大峰正楓の小説・日々の出来事・日々の恐怖

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大峰正楓の小説・日々の出来事・日々の恐怖

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A,日々の出来事

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☆(  しづめばこ P574 )                          

日々の恐怖 10月31日 動画編集

2018-10-31 19:02:42 | B,日々の恐怖





 日々の恐怖 10月31日 動画編集





 在宅ワークで動画編集をしているんだけど、その中に不可解なものが混ざっている事がある。
 普段は会社のプレゼン、セミナー、解説教材、結婚式などの動画が多い。
その中に混じって、ひたすらお経を読む映像があったりする。
 それも怖いんだけど、私が見た中で一番怖かった映像の話をします。
その映像は何も映っていない真っ暗な画面からスタートします。
次第にゆっくりと時間をかけて女性のような人の顔が浮かんで来るんです。
おそらく目の錯覚を利用した映像なのでしょうけど、依頼内容が文字起こしだったので全部見ました。
 見終わってクライアントに連絡。

「 音声は一つも確認できなかったので、文字入れはしていません。
申し訳ないのですが、それでも料金は頂きます。」

そう伝えた所、クライアントはあっさりと了承しました。
 料金は文字起こしの場合、1分あたりが50円。
400分の映像だったので2万円いただき、再度依頼されました。

「 今度はしっかりと音を大きくして文字起こししてください。」

 そう言われてしまい、もう一度同じファイルの映像を見る事になりました。
この時、心の中ではタダで2万円感覚だったのですが認識を改めました。
 今度は違う位置に男性の顔が現れ、

「 あぁ・・・。」
「 がぁ・・・。」
「 しにたい・・・。」

などの音声がありました。
 夜中に作業していたのでとても怖かったのですが、きちんと文字入れして確認作業をしたところ、そのコマでそんな言葉は発せられていなかったのです。
 そして映像を見ると、またもや違う顔が現れました。

“ これは目の錯覚なんだ・・・・!”

そう言い聞かせながらも、新しく聞こえた声を上書きしました。
 クライアントは、

“ 寧なお仕事ありがとうございました。
また縁があれば依頼したく思います。”

と、最高評価を私に付け、それから依頼は無いけど、個人的にすっごく怖かったお話です。















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日々の出来事 10月31日 ハロウィン

2018-10-31 07:00:00 | A,日々の出来事_






 日々の出来事 10月31日 ハロウィン






 今日は、ハロウィンです。
もともと、このハロウィンは、古代ヨーロッパのケルト族の収穫感謝祭でした。
この風習がキリスト教に取り入れられ、現在のハロウィンになっています。
 ケルト族では、一年の終わりは10月31日で、この夜は死者が家族のもとに来たり、魔女や精霊が跋扈すると言われていました。
そして、これらから身を守るために、魔除けの焚き火をしたり仮面を被ったりしました。
 キリスト教に取り入れられてからは、この風習は変化し、子供たちがロウソクの点いたお化けかぼちゃを持ち、“Trick or Treat”と言いながら家々を回ってお菓子をせしめる形になりました。
また、家庭ではハロウィンパーティーを開いたりする日となっています。


 ジャック・オー・ランタン(お化けカボチャの火)

 昔、ろくでなしのウィルと言う鍛冶屋がいました。
ウィルは死んでから、死者の門で聖ペテロを騙し、生き返ります。
生き返ったウィルは、ろくでなしのままの生活を送ります。
 そして、再び死んで死者の門に行くと、カンカンに怒った聖ペテロから、天国行きも地獄行きも拒否され、暗闇を彷徨うことになりました。
哀れに思った優しい悪魔が、地獄の劫火から火の点いた石炭をウィルに与えます。
そして、このお化けカボチャの火を持ったウィルは、今も、夜を彷徨っているのです。







  ハロウィン  















☆今日の壺々話






冷凍みかん




 おれんち(実家)が一応高級住宅地にあって、いろんな大使館が近所にあるから、お手伝い雇ってるような金持ち外人がたくさん住んでる。
かっこつけたオヤジが表札をローマ字にしたもんだから、毎年ハロウィンの時には外人宅だと思った外人のガキンチョが“トリックオアトリート!”って叫びながら、いっぱいやってくる。
 最初は、チロルチョコとか駄菓子とか用意してたけど、そのうち面倒になって、昨日の残りの歌舞伎揚げとかおでんとかで済ますようになって、何年か前に冷凍みかんやったら、

「 いらねえよ!」

みたいなことを口走って、ガキどもが逃げて行った。
 腹立って冷凍みかん投げたら、一番後ろを走っていたヤツに当たってひっくり返った。
ザマーミロ!
もう二度とやらねーからな!!
















ハロウィン




 近所のパスタ屋で、“おじいちゃん” と “大学生くらいの可愛い女の子” と “高校生くらいの男の子”の会話。

爺「 ハロゲンやけどな。」
女「 ハロウィンね。」
爺「 そうそう、あの…犬みたいな名前の。」
女「 ジェフ?」
爺「 そう!ジェフ?の英語の塾の!」
女「 生徒さんが来るんだから、変なこと言うたらアカンよ。」
爺「 オーケイ、オーケイ。」
女「 トリックオアトリートって言われたら?」
爺「 オー!プレゼントフォーユー、サンキューベリマッチ!」
男「 クレイジークレイジー?」
女「 真面目にやれじじい、黙れリンデン!」
爺「 ハローチルドレン。」
女「 そうそう。」
爺「 アイアムナイスミドル。」
女「 嘘つくな。」
爺「 ×××××××!(聞き取れない位早い英語)」
男「 クレイジークレイジー。」
女「 ……。」

おじいちゃん無駄に発音が良かった。















       最強の男





「 何処に行っても、お菓子や飴ばっかりくれるぞ。」
「 そうだな、誰も驚かないな・・。」
「 ホント、やァ~ねェ~。」
「 ま、家に帰って、貰ったお菓子でも食べるか。」
「 そうね、仕方が無いわね・・・。」
「 そうしよう。」

数日後です。

「 いででででで!
 もう、イヤ!
 じゃ、狼男さん、お先にィ~。」
「 ギャ~ッ!
 ぐぐぐぐぐうう~。
 もう、早く、家に帰ろう。
 じゃ、魔女さん、お先にィ~。」
「 キャ~ッ!
 いて、いててててててって。
 あら、私としたことが恥ずかしい・・。
 じゃ、吸血鬼さん、お先にィ~。」

「 ムフフフフフ、大儲けだ。
 ハロウィンの後は、かき入れ時だ。
 もっと、歯を抜いてやる!
 こらっ、吸血鬼、何処に行こうとしている!
 逃げようなんて、甘いな!!」







      歯医者




 ふと思い立ち、頭頂部の直径3cmだけ残して、
周囲をツルツルに剃り上げてみた。

その頭で歯医者へ行く。

 病院に到着。
受付で帽子を脱いだ瞬間、周囲から「グッ!」だの「ブフッ!」だの、
押し殺した奇声が聞こえる。

 治療台へ。
担当の女性の肩が、明らかにプルプル震えている。
 治療の合間、うがいの時にボソッと「スイッチ」と言ってみる。
背後から「ウグッ!」と声が響く。
だめ押しで、自分の頭頂部を指で押して「ポチッ」と言ってみる。

「 えひぃえっ!
 ちょ、ちょっとお待ちくだ。
 えひぇひぇひぇひぇっ!!」

泣き笑いのような顔で、女性は奥に引っ込んで出てこなくなった。

















ハロウィン




学生時代にバイトしてた時の話だが

深夜にバイト入ってたら、くまのプーさんの着ぐるみ着た若い兄ちゃんが一人で入ってきた。
“あぁ、DQNきやがった”と思ってたら、

「 すいません、蜂蜜ありませんか?」

と聞いてきた。
“笑ったら負け”と思ったので、

「 申し訳ありませんが、お取り扱いしておりません。」

と返したら、

「 そうですか、すいません。はぁちみつ食べたいなぁ~。」

と店を出て行った。
この時点で笑いかけた。
 その1分後ぐらいに、今度は別の若い兄ちゃんが今度は河童の着ぐるみ(非常に精巧な作り)を着て入ってきた。
“あかん、笑ってしまう”と思いつつも、なんとかそこは耐えたが、兄ちゃんが近寄ってきて、

「すいません、きゅうりありませんか?」

と聞かれて、ついに俺は笑ってしまった。
 河童の兄ちゃんは、よっしゃ!!って顔してたので、

「 きゅうりはございませんが、お皿が乾いてるようなのでお水はいかがですか?」

とネタで返してみたら、

「 ほんまやっ!」

とお皿の部分を触り、六甲の美味しい水を買ってくれた。
帰り際に、

「 3店めでやっとや。すいませんでした。」

と言ってきたので、どうやら俺は試されたらしい。

店の外でプーさんが待ってたようで、

「お前なに買わされてんねん!」
「いや、俺笑わせたし、つっこんでもらえたで。」

俺は別に悪い気しなかった。




こういう馬鹿は嫌いじゃない。

関西らしいな。

着ぐるみ自前なのか。

大阪なら当たり前の罰ゲームです。

深夜に精巧な河童は反則。

ちゃんと水を買うのな。

コンビニの深夜バイトしてて、セーラームーンの格好したおっさんと1対1になったときは笑えなかったけどな。

人生を楽しんでいそうで、羨ましいよ…。

ハロウィンの時に、十数人で仮装して飲んでて、コーラと烏龍茶が切れたので近くのドラッグストアに大挙して買いに行ったことはある。
俺は黒子だった。
中年太りのバニーガールもいた。
モデルガンのライフル持ったアーミーはさすがに店長に怒られてた。

スーパーでバイトしてた時、プーさんやピカチュウのツナギ(着ぐるみ?)を着たおっさんなら来た。















ハロウィン





英語教室でやってろ。

日本で言えばお盆とかナマハゲと一緒だろ。

町内で突然「これから毎年ナマハゲ祭りをしようぜ!」といった所で、地元の伝統でもなければそう易々と出来るもんじゃないだろ。

「知らない人から物をもらってはいけません」という教育をしてるしなあ。
事実、知らない人からもらった菓子なんて怖いし、もらう行為も日本人に合わない。
ただパン屋とか行くとハロウィンフェアとかでパンプキン祭りをするので、そこは良し。
かぼちゃは可愛いし美味しいし良いと思う。

北海道で似たような行事があったはず。
七夕に「ろうそく出せ、出さないと噛み付くぞ」って歌って近所の家を回って、
お菓子とかろうそくをもらうやつ。

雰囲気あって好きだけどなハロウィン。
確かに仲間内でパーティする位にしか流行らないと思うけど。

菓子もらいに行くとか、そういうのいらないから、
単に仮装しながら町歩きたい。
飲み会ただ一度しか出番の無かった、
俺の着ぐるみがやっと火を噴く。

個人的には、どこもかしこも勘違いカップルと子連れで占拠されて慌しいクリスマスよりも
キモ可愛いカボチャお化けだらけのハロウィンのが好きだけどな。

飾りはかわいいのが多いんだけど、
基本的な内容は「西洋に言い伝えられてる妖怪の祭り」だからなぁ。日本じゃなじみが薄い。
唯一受けそうなのは「仮装パーティー」だけど、
外国じゃ魔女とか吸血鬼や幽霊、フレディやジェイソンやゾンビ等のホラー映画キャラ、
それ以外だとバットマンのジョーカーやダースベイダーみたいな悪役キャラがメインだけど
日本じゃコミケのコスプレスペースと同じ状態になってしまうしなぁ。

クリスマスだとツリー飾ってケーキ食う、
バレンタインだととにかくチョコ食う、って感じで
そんなに手間もないけど、
ハロウィンてなんかこう、色々めんどくさくね?
おばけかぼちゃ用意するとか、仮装するとか
菓子をもらったり配ったりとか?

