日々の恐怖 6月5日 沈丁花(5)
先ほどの祖母の話では、子どもたちの母親が毎年新調しているはずなのですが、目の前にあるそれらは、もう何年も取り替えられていないことが明白でした。
色褪せ、汚れ、あちこち擦り切れています。
「 それなぁ、何年か前に、おかあさん亡くなったんやっち。」
「 それなら、誰かが作り直してあげんと。」
「 いや、それがな。」
そこで、祖母はなぜか小さく笑いました。
「 近所ん人もばあちゃんも、みんな新しいのを作っちあげたんで。
ところが、作っても作っても、気に入らんとお堂の外に放り出されるの。
やっぱり、おかあさんが作ったものがいいんやなぁ。
いくつになっても、子は子、親は親なんやなぁ。」
みんなにお参りされるお地蔵さんの子どもっぽい一面に、私も祖母につられて笑ったのでした。
あれから、20年近くが経ちます。
沈丁花の香りを嗅ぐと、今でもあのときの祖母との会話を思い出します。
実はあのとき、訊き損ねたことがありました。
幼い頃の記憶の中で、見知らぬ子どもは3人いたのです。
ふたりはお地蔵さんだとして、男か女かも思い出せないもうひとりは、誰なのでしょう。
後年になって改めて祖母にそれを尋ねると、
「 よう覚えちょってくれたなぁ。」
となぜか嬉しそうに笑うだけで、教えてはくれませんでした。
ですが、ポツリと一言、
「 あんたに、そう遠くはない人よ。」
と、意味深に呟きました。
祖母の言葉の意味は、当時はともかく今となっては想像に難くありません。
ですが祖母は亡くなり、真実はわからずじまいです。
きっと、無理に暴く必要もないのでしょう。
あのお堂は今もあり、誰がお参りしているのか、お花もお菓子もいつも新しくお供えされています。
色褪せた頭巾とよだれかけは、不思議なことに20年前と変わらないままです。
お地蔵さんたちは、どうしてもそれを手放したくないのかもしれません。
散歩中、ついついそこを素通りしてしまう私は、いつも一緒に歩く息子に、
「 ダメ!」
と叱られます。
そして、子どもに倣ってお堂の前で手を合わせます。
沈丁花の香りの中で一緒に遊んだ、懐かしい友だちを思い出します。
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