最近知ったショックな話、それは太平洋戦争の口火である’真珠湾攻撃’が戦略的および戦術的に失敗だったということ。
まぁ戦略的失敗については何となく理解はしていたが、戦術的な失敗となるとトホホ気分になってしまう。
この戦術的な失敗を列記すると、
1)真珠湾の戦艦やら駆逐艦やらのいわゆる軍艦は沈めたけれども、燃料貯蔵タンクや運営施設(艦艇を整備するドックとか)、潜水艦基地は無傷だったこと。
2)第三波攻撃を断念して帰投したこと。これは敵空母の位置が分からずに反撃を恐れたらしいとのこと。
結果を見てああだこうだというのは結果論として片づけられるけれども、戦艦アリゾナを撃沈するよりも燃料貯蔵タンクを粉砕したり運営施設を破壊した方がどれほど戦力を削ぐことか、こんなことは戦略のイロハであろうとも思うが。
でも武勲としては燃料基地や後方施設を破壊するよりは戦艦を撃沈した方が価値が高く、英雄になるには手っ取り早い。
後々ハワイの太平洋艦隊の活躍はこの’真珠湾作戦の失敗’に寄る所大なんだろうと思う。
ともかくこれまで大勝利と信じてきたこの奇襲作戦は表向きの戦果だけで、実は敗戦の第一歩だと思うと今更ながらトホホ気分になってしまう。
”たら-れば-もし”はタブーだろうけど、戦果が逆だったら、つまり真珠湾の軍艦は無傷で燃料基地や後方施設を徹底的に破壊していれば、残った太平洋艦隊の作戦にはかなり制限が掛かったろう、それにその後の米本土からの補給路遮断作戦をすれば米国本土を厭戦気分に出来たかもしれない。当時のアメリカは大西洋で苦労していたからあるいは、などと期待してしまう。
あの戦争を断罪した東京裁判、戦勝国の都合で裁かれたから認めないという人たちが未だに居る、でも国民を守るどころか驚くほどの民間人の犠牲を出したこの戦争の結果責任は誰なら裁けただろう。
あの裁判では「平和への罪」とか「非人道行為とか」いろいろな罪名があったが、「国民を守れなかった罪」とか「無為無策による被害の甚大化」などは多いに問われるべきだった。
こんなトホホかつ非合理な戦略や国策はやはり断罪されるべきだろうと思う、誰が裁くかは問題ではない。
あの戦争について誰かが言っていた、”国民は国に命を捧げたが、国は国民を守らなかった戦争”。