特に最後の菓子のやりとりはぼっちじゃできねえじゃん。
どうすんだよ俺は。

俺あの南瓜が大好きなんだが。

本格的にやるとしたら衣装を用意するのもめんどくさいし
バレンタインのチョコとかクリスマスのケーキや玩具
といった、企業の後押しが少ないから。

毎月定期的にお墓参りしてお供え物を仏壇に供えて、先祖を敬う文化に年に一度お菓子をあげるというモノが特別だとは思えないんだよ。
ついでに言えば、盆があるからなおさら定着しない。

函館の七夕にそういうのあるそうだけど
「竹に短冊 七夕まつり 大いに祝おう ろうそく一本ちょうだいな」
って歌うそうだぞ。

ブームを作ってたマスゴミの力が無くなったからだろ?
それと外国の祭りを取り入れるのに飽きたからじゃね?

子供がお菓子をせびるのは教育上よろしくない。
知らない人から食べ物をもらう危険性を理解してない。
いきなり訪ねられた側は迷惑。
大人は得しない。
西洋のお盆。
怖いツラのカボチャに意味を感じない。

着ぐるみで街中ふらついてたら通報か職務質問されるぞ。
不審人物なだけ。

ハロウィンは仮装もイベントの内だから日本人には受け入れにくいと思う。
しかも年に一度しか着ないような衣装をわざわざ準備するのかよ。
メリットがあるイベントとは思えない。

豊作の恵みに感謝する目的ならともかくお盆だしカボチャだし。
それらしい素材やパッケージのスイーツでも買って終わり。
ハロウィンにかこつけて食事会したり。

つーか家間違えて射殺された留学生の事件の印象が強い。
恐ろしいイベントとしか思えない。

うちの近所は地蔵盆だな。
お地蔵さんを管理している檀家が、
線香持ってお参りに来た子に駄菓子を渡す。
8月25日前後にやってるが、昔はそこかしこの
檀家がやってたけど、今は極端に寂れたわ。

線香とお菓子のバーターは成り立つけど、
「いたずらするぞ」ってのは、脅しだからね。

知らない人にお菓子もらうのが日本の風土に合わないとか言ってる人たち、今でもローソクもらいやってる北海道を日本からハブるのやめてください。地域によってはやってないとこもあるらしいけど。
ちなみにうちのあたりでは
ローソクだーせーだーせーよー、だーさーないとーかっちゃくぞー、おーまーけーにー喰いつくぞー!」
という感じの歌。

・新参者に閉鎖的な雰囲気がある。
・日本人の大多数とは違う価値観を持っている雰囲気が漂っているから入る気がしない。
・日本人は馬鹿騒ぎするのはお酒が入ったときだけ。
・日本的な要素を取り込もうとしない態度が漂っているので、不快な感じがする。(何で深緑色の南瓜でやらないんだよ!)

お菓子なら、弘法大師祭りでもらえるからなあ。

子供のいる家が張り切っても成立しないイベントなんだよね。
近所のガキのためにキャンディ買っておいて、
何回もピンポンされてそのたびに配るなんて嫌だろー。
親も子供がコスプレして変な方向に趣味が行くのも嫌だろー。

お菓子反対コメがあるのは食べ物だからじゃん?
なんか体に悪いもの、極端にいえば毒物とか入ってたら困るから。
ロウソクとかだったらいいと思う。
地域に根付いたイベントならみんな分かってるだろうし。

そもそもハロウィンがなんだか知らない人の方が多いんじゃ?
イメージとして浸透してるのは怖い顔のオレンジかぼちゃってくらいだし。
でも10月になって店頭に並ぶかぼちゃパンとかお菓子とか買うのは好きだw

めんどくせえ

他人と関わりたくない

海外留学してた子供が向こうのハロウィンで
射殺された事件があったよね…服部君だっけ?
あれのイメージがあるからハロウィンは嫌い。

ハロウィン大好きなんだけどなあ…。
コスプレみたいな一部の人向けな感じじゃなくて、誰でも分かる色んな面白い格好をした人が一斉に見られるし、飾り付けも遊び心あるものが多くて楽しい。
手作りの工夫した衣装とか、笑いを全力でとりにいく衣装とかワクワクする。
お菓子を取ろうとするとバッと掴みかかってくる手付きのボウルとか面白かったな。小さい女の子達はお姫様の格好して楽しそうだった。

あの紫色とオレンジ色のギロギロした色彩が受け付けない。

お金にならないイベントはメディアも取り上げないしな。
製菓会社もそこまで注力しないし。

定着しない理由
女にとってプレゼントをもらえるメリットがないから。


















ハロウィンのアメリカ







(その1)
さよなら、ピンキー




 ニューヨークは怖い町である。
地下鉄には一人で乗らないほうがいい。
まして、真夜中には・・・。

 メアリーは、その晩遅く一人で地下鉄に乗っていた。
ブロンクスにある病院に母親を観参った帰りだった。
いつもならタクシーを使うのだが、その日は組合のストライキとかで終日一台も走ってはおらず、しかも彼女は明日朝早くから仕事だった。

 仕方なしに乗った地下鉄だったが、こんな時間に若い女が一人で乗るとなると、さすがに怖かった。
メアリーの乗った車両にはほかに乗客はおらず、彼女は車両の隅っこのシートに身を縮込ませて座っていた。

 地下鉄がハーレムに停まったとき、三人の黒人が乗ってきた。
いづれも若い男だった。
そしてあろうことか、三人はメアリーの真向かいの座席に腰を下ろした。
メアリーはこころのなかで舌打ちしたが、できるだけ目をあわせないように俯いた。
そして自分の降りる駅までそのままやり過ごそうと心に決めた。

 ところが、メアリーは真向かいに座った三人のなかの真ん中の男の様子がどうにも気になりはじめた。
さっきからチョイチョイと目があうのだ。
 その男は両脇の二人とは違って、帽子もサングラスも身につけておらず、だから顔の様子などもすぐに分かったのだが・・・こちらばかりをジッと見つめてくるのである。
目をピンポン玉のように見開き、視線をメアリーの顔に固定して微動だにしない。
 恐ろしさと気味の悪さで顔を上げることができず、たまに地下鉄が揺れるたびに顔をあげると、やはりこちらを見ている。
「はやく駅に着かないかな」メアリーは必死に祈りながら、目を堅くつむったまま下を向いていた。

 地下鉄が停まった。
次の駅についていた。
すると、いままで真ん中の男を両側で支えていた二人の男がやおら立ち上がり、真ん中の男に口々に「じゃあなピンキー」、「さよならピンキー」と言うと地下鉄を降りていった。

 ピンキーと呼ばれた男と車両に二人きりになって、メアリーはますます不安になった。
両側に支えるものがいなくなった男は気分でも悪いのか、シートにグターと踏ん反りかえっているが、両目は相変わらずこちらを見据えたままである。
 これはいよいよ危ない奴と一緒になってしまった、とメアリーが恐怖に捕われた次の瞬間、地下鉄が急停止した。
メアリーは悲鳴をあげた。
ピンキーがこちらに身を乗り出してきたのだ。
反射的に座席を立ったメアリーの目にはピンキーの背中が映った。
メアリーはまた悲鳴を挙げた。
むき出しになったピンキーの背中にはナイフが深々と突き刺さっていた。








(その2)

グリーンリボン




 幼い二人、ジョンとマリーは大の仲良し。
ジョンはマリーの首に巻かれたグリーンのリボンが気になります。

「 どうしていつもグリーンのリボンを巻いているの?」
「 なんでもないわ。」

二人は大人になり、結婚しました。

「 結婚したのだから教えてよ。何故リボンをしているの?」
「 言う必要はないわ。」

年月がたち、マリーは重い病気になってしまいました。
マリーはジョンに言いました。

「 そろそろ返事をしてもいいわね。リボンをほどいていいわよ。」

ジョンはリボンをほどきました。

すると

マリーの首が落ちたのです。
















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10月30日(火)のつぶやき

2018-10-31 02:54:58 | _HOMEページ_





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日々の出来事 10月30日 火星人襲来

2018-10-30 07:00:00 | A,日々の出来事_






 日々の出来事 10月30日 火星人襲来






 今日は、火星人が襲来した日です。(1938年10月30日)
1938年10月30日、ハロウィン特別企画として、オーソン・ウェルズが日曜日の午後八時のラジオドラマに一つの仕掛けをしました。




  ラジオドラマ“火星人襲来”

イントロダクション
「 みなさん、こんばんは、オーソン・ウェルズです。
地球は、人間以上の知能を持った生命体に監視されているのです。」

次に架空の天気予報

「 天気予報です。
今後24時間、温度に変化はないでしょう。
原因不明のかすかな大気の乱れがノバスコシアで記録され、そのため低気圧がやや急速に東北の諸州に向けて南下中です。
現在、やや強い風を伴った雨の予報が出ています。
この天気予報は政府気象台の発表によるものです。
 さて、これからみなさんをニューヨークのパーク・プラザ・ホテルはメリディアン・ルームへと御案内しましょう。
ラモン・ラケーロ・オーケストラによる演奏をお楽しみ下さい」。

ラテンのスタンダード・ナンバー“ラ・クンパルシータ”が1分ほど流れます。
そして、番組は突然中断します。

「 臨時ニュースを申し上げます。
ただいま当CBSネットワークに速報が入りました。
中央標準時8時20分前、イリノイ州シカゴ、マウント・ジェニングス天文台のファーレル教授は、火星で白熱光を伴う定期的なガス爆発を観測しました。
分析の結果、ガスは水素ガスであることが判明しました。
光は現在、非常な速度で地球に向かっています。
この件に関しましては続報が入り次第、みなさまに御報告致します。
それまでラモン・ラケーロの音楽をお楽しみ下さい。」

と言う雰囲気で、この光は地球にやって来た火星人の宇宙船であることをニュース形式で放送しました。
そして、地球に到着した火星人が、いろいろな都市を攻撃し始める臨時ニュースが、緊迫した雰囲気でどんどん流れるのです。
 イントロを聞かずに、番組を途中から聴いた人は、架空のニュースにビックリしました。
テレビは、当時まだありません。
新聞がラジオにメディアに取って代われることを危機と感じていた情報の少ない時代です。
この放送は、アメリカをパニックに陥れました。
 もちろん、これがラジオドラマであることが分かって騒ぎは治まるのですが、この騒動は後に映画化されるほど衝撃的だったのです。






  オーソン・ウェルズ
















☆今日の壺々話







   火星人の子孫たち




 太古の昔、火星人は宇宙船に乗って地球にやって来ました。
地球には青い海が広がっていました。

「 おお、海だ、海だ。
 潜るぞォ~~!!」

“ ドッポ~ン!”

