるいは心から寄附しようと思ったことである。自分たちの背後には、こうした無私の愛情があると知った兵士たちは、期待される本分以上の務めを尽くすだろうと誰もが考えるに違いない。
そして、事実、彼らはそうしたのであった。・・
小泉八雲「願望成就」