日々の恐怖 5月27日 坊さん
お坊さんから話を聞きました。
幽霊と仏教って縁が深いと思ってる人は多いかもしれないが、実はそんなことない。
家が寺だし墓地の隣で生活してるが、幽霊なんて見たことなかった。
なんなら、墓地のド真ん中で寝袋転がして寝れると思う。
蚊とかのほうが怖いくらい。
そんな俺が生まれて初めて体験した話です。
うちはいわゆる兼業を必要としない、お寺の布施収入だけで食べていけるくらいの規模。
といってもマンション経営とか外車乗り回すほど都会なわけじゃなく、葬儀の数もそこそこで、忙しすぎず、暇すぎず 悠々自適な僧職系男子として生活してた。
とはいえ周りは田舎の過疎地 維持するのが難しい寺院も多く、大半が兼業してて跡継ぎに困る寺院も少なくない。
そんな中、住職が夜逃げ同然で無住となった寺から、兼務してくれないか?というオファーが舞い込んだ。
その寺は俺が跡を継ぐ数年前から廃寺同然となっていたところで、檀家の数も50件未満。
正直今の今までどこに頼んでいたのか不思議なくらい、無住となって久しい寺だ。
普通、寺院を兼業する場合はそのお寺の親戚となるお寺が面倒を見ることが多い。
お寺の住職に僧侶の親戚がいることも多く、また、親戚がいない場合でもお寺同士の親戚、というポジションが存在する
住職同士が同じ師匠の弟子である、いわゆる兄弟弟子であったり、大きな寺の末寺である場合なんかもそうだ。
だけどその寺院は親戚のお寺がない上、周りの寺院との付き合いもかなり希薄だった。
檀家のほうもお寺から歩いて行ける距離ばかりで、本当に小さな隠居寺って立ち位置だった。
お寺の兼務って非常に面倒で、自分のところも満足に行き届かないのに、あれやこれやと手がかかるものです。
とはいえ放っておくこともできず、色々と忙しい日々が続いた。
そんな日のこと、住職が一年のうちでもっとも忙しいお盆を控えた夏の日、兼務先の檀家から墓勤めを頼まれた。
目的の墓はそのお寺の境内地にあり、そこまで赴いて檀家さんと一緒にお勤めをした。
長い長い石段を登って、お経をあげたあとまた長い長い石段を降りる。
それでは、と挨拶をして別れ、自分の寺に帰った。
お寺に着いて晩御飯を済ませ、次の日の予定を確認したところ、朝一番に出かけることを思い出した。
遠方の檀家さんの自宅で、朝一番に法事がある。
早朝に出かけることになるんで、明日の準備をすることにした。
いつもの衣をチェックして、持っていくものを確認したところ、数珠がないことに気がついた。
“ 白衣の袂にいれたかな?”
と見ても無い。
帰った時の着替えた状況を思い返しても外した記憶が無い。
車で移動したから、車の中を見に行ったけど無い。
最後に使った記憶があるのは今日の墓勤めの時だった。
“ 墓地に忘れたかなー。
明日の早朝に取りに行くのは面倒だなー。
いざ行って無くても嫌だしなー。”
時間はまだ10時くらいなんで、懐中電灯持ってさっと探しに行くことにした。
数珠なんていっぱいあるから、どれを持って行ってもいいわけだけど、やっぱり使い慣れててお気に入り、ってのもある。
梅雨時期に野ざらしで雨に濡れて汚れるのも嫌だ。
数時間前に訪れた石段のところまで来て、懐中電灯を点けた。
超暗い、さすが超田舎、照らしても石段の先が見えない。
足元だけ照らしてゆっくり登りはじめた時、木魚の音が聞こえた。
そこは小高い丘のような場所のてっぺんにあるお寺で、丘のふもと周辺にぽつぽつと民家が並ぶ感じだった。
大半が丘の上のお寺の檀家なわけで、そこから聞こえてくるのかな、と最初は思った。
なんとなーく石段登りながら周り見るけど、家のほとんどが灯りが消えてる(田舎の老人は寝るのめっちゃ早い)。
まだ半分くらいだから再び足元を照らしつつ石段を登る。
だんだん上から聞こえてくるような気がしてきた。
持ち運びできるような小さくて甲高い音じゃない。
明らかに本堂に置いてあるような、結構な大きさの木魚の音だった。
そこで正直石段を登るのを躊躇した。
この寺院、無住となった時点で本堂の傷みが激しく、改修を指揮する人もいないため、何年も前に本堂自体を解体してある。
丘のてっぺんはサッカー場の半分もないくらいで、墓地と、平地と、周りは全部うっそうとした林、建物なんか一切ない。
一定のリズムで聞こえる木魚、お経とか念仏の類は一切聞こえない。
“ ちょっと痴呆の入ったじいちゃんあたりが墓でお勤めをしてるのかな?”
とも思った。
“ そんなことあるか?”
ぐるぐる思考しながらそーっと石段を登り終えたとき、境内の全景が見渡せた瞬間、音が消えた。
山門とはおよそ言えない小さな門を超え、ぐるっと懐中電灯で照らしてみる。
真っ暗だけど、端まで明かりは届く。
だーれもいない。
昼間にお勤めした墓は端のほうだから、そこに行くまでの道で墓石の間とかも照らしつつ進んでみる。
だーれもいない。
目的の墓まで着いて、色々明かりを照らしてみたけど、数珠が見つからない。
“ 無駄足だったし、なんか怖いし最悪だわ・・・。”
と思いながら、来た道を引き返しつつ周りを照らしてみる。
やっぱり誰もいない。
境内の入り口ってひとつしかないし、その門の足元は砂利ひいてあるから歩くとジャリジャリ音がするし、自分の足音しか聞こえない。
“ ここから聞こえたのは気のせいで、本当は下で鳴ってたのかな?”
と思いつつ門超えて石段に足を踏み出したとき、後ろの砂利からチャリンと軽い音がした。 ビクっとなって石段から落ちるかと思った。
後ろに懐中電灯照らしたら、砂利のとこに数珠が落ちていた。
俺が忘れてったやつ。
ここで一気に鳥肌と冷や汗で軽く頭真っ白になりつつ、急いで数珠拾って石段駆け下りて車に乗った。
車の中で数珠を確認したけど、いつもの俺が使ってる普通の数珠だ。
すぐに車出さずに、5分くらい待機して石段見張ってたけど、誰も降りてこない。
最後に車のエンジン切って窓あけてみたけど、木魚の音とかもしない。
怖いのと意味不明なのとで混乱しながら自宅に帰った。
ハッキリ見てしまった、ってわけじゃないけど、本当に説明がつかなくて驚いた。
心霊体験って大半が勘違いだと思ってただけに、勘違いの余地がない場所であんなことあるか?
人が隠れる場所も無いし、音源を間違うような地形でもない。
数珠の出所も分からん。
なんだか、嫌々ながらあのお寺を兼務していることを咎められているような、後味の悪い体験だった。
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