海の底に潜った火星人は宇宙船から出て、あまりの住み心地の良さに感激して言いました。

「 ホント居心地いいよなァ~。」
「 そうだなァ、なにも考える気がしないよなァ。」
「 まあ、このままこの星でのんびり暮らすか・・・。」
「 うん、そうしよう。」
「 じゃ、昼寝の時間だ。」
「 うん。」
「 グ~、グ~、グ~。」
「 グ~、グ~、グ~、ムニャムニャ・・・。」

時は流れて、数千万年後です。

“ ドッボ~ン。”

「 た、たっこで~す。」
「 あ、たこ八郎だ!」
「 仲間だ、仲間だ!」

そして、たこ八郎とタコ達は海の底で仲良く暮らしましたとさ。

                   めでたし、めでたし。

このとき、突然、仲間外れにされた福山雅治が魂の叫びを咆哮します。

「 ボクは火星人であることと、チンコが小さいことをなんとも思ってませんから!」

















深海と火星人




深海って火星と同じくらい調査がまだ進展してないんだぜ!
受験英語でそんな題材の長文があったよ。


遠まわしに言うなよ。
ようするに深海には火星人がいるってことなんだろ?


全然、ちげえよ!
具体的に言うと、深海って火星と同じくらいに調査がまだまだ進展してないんだぜ!


あ、そういうことか。読解力なくてスマソ。
深海には火星人しかいないなんてちょっとビクーリだよね。

だからちげえっつーの!
深海と火星が同じなんじゃなくて、未知の部分の大きさが深海と火星で同じなんだよ。
つーか、火星人の話を俺はしてねえだろ!


ということは火星人がいるだけでなく
深海の面積は火星の面積とほぼ等しいと


ということはじゃねえよ!
未知の部分の大きさは、面積の大きさって意味じゃなくて、未知度の大きさだよ。
100㎡のとこを1時間調査するのと、200㎡のとこを2時間調査するのでは、
面積は等しくないけど、未知度は同じみたいな、そういう感じ?
俺がいつ火星人の話をしてんだ、馬鹿!
















有人火星探査




 NASAが計画している有人火星探査は、行き、探査、帰りがそれぞれ数ヶ月。
面白いのは行きのある地点で、乗組員がこのまま火星行きを希望するか地球に帰還するか、 最終的な判断が迫られるポイントがあること。
その地点を過ぎてから、火星に向かわずに地球に戻るのは燃料の関係で不可能。

 なぜならこのプランを実行するにあたり、有人探査の前に無人探査機を火星に送り込み、 火星に豊富にある二酸化炭素を主原料に燃料を現地で作り、それを有人探査機の帰りの分にあてるから。
片道の燃料しか積まないで火星に向かうなんて……、ちょっと嫌だな。


















シャルル・グロー




 1869年、シャルル・グローという発明家が、一つの画期的なプロジェクトをフランス政府に提案した。
それもずばり、「火星人とコンタクトを取る方法」。
 具体的には焦点距離を火星表面に合わせた巨大凹面鏡を作成し、太陽光線を用いて火星の地表を惑星規模で溶解せしめ、火星人にメッセージを送るというものである。
なお、書き込む内容としては知的存在に共通するだろう知識で、かつ単純明解で象徴性の高いものとしてピタゴラスの定理が有力視された。
 フランス政府はこれを真剣に検討したが、結果的に却下される。
その理由は技術的・財政的なものではなく、
火星人に

“ 侵 略 行 為 ”

として受け取られかねないと懸念されたためであった。


















 ハーバート・シャーマー警察官とシワシワ宇宙人のお話




 1967年12月3日未明、ネブラスカ州アシュランドの郊外の63号線を1台のパトカーが走っていました。
運転するのは22歳のパトロール警官、ハーバート・シャーマー。
 午前2:30頃、シャーマーは前方に点滅する赤い光を発見しました。

「 放棄されたトラックか?しかし何故赤く光るんだい?」

不審に思ったシャーマーが近づいていくと、それはトラックなどではありませんでした。
良く見ようと、パトカーのヘッドライトをハイビームにしたシャーマーは、思わずつぶやきました。

「 何なんだ、あれは…?」

道路から8フィート(約2.4m)の中空に、窓の並んだフットボール型の物体が浮いていたのです。
物体の表面はアルミのような光沢を持ち、赤い光は窓の中から放たれていました。
 シャーマーは署に報告しようと無線で呼びかけますが通じず、ヘッドライトも消えてしまい、エンジンも動かなくなりました。
シャーマーがパトカーの窓から顔を突き出して見ていると、物体は突然サイレンの様な音と共に炎を噴き、上昇し始めました。
物体はシャーマーの頭上を通過し、急上昇してほんの数秒で視界から消えました。
 シャーマーは懐中電灯を片手にパトカーを降り、物体が浮いていたあたりの地面を調べた後、警察署に帰りました。
そこで、自分の記憶に20分ほどの空白がある事に気付き、ショックを受けます。
 その日の日誌にシャーマンはこう書き残しています。

「 ハイウェー6号と63号の交差点で1機の空飛ぶ円盤を見た。
信じようと信じまいと、確かに見たのだ。」

 数時間後、シャーマーが円盤に遭遇した現場を訪れた警察署長は、そこで奇妙な金属片を発見しました。
後の分析によると、その金属片には鉄とシリコンが含まれている事が判りました。
 自宅に戻ったシャーマーは頭痛と耳鳴りに悩まされ、眠る事ができませんでした。
また、左の首筋に、赤いみみず腫れが出来ているのに気付きました。
その後、逆行催眠を受けたシャーマーは、失った20分間の記憶を取り戻しました。
そこには、驚くべき事実が隠されていたのです。

 シャーマーが催眠下で語ったところによると、物体は3本の脚が伸ばして、やがて着陸。
ハッチが開き、中から数人の搭乗者が出てきました。
1人目がパトカーの前に立ち、四角い箱を構えると、緑色のガスをパトカーに噴きつけました。
2人目の男が運転席に近づき、シャーマーの首筋に銀色の物体を押し付けました。
その時、シャーマーの身体を、チクチクするような妙な感覚が突き抜けました。
 彼らの身長は約1.5mほどで、身体にフィットした銀灰色の制服を身につけ、胸には翼のついた蛇のマークがありました。
彼らの顔は灰色でしわが深く、猫のように釣りあがった目はまばたきしない代わりにカメラの絞りのように拡張・収縮しています。
口は薄く裂けただけで、全く動きません。
 彼らは言葉を発しませんが、シャーマーにはそれが聞こえる。
彼らの耳についたアンテナが意志を伝えていると、シャーマーは感じました。
彼らの一人はシャーマーに円盤を撮影する意図がない事を確認した後、中へ入ることを許可しました。
そこで、彼らのリーダーらしき人物は、テレパシーを使って様々な講義をシャーマーに与えました。
 彼らは遠い銀河からやってきて、地球や金星など各惑星に基地がある。
地球の基地は地下や海底にあり、今日ここに降下したのは、近くの水力発電所から伸びる高圧線から円盤に電力を供給するためだ。
シャーマーは、円盤内部を詳しく案内されました。
 シャーマーに円盤内に入った事は口外するなと念を押したリーダーは、20分後、彼を解放しました。


(↓)ハーバート・シャーマー





(↓)彼の遭遇した宇宙人と円盤。笑っちゃダメですよ、笑っちゃ。




(↓)円盤


しょぼい。

(↓)円盤の中で、偉そうに講釈たれる宇宙人。 しょぼいくせに。




  全身画像。しょぼい、しょぼすぎる…。


 笑うなと言っても笑ってしまいますが、妙に真面目腐った表情が堪らない宇宙人です。
あちこちに基地があると自慢しながら、電線から電気を盗むセコさがいいですね~。
彼らの地球基地には電気が通ってないのかしら。
 ホンット、宇宙人って服装のセンスがないですよねぇ…。
シャーマーはコイツらの事を「ヒト型爬虫類(Reptoid=レプトイド)だと主張しております。
ツバサヘビのマークは彼らが爬虫類である事を示しているのでしょうか?




 しかし、笑ってばかりもいられません。
こんなヘンテコな宇宙人に遭ってしまったがために、シャーマーのその後の人生は大きく狂ってしまったのです。
 一部住民はシャーマーの話しを全く信じず(無理もないが)、信じない事をアピールする為に”シャーマー人形”を車の中にぶら下げたそうです。
シャーマーが交通切符を切っても、にやにや笑って引きちぎってしまう人も多かったそうで、シャーマーも「私にどんな事が出来たと言うんだい?」とインタビューの中で嘆いています。

 後に昇進したシャーマーですが、そんな環境では職務を全うすることが出来ず、警察を辞める羽目になってしまい、奥さんにも逃げられたとか。
その後シャーマーはオレゴン州の民間の警備会社に勤めたそうですが、UFO体験が上司に知られると転職するよう言い渡されてしまったそうです。

こら、しわしわ宇宙人、シャーマーさんを何とかしてやれ!!責任者、出て来い!!

 円盤との遭遇、EM現象、空白の時間、逆行催眠で甦る記憶、インプラント、現場に残された金属片…と、典型的と言えば典型的すぎる、アメリカのアブダクション・ケースです。
しかしながら、UFOとの遭遇はシャーマーの睡眠障害による幻覚だとされております。
いわゆる「高速道路催眠現象」という奴です。
そして、逆行催眠なるモノの中で、宇宙人にアブダクトされたイメージが想起し、こんなストーリーが出来上がったのだと考えられています。
 シャーマーの逆行催眠に携わった心理学者のレオ・スプリンクル(R. Leo Sprinkle )は、「彼の供述が『真実』か、あるいは後から為された『プログラミング』かは判らない。
しかし、本人にとっては『真実』なのだ」とコメントしております。
 シャーマーの体験が幻覚だと言う一番の証拠は、宇宙人によって体内に埋め込まれたとシャーマーが主張する”プローブ”が、精密検査の結果、何処にも見つからなかった事でした。
シャーマーは、それによって、宇宙人から「モニターされている」と考えていたのです。
また、警察署長が現場で見つけた金属片は、ごくありきたりの腐食した金属屑だったそうです。

















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10月29日(月)のつぶやき

2018-10-30 02:52:54 | _HOMEページ_






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日々の出来事 10月29日 チクロと渡辺のジュースの素

2018-10-29 09:29:26 | A,日々の出来事_






 日々の出来事 10月29日 チクロと渡辺のジュースの素






 今日は、厚生省が発癌性の疑いがあるとして人工甘味料チクロの即時使用を禁止した日です。(1969年10月29日)
この砂糖より40倍ぐらい甘くて安い人口甘味料チクロの使用禁止は、いろいろな種類の食品会社に大混乱を起こし、特に漬物屋や缶詰会社が多数倒産しました。




    チクロ復活について

 あの~、実は、このチクロは妙に美味しいのです。
アイスクリームで言うと、値段の高いアイスクリームは砂糖で、安ければたいがいはチクロ入りのアイスクリームでした。
昔のアイスクリームは美味しかったと言う人は結構たくさんいます。
これは実はチクロの美味しさなのです。
 それから“渡辺のジュースの素”ってのも知っていますか?
小袋に入った粉末ジュースをコップに入れ、水を注いでストローでグルグルかき混ぜ飲むジュースです。
また、直接、小袋に人差し指を突っ込んで、指に付いた粉末をペロペロ舐め、指と舌をオレンジ色に染めて食べる食べ方もありました。
 エノケンこと榎本健一が歌っていた“渡辺のジュースの素”のテレビCMは知っている人もいると思います。


     渡辺のジュースの素(CMソング)

♪(´∀`)ノ゙ あ~ら、おや、まあ♪
       ほほいのほい~と もういっぱい
       渡辺のジュースの素です もういっぱい ヽ(´∀`)ノ
♪(´∀`)ノ゙ にくいくらいにうまいんだ
      不思議なくらいにやすいんだ
      へぇへ~ん 渡辺のジュースの素ですよ♪ ヽ(´∀`)ノ


 この “10杯飲んでも50円、一袋たったの5円”と言うキャッチフレーズの“渡辺のジュースの素”を作っていた渡辺製菓もチクロ騒ぎの影響で経営不振に陥り、カネボウフーズに吸収合併されてしまいました。
 追記すると、この渡辺製菓には、林家三平が“お餅も入ってベタベタと”と言うテレビCMの“しるこの素”もありました。
後に、林家三平の奥さんが、テレビ番組で林家三平が宣伝していた“しるこの素”をメーカーが再現して試食したとき、何かが足りないと言ったそうです。
昔懐かしいチクロの味は、いろいろな人の舌に残っているのです。
 チクロはその後、発がん性が無いことが分かり、現在ではヨーロッパで普通に使われています。
でも、日本では悪者イメージが強く復活するかどうかは不明です。








  渡辺のジュースの素

















☆今日の壺々話







    おばあちゃんの卵焼き



 高校生の頃の晩飯に、おばあちゃんが卵焼きを焼いた。
小さい頃よく作ってくれた砂糖がたくさん入った甘い卵焼き。
味覚が大人になってしまった高校生の俺にはもう甘ったるく感じてしまい、ほとんど食べずに残した。

おばあちゃんは笑顔で言った。
「もう大人だもんね・・・、こんな甘いの食べんよね・・・。」

俺は悪気も無く、
「うん、今度は砂糖少ないので作ってね」と言った。

そうするとおばあちゃんは
「そうだね・・・でも、おばあちゃんももう歳だからあと何回作ってやれるかねえ・・・。」と少し悲しそうな顔をした。

 次の日の学校で授業を受けていた俺に、家から急ぎの電話が掛かってきた。
何事かと急いで職員室へ行き、電話に出た俺の耳に母の言葉が飛び込んできた。

「あんたが学校行った後に、おばあちゃん急に具合が悪くなって・・・。」

そこから先のことはよく覚えてない
冷たくなってしまったおばあちゃんが家に帰ってきた後、
俺が何気に冷蔵庫を開けると、
中には俺の名前をサインペンで書いた容器があり、
それを開くと卵焼きが入っていて、
食べるととても甘くて・・・甘すぎて、
何か知らないけど、ぼろぼろ涙がこぼれてきた。
そのことだけ今でも覚えている。

 あれから10年。
冷たくなったおばあちゃんも、また温かくなって、今はハワイへ移住してダイビング三昧の日々です。

えっ ( ̄□ ̄)!?















いたずら


 学生の時、友達にやったいたずら。
そいつのアパートのポストに大量に砂糖を流し込む→「ポストに砂糖入れたのお前らだろう!」っておこられたら、「なめたんだ」「あいつなめたんだ」って皆でヒソヒソ囁く。

 隙をみて、そいつの部屋の合鍵を作成。
深夜、バイトから帰ってきた奴が電気をつけると、野郎4人がコタツの上にチンコをのせて無言で座っている。
「きゅっ」みたいな声を出して、なぜかまた電気を消すターゲット。
耐えきれず全員爆笑。

 風呂が道路に面していたので、入浴中がばれてしまう不幸なターゲット。
風呂のドアの前に着替えを置いておく性質を把握していたので、同色で微妙にサイズの小さいTシャツにすり替える。
押し入れで様子をみていたところ、濡れた子犬のような目をして「くっ…はっ」真摯にTシャツと格闘。
全員耐えきれず笑い悶絶死。
















エビフライ



 小さい頃母親をガンで亡くして以来、父親が毎日家事をやってくれていた。
毎日の食卓は、不器用な親父が一生懸命作ってくれた不恰好な野菜の煮物や、焼き過ぎて少し焦げたハンバーグ、誕生日には量だけは百貨店のお子様ランチに負けない不恰好なタコさんウインナーが山積みになってた。
 下手糞なくせに毎日親父が料理を作ってくれたのは、あんま裕福な家庭じゃなかった事と、子供の口に入るものは親が責任持って作るもんだ、といつも言ってたからだった。

 小学校の頃、遠足の日に作ってくれた不恰好な弁当を馬鹿にしたクラスの奴を馬乗りになって殴ったら、学校に親父が呼ばれて相手と相手の親に謝罪してた。
俺は間違っていない。
殴った理由を聞いた親父に俺はこう言った(少々曖昧だが)、

「とーちゃんが朝早く起きて、一生懸命作ってくれた弁当を馬鹿にしたから殴った。」

親父に怒られると思い、半べかきながら話した俺の頭を親父は笑顔で撫でてくれた。
その夜は、2人でカレー作って「不味いねー」とか言いながら楽しく食ってた。

 中学生になった時、仕事と家事で過労気味だった親父は、家への帰りに無意識だったんだろう。
赤信号に気付かず横断歩道をフラフラ飛び出し、乗用車に跳ねられ救急車で運ばれた病院で息を引き取った。
 俺は家で晩飯の用意していた時で、親父が大好きだったエビフライを作り終えた時、電話が鳴って親父が病院に運ばれた事を知った。
気が動転した俺は、何故かエビフライをタッパに入れ、それを抱えて走った。
運ばれた病院は知っている、家から子供の足で走って30分。
金がない俺は必死に走った。

 集中治療室にいると聞いて行った時、親父は無言で目を閉じていた。
寝ていると思った。
しかし、医者は小さな声で淡々と、親父が死ぬまでのいきさつを話してくれた。
話が終わるより先に、泣きながら親父にしがみ付いていた俺は、医者が最後に何かを伝えてくれていた言葉を聞き逃した。
後から駆けつける親戚、泣き止まない俺、エビフライの入ったタッパだけは離さなかった。

 霊安室に運ばれ、葬儀屋が迎えに来るまでの間、俺はずっと親父のそばにいた。
もしかしたら、エビフライの匂いで目を覚ますんじゃないか。

「 おお、お前が作ったのかぁ!
偉い偉い。
ん!美味い!!」

 そう言って昔みたいに笑って食ってくれるんじゃないかと、馬鹿な考えを起こし、タッパの蓋を開けようとした時、手が滑って床に全部落としちまった。
親父の為に作ったエビフライが・・・・・・。
 俺は泣きながら親父に謝りつつ、落ちたエビフライを食った。
涙と鼻水混じりのエビフライの味。
20年経った今でも忘れられない。














輝け!“オッサン達”



は~ちみつレモン 

駅の自動改札なんて結構最近の話なんだぞ。
定期券はこう手だけを検札の方へ向けてな。

パラソルへんべえが流行らなかったのが不思議でならない

一斗缶のフタを耳にあててパコン→キーーーーン

ドンパッチ… 

8時だよ全員集合派VSオレたちひょうきん族派の抗争

夕暮れの街角 覗いた喫茶店~♪

牛乳の蓋に価値を見い出す

ぴゅー太
日本語BASIC

筋肉痛が1日遅れてくる。

男は黙ってウメ星デンカ

コスモスの自販機と言えば心霊写真と変なバネ

バグってハニーなつかしいなw

噛みつきばあちゃん消しゴム
集めたなぁ。パチモンさえも集めたなぁ。

闇市で裸足の男が靴売ってる。

親父の強権発動により暴れん坊将軍

メタルテープ

バタリアンはオバタリアンの映画だとおもって見てしまた
立派なトラウマです

ルビーの指環は名曲

モーラ
コンバインOK
地球ゴマ
およげたいやき君のパチモン

よーくたべるー
スーイミー

イーグルサムというキャラがいてな…

コロちゃんパック

バンバンボールでババババーン

ロケットペンシルとか

ちゃっぷいちゃっぷい・・・どんとぽち

ルパンのテーマつったら
「♪ルッルッルッルパン(アホやっ!)」だろ……

記憶媒体が普通のカセットテープだった時代があってな…

間違って高いメタルのカセットテープでデータセーブしたのもいい思い出。

階段を下りていくバネ。

バンバンボール。

超人ビュビューンの剣。

背理法を習った日、
丸大ハンバーグの歌大合唱

名前が『だいすけ』

ル~~~レットマ~~~~ン!

わたパチ

10円で出来る、駄菓子屋にあったルーレットマシーン

ゲバゲバってのが記憶にある。

名前に~朗がつく

新八犬伝こそ至高、紅孔雀・笛吹童子は微妙~
真田十勇士に期待とか言いつつプリンプリン物語にはまってた。

ロボダッチ。

パチもんガチャガチャメーカー「コスモス」。

パピコン
ウォーターラインシリーズ
MSX版ミノタウロス:入口でいきなり右を向くとバグ発生
雑誌「ログイン」
ローランド「Dr.Rythm」
コルグ「Poly 800」
ピンポン録音
・・・いくつ知ってる?

にじゅーよじかん! 戦えますかー リゲインー!
とか、忘年会なんかで唄ってたw

ただのこち亀好き

デラックスビッグ1ガムは銀パーツがついててちょっと優越感。

DDT
鳩の肉
パンパン

ダッダ~ン。ボヨヨンボヨヨン。

ス…スポロガム

テレパッチ

手回し計算機

ビック○マンチョコ初代のいたずらシール
ゴキとか畳のこげ跡とか使用中ドアノブとか

ミクロマン

ローラースルーゴーゴー

予防接種の時、1本の注射器で2~3人を処置してた(・ω・)

× 王監督
○ 王選手

足付きのテレビ

0.1度でも角度がズレると映像が乱れるチャンネルダイアル。

白黒の画面に、青や黄色のフィルターをはめてカラーテレビのつもり。

ワルサーP38のモデルガンのスライドを口で引いて、歯が欠けた。

チェリオの王冠の裏

コカコーラのダースベーダ-の王冠集めて自慢

マカロニほうれん荘、娘に読ませたら面白いっていってた。

初代スペースワープ
憧れたが結局無縁だったなぁ

ハイリハイリフレ
ハイリホー
ハリハリフレホッホー!

おおきくなれよ~

今の君はピカピカに光って~♪

メローイエロー

チャンネルまわして。

コカコーラ1.5ℓのペットボトルのフタの裏のめくるヤツ

脚のついたカラーテレビ買ったら金ぴかの置物が付いてきた
干支だったか七福神だったか…

エアチェック

日立パディスコ
でけん玉ブレーク。

ライスチョコレート
ミクロマン
ローラースルーゴーゴー

自宅録音するときにはカセットテープより前にリールテープレコーダーがあってだな…

像が踏んでも壊れない
クーピーペンシル
ボンナイフ

スーパーカークイズ、ヨーヨーチャンピオン

早く人間になりた~~~い

国鉄→JR
営団地下鉄→東京メトロ
電電公社→NTT
専売公社→JT
郵政省→JP+ゆうちょ銀行+かんぽ生命

営団は今でも使っちまう・・・。orz

カップヌードルの自販機があって、実際お湯が出てきて
その場で食ってた。短めのフォークでな。

再現フィルムって興奮したよな!。

川口浩探検隊
土人→原住民→現地人
ブッシュマン→コイサンマン
天動説

「スイートキッス」という名のジュース

仮面ライダースナックのラッキーカード

憧れの自転車っていえば、やっぱり
モンテカルロだな。

テレビのリモコンは本体に内蔵できたよな。

パソコンサンデー 習うより慣れろ

やばい、おれんちだけベータだわ

チクロ禁止になって夢の島に埋め立てられるリリーの缶詰
光化学スモッグ発生で校庭に立てられた黄色の旗
雨上がりに、道路に残る油の虹
駅前で立つ傷痍軍人の爺さん達
夏の空き地、太陽を射るように立ち並ぶキリン草
玄関先で吠えるスピッツ おつかいのご褒美にプラッシー
科学は正義、明るい未来、のはずなのにダダッ暗いSF映画
















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10月28日(日)のつぶやき

2018-10-29 07:56:03 | _HOMEページ_




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日々の恐怖 10月28日 九ノ間

2018-10-28 18:36:23 | B,日々の恐怖







 日々の恐怖 10月28日 九ノ間







 実家の島の話なんだけど、結構古い歴史を持つ島で立ち入ってはいけない場所がある。
九ノ間という地区なんだけど、その一帯には家すら立っていない。
目の前に舗装路はあるけど、九ノ間に繋がる道にだけには舗装路は無い。
急な坂道で工事しにくいとかそういうのもあるんだろう。
高校生の頃はそう思ってた。
 大人になってから寺の跡取り息子であるAさんと仲良くなり、二人でサザエを取りに行く事になった。
島の周りには大量のカゴが入れられていて、島の周りの岩は他所の人がボンベ担いで全部ひっくり返す。
 でも九ノ間だけは無事だからという理由で九ノ間へしばらく通う事になった。
Aさんは寺の跡取り息子だから、霊とかそういうの見えるんだし大丈夫だろう。
そう勝手に思い込んでた。
 九ノ間までは九十九折のような下り坂を300mほど降りるだけ。
現地に着くと良質な大きな岩が陸から見えるほどで、ゴミなどもなく綺麗な海が広がっていた。
 たくさんのサザエを取って帰った。
漁協が定めているサイズより大きい物であれば持って帰っていいという決まりがあるので一応犯罪ではない。
しばらく通ったある日、サザエを取り終わって焚き火しているとAさんがこんな話をした。

「 ここは昔、賭場があって、この周りに変に置かれてる木材とかは、賭場であった長屋を解体したあとなんだ。
 江戸時代くらいからあるもので、村上水軍が仕切ったりしてたらしいんだけど、やり方が汚すぎて、下り坂の左右の森でよく首吊り自殺があったんだ。
その時によく妖怪が出没するようになって、寺の蔵に妖怪の目撃情報とかを記した本があるんだけど、昨日帰る時にそれっぽいの見たんだよね。
だから、しばらくここには来ないようにしない?」
「 それならやめておこうか・・・。」

そういう話になってこれを最後にやめる事になった。
 その帰り道、上り坂の途中でAさんの原付きが止まった。
そして、Aさんは原付きを捨て、急に全力で走りだした。
 何が起こったのか分からないまま、Aさんを追いかけ、法律違反だけど何かやばそうだったので、二人乗りして家まで送った。
 Aさんの家の玄関で、こちらを覗く大きな黒い目玉のような物が見えた事と、原付きを引っ張る黒い影のような物が見えた事を話してくれて、私には見えなかったけど、見えないだけに怯えながら家に帰った。
 それから九ノ間が苦ノ間と昔は表記されていた事を知って、

“ だからなんだ!”

って思うかもしれないが、ゾッとした。















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日々の出来事 10月28日 自由の女神

2018-10-28 10:04:51 | A,日々の出来事_






  日々の出来事 10月28日 自由の女神






 今日は、アメリカで自由の女神像の除幕式があった日です。(1886年10月28日)
自由の女神像は、アメリカ合衆国独立100周年を記念してフランスより贈呈されました。
像の高さは46.05mで、台座部分も含めると93mあります。
 右手にはたいまつを掲げ、左手にはアメリカ独立宣言の日“1776年7月4日”をローマ数字で刻印した銘板を持っています。
王冠の突起は、7つの大陸と7つの海を表し、足元には千切れた鎖と足かせがあり自由の女神像はこれを踏み付けています。
 2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件の際には、自由の女神像もテロの標的となる噂がありました。
このため2001年9月12日から2004年7月までリバティー島への上陸が禁止されました。
 その後、2004年8月、台座部分の内部までの公開が再開されましたが、安全上の理由で頭部にある展望台の再開は見送られました。
そして、2009年7月4日、頭部の展望台は、アメリカ独立記念日に合わせて、入場者数の制限付きながらも再開されました。






  自由の女神

















☆今日の壺々話







       帰還




 ジョン・グレンは、アメリカ最初の宇宙飛行士で、後に上院議員になった人です。
その現職上院議員のグレンが、77歳で再びスペースシャトルに乗って宇宙に飛び出します。
ジョン・グレンが他の6人の乗組員とスペースシャトルに搭乗するためのエレベーターの前に立ったとき、NASAの係官が言いました。

「 搭乗券を拝見します。」

ジョン・グレン以外の6人の乗組員は、サッと搭乗券を係官に出しました。
ジョン・グレンは驚いて係官に尋ねました。

「 搭乗券がいるのか?」
「 そうです。」
「 俺は搭乗券なんて持ってないぞ・・・。」

機長のカート・ブラウンが驚いた顔をしてジョン・グレンに言いました。

「 えっ、搭乗券を貰って来なかったのですか?」

NASAの係官も言います。

「 搭乗券を持っていない人は乗れません。
 これは、規則ですから。」

ジョン・グレンは焦り始めました。

「 う~ん、弱ったぞォ・・・・・。」

そのとき、周りのみんながニヤニヤし始めました。
それに気付いたジョン・グレンはひっくり返るほど笑ったそうです。

 でも、ジョン・グレンには更なる試練が待っていたのです。
スペースシャトルが出発した後の、NASAでの会話です。

「 そうだなァ~、それはいい考えだ。
 帰って来たときは、グレンを猿のコスプレで迎えよう!!」
「 じゃ、俺、自由の女神を埋めてくるよ。」

( 映画“猿の惑星”のラストです・・。)


















    “自由の女神” in Japan




 満員電車内で、俺に背を向けて立ってたOLが、
イキナリ後ろ手で、俺がカバンに差してたペットボトルを引き抜いて、

「 この人チカンですっ!!!」

一斉に集まる乗客の視線の先には、高々と掲げられた俺の飲みかけ十六茶。

俺 ポカーン (゚Д゚) !?

乗客 ポカーン (゚Д゚) !?

OL、自由の女神のポーズで立ち尽くす。

表情は見えなかったが、見る見るうちに首筋から耳まで真っ赤になって行く。
その後ろ姿に激しく萌えました。


















Yahooオークション“自由な女神”





  自由な女神


商品サイズ
見ての通り

商品紹介
自由な女神です。
発送までにぽてっといくかもしれません。
その際は直して、送ります。


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出品者への質問

質問1
とても不自由そうな女神ですが、フランス人やアメリカ人に怒られませんか?

回答1
よく言われますが、モデルとなったものは特にありません。


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質問2
この女神は、どうしてキョドった顔をしているのですか?
困っているのですか?
それなら、この人は本当に自由の女神になれているのですか?


回答2
自由「な」女神ですので、表情も自由となっております。




質問3
なるほど。
ところで、この女神、なんだかオトコに見えるのは気のせいですか?


回答3
こちら両姓となっております。

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質問4
素材はなんですか?


回答4
どんね

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質問5
落札できたらメールかファックスで商品を送ってもらえますか?


回答5
こちらの商品はテレパシーで遅らせていただきます。

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質問6
“鹿児島県 散髪を三発。ドーン。”っとなっていますが、女神も散発されているのですか?


回答6
どうやら最近失恋してショートカットにしたようです。
人生のショートカットもしたのでしょうか?

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質問7
えっ!両性じゃないの!?


回答7
両生類です

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質問8
たべてもいいですか?
また、おいしいですか?


回答8
食いついても構いません。
残念ながら、私も賞味してませんので味はわかりましぇん。

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質問9
最近地震が多いのですが、女神様は地震にも耐えられるのでしょうか。


回答9
自信はあります。

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質問10
燃やしたらどうなるんですか?


回答10
それは燃やさないとわかりませんまさお。

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質問11
私を自由にしてぇえ〜〜ん。


回答11
自由に太平洋を泳いでごらん、自由もつらいもんよ。

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質問12
太平洋を泳いでいたら川が見えました。
川の先には綺麗な花がありましたが、おなかがすいていたので帰りました。
あの川は何ですか?


回答12
いいえ、あれは川ではありません。
それは水溜りです。

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質問13
水溜りが雨も降ってないのに大きくなりました。
なんでですか?


回答13
あなたの心が広く大きくなったからでしょう。

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質問14
99円は高過ぎませんか?


回答14
白いから99円なんです。
百引く一は白。
100−1=99。
よって99円です。

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質問15
なるほど。冴えてますね。
頭いいんだろうなあ、あなた。
で、この粘土細工は置いといて、懐中電灯も付属されるのですか?


回答15
はい、もちろんライトも付いています。
右手に持ってるからライト…、という訳ではありませんが…。
もちろん電池もinしております。
い〜んです。
世界一醜いインテリアとしてもどうぞ。

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質問16
僕は心が狭いといわれているのですが・・・。



回答16
人の心は宇宙より広いです。
だからこそ、これからその心を人より開拓できるぶん得じゃないですか、うやらましいです。

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質問17
今晩は。
こちら重量は、何キロ(何グラム)ありますか? 


回答17
重さでは計れない切なさがこめられています。

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質問18
メール便や定型外は可能でしょうか?
また女神の形状を見ていると、ムラムラした気分になるのは気のせいでしょうか?


回答18
定形外で発送予定です。
薄くはないのでメール便では無理です。
私の人生なら薄っぺらいですけど。
ムラムラされても…、処理は各自にお願いしますw。


-----------------------------------------------------------------------------

結果

自由な女神
99円で落札されました。
おめでとう!
















 ご自由にお使いください




[ご自由にお使いください]
最初は、ほんの出来心だったんです。

 きっかけは2年ほど前にやっていた深夜番組でした。
30分枠の、どちらかといえばマイナーな番組です。
もう終わってしまいましたが、全国ネットでやっていた番組なので、ひょっとしたら見たことがある人もいるかも知れません。
番組の中に、視聴者からの投稿を紹介するというコーナーがあったんです。
他に目立ったコーナーもなく、それがその番組の売りのひとつでした。

 投稿といっても、そんなに大したものじゃないんです。
番組の最後にちらっと紹介されるだけで、視聴者が町でみかけた変な看板の写真とか、飼っているペットの変な行動を撮ったビデオだとか、そういった「ちょっと笑える、シュールな映像」を送って、採用されれば景品がもらえるっていう。

 その番組を見てて、私も無い知恵絞って考えてみたんです。
別に景品が欲しいって訳じゃなかったけど、自分にも何か面白い映像が作れないかなぁって。
そうしたら、ひとつ思いついたんですね、ネタを。
あまり趣味のいいネタではありませんでしたが、私は自分で思いついたそのネタをすっかり気に入ってしまって、早速準備に取り掛かりました。

 用意したのは適当な大きさの板と木の杭、それとロープが一本。
これだけです。
まず、板に釘で杭を打ちつけて、看板をこしらえました。
板には適当なタッチで、手書きで「ご自由にお使いください」と書きます。
これだけなら、何の変哲もありません。
公園の公衆トイレや水のみ場の前なんかによくある看板です。
 次にロープに取り掛かりました。
こっちは看板より簡単です。
一方の端を結び、丸く輪っかにするだけ。
これで準備は整いました。
後はこれを適当に配置して写真を撮れば、ささやかながら私の投稿作品の完成です。

 休日を見計らって、私は郊外の森に車を走らせました。
適当なところで車を降りてロープと看板を担ぎ、森の中を少し散策しました。
程なくして、探していたものは見つかりました。
適当な大きさの、どっしりとした松の木です。
地面から3メートルほどの所に、ほぼ水平に太い枝が張り出していて、私の目的にぴったりと合った木でした。
用意したハンマーを使って、私は「ご自由にお使いください」の看板をその松の木の前に立てました。
それから苦労して木の上によじ登り、大きく張り出した枝に片方が輪になったロープをくくりつけます。
 木から下りて、私は満足して自分の「作品」を眺めました。
「ご自由にお使いください」と記された、即席の絞首台です。
決して趣味のいいものではないと自分でも分かっていましたが、TVに映ればいくらかの笑いは取れるでしょう。
 ところが、いざ写真を撮ろうという段になって、私は少しためらいました。
看板用の木材は近所のホームセンターで買ってきたもので、新品のきれいな板と杭でした。
ロープはさほど気になりませんでしたが、寂しい森の中では、その真新しい看板がどうしても違和感のあるものとして私の目に映ったのです。

 考えた末、私は決心しました。
少しの間‥‥少なくとも何週間かは、これはここに置いて雨ざらしにしておこう。
そうすれば風雨で看板の木も薄汚れて、荒涼とした雰囲気を演出できるだろう、と。
もちろん、「もし誰かに見つかったら」という不安もありました。
誰か良識のある人がこれを見つけたら、腹を立てて撤去してしまうかも知れません。
でも私としてはこれはただの悪戯のつもりだったし、例え見つかったとしても別に犯罪を犯しているわけではありません。
そう考えて、そのことについてはあまり気にしないことにしました。

 看板とロープをそのままにして戻り、私は車で家に帰りました。
それから少し忙しい日々が続いて、気付けば私は自分のしかけた「悪戯」のことをすっかり忘れてしまっていました。

 ふっとそれを思い出したのは、それからちょうど一ヶ月後のことでした。
例の深夜番組はまだ続いています。
すぐに、私は車を走らせました。
忘れていた一ヶ月の間に台風の時期と重なったこともあって、久しぶりに踏み入る山中は草が生い茂り大分様変わりしていました。
私は途中少し道に迷いながら、趣味の悪い悪戯を探して山の中を歩き回りました。
程なくして、それは見つかりました。
 でも、私はそれをフィルムに納めることはできませんでした。
予想した通り、その場は荒涼とした雰囲気に変わり果てていました。
白木で作った看板は灰色に薄汚れ、黒インクで書いた「ご自由に‥‥」の文字は風雨にさらされてうっすらと滲んでいます。
 そして、木にぶら下げたロープには、看板を見た誰かが吊られていました。
髪が長かったので、女性だと思います。
後ろ向きだったので、顔はわかりません。
まだ新しかったのかもう腐っていたのか、それも分かりません。
ただ、ピクリとも動かないその様子から、もう死んでいるのは明らかでした。
力なく手足をだらんと垂らしたまま、彼女は枝をキィキィと揺らして一人で吊られていました。
彼女が風に揺られてこっちを振り返る前に、私はその場から逃げて帰りました。

 怖くてたまりませんでした。
今でも怖いです。
警察に通報することも考えましたが、それも怖くてできませんでした。
警察に通報すれば、あの悪戯が私の仕業だということが分かってしまいます。
厳密に考えれば、私のやったことは自殺幇助になるのでしょうか?
でも別に、罪に問われるのが怖いわけではないんです。
私はほんの悪戯心で看板を作っただけなんです。
でも、彼女を自ら死に追いやったものが何であれ、その原因の一端が私にあると思うと、怖くてたまらないんです。

 あれからもう2年になります。
警察には届けていません。
さりげなく新聞やTVのニュースにも目を通していますが、あの自殺者について何か書かれた記事にはまだ出会っていません。
きっと、今でも彼女は森の奥で吊られているのでしょう。
キィキィと枝を揺らしながら。




















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10月27日(土)のつぶやき

2018-10-28 05:00:22 | _HOMEページ_


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日々の出来事 10月27日 吉田松陰

2018-10-27 07:00:00 | A,日々の出来事_






 日々の出来事 10月27日 吉田松陰






 今日は、吉田松陰が亡くなった日です。(旧暦 安政6年10月27日)

“ 至誠にして動かざるものは、未だこれ有らざるなり。”(孟子)

これは、吉田松陰が松下村塾の塾生に宛てた手紙の言葉です。
この言葉の意味は“すごく純粋な誠の心で動かぬものはこの世にはない”です。
 吉田松陰は、9歳で毛利侯の御前講義をし、小さい頃からその才能を世間から認められていました。
そして、その心に従った実行力は群を抜いており、いささか過剰とも言える行動力を持っていました。
 脱藩してまで日本全国をつぶさに見て廻り、松下村塾を主宰してからは老中の間部詮勝暗殺を企て、ロシア艦隊への密航が頓挫するとペリー艦隊に潜り込む計画を実行して丁重に断られ、この罪で身柄を拘束され江戸に護送されます。
 でも、吉田松陰は捕まったのは間部詮勝暗殺の件と思って取調べでこれをベラベラ喋り、幕閣は“ビックリくりくり”、勘違いと分かった吉田松陰も“ビックリくりくり”、ここで吉田松陰は、“遠島かなァ~”なんて思っていたら斬首となって、“えっ!”と言う訳で30年の人生に幕を下ろしました。
 “行動なき者に語る資格は無い”と言う吉田松陰の門下生からは、新しい時代を切り開く人々である木戸孝允、高杉晋作、伊藤博文等が育って行きました。
吉田松陰は、ムチャはやるけど、結構、いいヤツなのです。










  吉田松陰

















☆今日の壺々話









つボイノリオ




 吉田松陰と言えば、やはりこの人“つボイノリオ”です。

 昔、オールナイトにっぽんでも活躍していました名古屋の有名人、“つボイノリオ”はホントに面白いです。
番組を聴けば、つボイノリオの話術は、なかなかスゴイことがわかります。
 オールナイトにっぽんの番組改変時、パーソナリティが続々降板するのを横目で見つつ、アハハハハ、アハハハハと辞めさせられた理由を有ること無いこと喋って、だからダメなんだァと言って安心し切っていた次の週、“突然、辞めることになりました”と涙の会見、オールナイトにっぽんを去って行きました。
そして、舌禍事件やKBS京都の倒産危機で番組を降ろされるなど、パーソナリティー歴は波乱に満ちたものでした。

 つボイノリオは、今も名古屋で活躍しています。
頑張れ、つボイノリオ!!
また、全国に放送が流れることを心から祈っています。


山下達郎の話

“ つボイさんは実際に会うと、とてつもなく腰が低くいい人だが、いざ歌となると狂気の世界に突入します。”

それでは、ここで、つボイノリオの放送禁止歌を二つほど挙げておきます。





  知る人ぞ知る“つボイノリオ”の放送禁止歌


    その1、吉田松陰物語(18禁)

作詞・作曲 つボイノリオ  編曲 池多孝春

♪ヽ( ・∀・)ノ吉田松陰は夜更けまで
      勉強をしました
      人それぞれに癖はつきもので
      鉛筆の芯を舐める癖
      吉田松陰 芯舐めた
      松陰 芯舐めた♪ ヽ(´∀`)ノ

♪(´∀`)ノ゙鎖国の日本で松蔭が
      東南アジアに 夢はせる
      その中で特に松蔭は
      シンガポールを恋しがる
      吉田松陰シンガポール恋しがる
      松陰 シンガポール恋しがる♪ ヽ(´∀`)ノ

♪(´∀`)ノ゙吉田松陰は南蛮の書物を、
      いろいろ読みました
      その中でもシンドバットの冒険を
      みんなにみんなに見せました
      吉田松蔭シンドバット見せる
      松蔭 シンドバット見せる♪ ヽ(´∀`)ノ

♪(´∀`)ノ゙時の流れは非常なもので
      ついに弾圧の手が伸びる
      役人が大勢遣って来て“御用御用”とわめきたて
      “吉田松陰 神妙にしろい”
      “松陰 神妙にしろい” ♪ ヽ(´∀`)ノ

♪(´∀`)ノ゙捕らえられた松蔭は
      使命 半ばにして 最後を遂げる
      愛する妻や門弟が涙を流し悲しがる
      “吉田松陰死んじゃいや”
      “松陰死んじゃいや やり遂げて欲しかった”♪ ヽ(´∀`)ノ

♪ヽ( ・∀・)ノ時代は変わり 時は過ぎ
      全てのものが変わっても
      歴史が彼を審査する
      吉田松陰 審査する
      松陰 審査する♪ ヽ(´∀`)ノ





     その2、金太の大冒険

♪ヽ( ・∀・)ノある日金太が歩いていると
      美しいお姫様が逃げてきた
      悪い人にネェ 今おわれているの
      金太 守って 金太守って
      キンタマ モッテ♪ ヽ(´∀`)ノ

♪(´∀`)ノ゙しかし金太は けんかが弱く
      友達とやっても 負けてしまう
      腕力に自信のない金太君
      けんかはいつも 負けが多い
      金太 負けが多い 金太負けが多い
      キンタマ ケガオオイ♪ ヽ(´∀`)ノ

♪(´∀`)ノ゙やがて悪人がやってきた
      身の丈2メートルもある大男
      金太と悪人の大決戦
      金太 負けるなとお姫様
      金太 負けるな 金太負けるな
      キンタマ ケルナ♪ ヽ(´∀`)ノ

♪(´∀`)ノ゙悪人は金太におそいかかる
      金太は思わず とびのいた
      アー そこにあったは大きな木
      そのまわりを金太はグルグルまわりだす
      金太 回った 金太 回った
      キンタマ ワッタ♪ ヽ(´∀`)ノ

♪(´∀`)ノ゙悪人はいつか目をまわし
      そのすきにお姫様と逃げだした
      お姫様の美しさに金太君
      目をパチパチまたたいた
      金太 またたいた 金太 またたいた
      キンタマ タタイタ♪ ヽ(´∀`)ノ

♪(´∀`)ノ゙しばらくゆくと二人は
      おなかのすいたのに気がついた
      フト見るとマスカットの木がはえている
      金太はナイフで切ったとさ
      金太 マスカット ナイフで切る
      キンタマ スカット ナイフデ キル♪ ヽ(´∀`)ノ

♪(´∀`)ノ゙おなかのふくれた二人は
      さらに安全なマカオに行くことにした
      行けども行けどもマカオは見えず
      お姫様はイライラして金太に聞いた
      ネェー金太 まだ ネェー金太まだ
      キンタマ ダ♪ ヽ(´∀`)ノ

♪(´∀`)ノ゙そうしているうちにも二人は
      やっとのことでマカオに着いた
      金太とお姫様はマカオに着いた
      やっとのことでマカオに着いた
      金太 マカオに着く 金太マカオに着く
      キンタマ カオニ ツク♪ ヽ(´∀`)ノ

♪(´∀`)ノ゙マカオに着いた金太君
      知り合いのビルをたずねたとさ
      お姫様はそのビルを見て言ったとさ
      まぁ金太わりとましなビルね
      まぁ 金太 ましなビル 金太ましなビル
      キンタマ シナビル♪ ヽ(´∀`)ノ

♪(´∀`)ノ゙中にはいると誰もいない
      伝言板にただひとこと書いてある
      神田さんから金太君へのことづけで
      「 金太 待つ 神田 」と書いてある
      金太 待つ 神田 金太待つ神田
      キンタマ ツカンダ♪ ヽ(´∀`)ノ

♪(´∀`)ノ゙御存じ 金太の大冒険
      これから先はどうなるか
      またの機会をごひいきに
      それでは皆さんさようなら♪ ヽ(´∀`)ノ


“金太の大冒険”の方が、有名だろうなァ~。
負けるな金太を繰り返し叫ぶ“つボイノリオ”は、面白い、結構、いいヤツなのです。

    玄関]・▽・)ノ ぉじゃましましたァ~♪









 2010年11月10日 サンケイニュース


カラオケで金太の大冒険を歌った市職員にセクハラ認定




















若者が国を動かした時代






大政奉還(1867年)のときの年齢(数え年)

 45 勝海舟
 44 大村益次郎
 43 岩倉具視
 41 西郷隆盛 山内容堂
 38 大久保利通
 35 桂小五郎
 34 江藤新平 近藤勇
 33 井上馨 坂本龍馬 松平容保
 32 榎本武揚 天樟院 山岡鉄舟
 31 板垣退助 三条実美 徳川慶喜
 30 山県有朋 グラバー
 27 伊藤博文
 26 沖田総司
 24 陸奥宗光
 16 明治天皇


コメント

若っ!

年寄り連中を完全に封印して、若い実力者だけで明治政府を立ち上げたから日本は強かったんだよな。
基本的には馬力のある働き盛りの人間に舵取りさせた方が国家は回る。

この時代の平均寿命が短いからじゃないの?

確かに江戸時代の平均寿命は短かったがそれは乳幼児の死亡率が高かったから、幼少期乗り越えればそれなりに生きたぞ。

はがねを鍛へるやうに新しい時代は新しい人間を鍛へる。

そりゃ60~80の軍団とその悪政を自家として育った息子が動かしてんだから変革なんてするわけがない。

やっぱり沖田総司はかっこいいなwww

でも忘れちゃいけないな。
ここ上げられた人間たちは、その世代のほんの極一部だってことを。
自分のため、人のため、日本のため、明日の未来のため、
ある者は幕府のもとに集い、新撰組として戦い、
またある者は、攘夷を叫んで京都の夜に暗躍し、
またある者は刀ととも生きることを選んで、西南戦争、新政府軍と戦った。
多くの犠牲があって、皆がそれぞれの意思を持っていた。
勝利者の下には、骸となって散っていった多くの若者の礎がそこにあることを、我々は忘れるべきではない。

これってつまり老害を駆逐した時代とも言える訳だから、
今の時代でも参考になる部分が多いと思うぞ

世の中色々な考えがあって、目指すものが同じ場合でさえ敵対し合って片方が死ぬ事も良くある。
それはそれで良いのやら、悪いのやら?

つまり東のエデンみたいに、日本を食いつぶす老害どもを潰して若者に権力と金の再分配をすべきだな。

岩崎弥太郎もいれてやってくれ。

老害は死ねってことで。

世界でこの30代40代が国を動かしてる国ってあるのか?

無い。
若い世代が立ち上がるのは革命の時のみ。その後徐々に腐敗しながら歳をとる。

「若者」といっても、10代半ばで一人前の大人として扱われ、公に尽くすための教育を受け、それを実践するのに死をも厭わない人々だ。

現代人と同等には語れまい。
「老害」さえなければいいと解った様な気になっている現代人に、同様の覚悟があると言うのか。

別に明治に限ったことじゃない。

とはいっても五十、六十で隠居ですよ。
長生きといっても肉体の衰えは今の時代と比ぶべくもない。

せめて+10歳位で日本がまわれば面白いかもね。
でも、その連中も10年くらいの政治生命(泣
ん?…10年制(立候補してから)って、これ案外面白いかもw

若者にとか若者がとか、誰のことを指してるんだ。
自分が、とか自分たちが、とは言えないくせに老害老害うるせーよ。

でも明治の元勲が全滅したら迷走開始だったぞ。

現代もなにかやれよ、若者くん。

俺は、素でそろそろ革命起きてもおかしくないと思うけどね。
ただ、明治維新のような、キッカケが無いよね。
あの頃は、不甲斐ない幕府と、海外列強との絡みがあって、起ったヤツにもちゃんと正等な理屈があった。
だが、今あるのはただの腐敗だけ。
言って見れば、徳川幕府の中~後期に相当しており、末期ではない。
もうちょっと先の話かな。

「一将功成りて万骨枯る」

あと老害老害言ってる人へ。
明治維新当時、多くの若者は、旗本(幕府)だったり、とにかく薩長土の若者の数十倍の若者がヨソにいた事実を、なぜ見ないフリをしているのだ?
それとも、単に無知蒙昧なのか?

結局は、環境とかだよ。
若者若者つってるけど、幕府側にだって数多くの若い人が居たけど結局維新側とドンパチやったじゃん。

幕末~明治時代は爆発的なパワーをうまく利用した、利用できる天才達の集まりの結果。
ただその爆発的パワーがずっと続くわけじゃないから、その後の成れの果てが現在な。

こういう話題になると一々、茶々を入れないと気が済まないおっさんが多いこと多いこと、
まあこれが日本の現状なんだろうな…。

「幕府側にも若者が」って言ってるやつら、双方とも若者が中心になったから時代が動いたってことじゃねーの?

16で大人と見れば、当時の40はもう若くないし、
こいつらが後に元老として、力を持ち、老人達に権力が集中する構造を作った一因でもあるわけで。

たしか明治維新起こした人たちってほとんどご近所さんたちだったんだよな。

そういや第一次長州征伐の長州側で、和議のために切腹した老中が18ぐらいだったような。

10代20代でも平気で切腹させてた時代だな。

でも明治政府の汚職はわんさかあったよね。

十代半ばで政治に参加できる人間もいた時代の30代40代と、今の時代を比べられてもなぁ。

環境違うやんとしか言いようがない。

家老職の息子は、家老として育てられるわけで、いわゆる旧世代の価値観である封建制度の「世襲制」があったから、若くして政治に関われた。

政治とか国家とかが、彼らにとって「近い存在」だったことが、明治維新の原動力だろうね。

若者じゃないんだよ、覚悟と夢を持つ者が国を動かしたんだよ。
夢を自分で作り出せないヤツ
夢に命をかけられないヤツ
そういうヤツラは若かろうが年寄りだろうが関係ない。

下のほうあんまり動かしてないだろ・・・と思ってたら。

アル・カポネの最盛期が20代ってのは、衝撃だった。

こいつらが若者って言ってるヤツらはどんだけおっさんなんだよ。

逆に戦国末期、江戸初期は経験豊富な老人が世を引っ張ったわけで、平和な世で育った世代で老人になった指導者は老害に、逆だといい意味での化け物になるのかな。

RPGでは10代のひょろひょろ美男美女が世界救っちゃうもんな!20代後半なんてオッサンだよな!

特にオリエントの古代史において、少なくとも200近くの部族・民族が滅んで現代に生き残ってないことを知るべき。
若者と言っても自己に拠を置くヤツはどこまで行っても何かを動かすことは無い。
あの時代は、本気で国がヤバいと思ったから、若者が国を動かせた。


















高須久子


 

 安政五年(1858年)12月26日、吉田松陰が老中・間部詮勝の暗殺計画と梅田雲浜の奪還計画を自白し、再び投獄されました。
 若くしてその才能を認められ、長崎や江戸に遊学し、後に、長州(山口県)萩にて開いた松下村塾から、維新で活躍する多くの弟子を輩出した事で、幕末の英雄とされる吉田松陰、彼は、その人生で、二度、同じ野山獄に投獄されています。

 一度目は、あのペリーが再び浦賀にやってきた嘉永七年(1854年)、前年の最初の黒船来航の際に、黒船見物をした彼が、自分の目で外国を見てみたいという衝動にかられ、密航しようとして失敗した時です。
どうせバレるなら、と自首した松陰の身柄を、幕府から託された長州藩は、萩の野山獄に投獄します。

 そこには、すでに11人ほどの囚人がいましたが、松陰はその中で一番年下です。
最初は周囲から軽く見られていた彼でしたが、しだいに親しくなるにつれ、その関係は変わってきます。
 今は、獄中にいる囚人たちでも、その根底には、皆、それぞれに得意なものを持っていました。
シャバで大工をしていたある者は建築にくわしい。
板前をしていた者は料理にくわしい、とか。
 そのうち、松陰が、長崎で学んだ事を講義すれば、俳句が得意な者がお礼に俳句を教え、絵の上手な者は絵を教える、といった形で、いつしかそれは獄中サークル活動となっていきました。
しだいに、その輪はどんどん広がっていき、やがては看守までが、サークルへの入会を希望し、松陰の講義に耳を傾けるという人気ぶりでした。
この時の教える面白さ、学ぶ楽しさが、後の松下村塾での講義に影響を与えた事は言うまでもありません。

 そんな囚人の中に、一人の女性がいました。
高須久子は、松陰より12歳年上の37歳の未亡人でした。
 彼女は、萩でも300石の高禄の高須家のあととり娘でしたが、養子として婿になった夫が亡くなった後、その寂しさを埋める趣味としてはじめた三味線に、いつしか没頭する毎日を送っていた中、あるプロの三味線弾きの集団と仲良くなります。
芸能で身をたてる彼らは、いわゆる身分卑しき人たちとして、当時は、未だ封建的な身分制度の時代ですから、その交際が日常生活にまで及ぶようになると、頑固な父親がその関係に反対し、藩に届け出たというわけなのです。
 それでも、本来は、獄につながれるほどの重い罪ではないのですが、彼女は、その取調べの時に、悪びれる事なく、「普通の人と普通の付き合いをやって何が悪いの?」と、主張した事が反感を買い、投獄されていたのです。
こうして知り合った二人、久子は松陰の最先端の話に心踊らせ、松陰は久子の人は皆平等という精神に心魅かれたに違いありません。

 もちろん、二人の関係を証明するような直接的な記録は、何もありません。
しかし、囚人たちが、あのサークル活動で残した、いくつかの短歌や俳句には、あたかも、あの万葉集の狭野茅上娘子と中臣宅守ように、歌のみで語る二人の恋の物語が存在するのです。

鴨立つて あと寂しさの 夜明けかな

これは、一年間の囚人生活を終えて、松陰が獄舎を出ていく時に、久子が詠んだ句だと言われています。
『松陰全集』では、「鴨(かも)立つて・・・」となっているのですが、本当は、この部分は「鴫(しぎ)立つて・・・」なのだそうで、それは、松陰の理念である「子義(しぎ)」とかけてあるのだとか、獄中という抑制された中での、ある感情が感じとれます。

 開放された松陰は、その後、松下村塾で教鞭をとる事になるわけですが、ご存知のように、そこで学んだ門下生には、高杉晋作・久坂玄瑞・山県有朋・伊藤博文などなど、もう、数えあげたらきりがないくらいの幕末・維新の志士が名を連ねます。

 しかし、開国か攘夷かで揺れる安政五年(1858年)、幕府が天皇の許しを得ず日米修好条約を締結した事で、反幕府の意志をあらわにする松陰は、老中・間部詮勝の暗殺と、仲間の梅田雲浜(うんびん)の奪還を計画します。
 しかし、その計画は実行される事はなく、松陰は自首、安政五年(1858年)12月26日に、再び投獄されるのです。
この時、松陰は「獄居と家居と大異なし」と書き残していますが、おそらく、以前の野山獄と、今度の野山獄も大異なかった事でしょう。
 誰と特定した書き方はされてはいませんが、何人かの囚人が、以前のまま残っていると語っています。
きっと、その中に、あの久子もいた事でしょう。
なぜなら、この半年の後、松陰が安政の大獄の犠牲となって江戸に向かう時の、二人の歌が残っているからです。

箱根山 越すとき汗の い出やせん
  君を思ひて ふき清めてん  松陰

手のとわぬ
  雲に樗(おうち・センダンの古名)の 咲く日かな 久子

一声を いかで忘れん 郭公(ほととぎす) 松陰

遠く離れて行く愛しい人を、手の届かぬほど成長するセンダンにたとえ、忘れたくないその声をホホトギスに見立てて別れを惜しむ、まさに相聞歌のようです。
そして、安政六年(1859年)10月27日、江戸小塚原にて松陰は処刑されます。

 松陰亡き後の久子は、明治元年(1868年)に、新政府のもと罪を許され、出獄しましたが、父親との関係が修復される事はなく、高須家には戻らなかったと言います。
けっこう長生きしたらしいという噂はあったものの、彼女がその後どのように生きたのか、はっきりした記録も証拠となる品も残ってはいなかったのです。

 ところが、平成十五年、松陰の門下生であり長崎造船所の初代所長を務めた元長州藩士・渡邊蒿蔵の遺品から、一首の歌が書かれたお茶碗が発見されたのです。

木のめつむ そてニおちくる 一聲(せい・声)ニ
  よをうち山の 本とゝき須(ホトトギス)かも 

そして、その末尾には、「久子 六十九才」と。

「木の芽を摘んでいると聞こえてくるホトトギスの声は、維新を成したホトトギスなのかも」
「一声」と「一聲」、「郭公」と「本とゝき須」。
これは、明らかに、あの日、松陰が詠んだ歌への返歌です。
69歳になってもなお、久子の恋は、未だ現在進行形だったのです。
さぁ、あの世で待つ松陰さん!
今度はあなたが彼女に歌を返す番ですよ。

















高知の路面電車





 高知の路面電車は日本が無くした心が残っている。
高知市内を通ると、路面電車のフロントガラスの上あたりに大きく「ごめん」と書いてあることに気づくだろう。
 高知にはかつて日本を支えた最良の部分がまだ息づいている。それは礼節を重んじる心である。
高知県外から来る観光客は路面電車に乗って景色を楽しむことはあっても、電車が街中を走ることで市内の通行を乱し、多くの車や通行人に対して迷惑をかけていることに思いを致すことはないであろう。
 しかし、高知県民は日ごろからそのような小さな出来事を見逃してはいない。いや、そのような日々の礼節を忘れない心こそが、坂本龍馬をはじめとする偉人たちを生み、幕末の日本を転回させたのだろう。
 私は、東京の青山通りを我が物顔に走る高級車を見るたびに、高知の路面電車が「ごめん」とかしこまりながら町を進む姿を思い出すのである。そこには今の日本が無くした心が残っている。



いや、高知には御免線(ごめんせん)という路線があってだな・・・・。


















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10月26日(金)のつぶやき

2018-10-27 06:53:38 | _HOMEページ_


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日々の出来事 10月26日 スリエ曲馬団とリズリー・サーカス

2018-10-26 07:00:00 | A,日々の出来事_




  日々の出来事 10月26日 スリエ曲馬団とリズリー・サーカス




 今日は、靖国神社でフランスのスリエ曲馬団の公演があった日です。(1871年10月26日)
これは日本で初めてのサーカスの公演と言われ、10月26日はサーカスの日と呼ばれています。
 でも、日本最初のサーカスの興行としては、1864年にアメリカのリズリー・サーカスが来日しています。
ですから、こちらを日本最初としている説もあります。
 この二つの説については、判断が分かれるところです。
それは、リズリー・サーカスは、江戸幕府から日本各地での興行をする許可が下りず、実際は横浜の外国人居留地内のみでの公演でしたので、日本最初の解釈をどうとるかで判断は微妙なのです。
 この二つのサーカス公演は、それほど人気が無く、実際にサーカスの人気が世間に広がったのは、1886年のイタリアから来たチャリネ曲馬団を待つことになります。




   リズリー・サーカス

 リズリー・サーカスについて追加します。
このリズリー・サーカスの日本での興行は大失敗に終わり、サーカスは解散となります。
その理由は、リズリーが連れて来た芸人よりも、日本の曲芸の方がレベルが高かったのです。
しかし、リズリーは、興行に失敗しましたが、そう簡単にはめげません。
今度は、日本の芸人を欧米に連れて行く事を考えます。
 1866年5月、リズリーは“帝国日本芸人一座”を組織しアメリカに向け出発します。
日本のメンバーは、足芸の濱碇定吉一座、手品の隅田川浪五郎一座、曲独楽の松井菊治郎一座とマネージャーである渡世人の高野広八です。
 この帝国日本芸人一座は、サンフランシスコ、ニューヨークの劇場で大盛況の成功を収めます。
このときの公演では、綱渡りの梅吉(12才)・手品師の小まん(35才)・独楽回しのつね(9才)の芸は特に人気が高く絶賛されました。
この成功のもとに帝国日本芸人一座は渡欧し、フランス・イギリス・オランダ・スペイン・ポルトガルなど、西欧のほとんどの国を巡業して高い評価を得ました。
 ついでに言うと、1866年、ようやく徳川幕府は留学生や商人に海外渡航の許可証である海外行御印章(パスポート)を発行し始めます。
そして、このパスポートの記念すべき第一号が芸人“隅田川浪五郎”(37才)なのです。








  スリエ曲馬団

















☆今日の壺々話






     帝国日本芸人一座withリズリー



アメリカ

「 うお~、すげ~明るい!!」
「 あれは、ガス灯。」
「 捻ると水が出るぞ!」
「 これは、水道。」
「 うお~、お金がいっぱい!」
「 造幣局です。」
「 あれっ、シルクハットのオッチャンが来たぞ!」
「 第17代アメリカ大統領アンドリュー・ジョンソンです。」
「 ハイド~ド~!」


ロンドン

「 相撲、相撲!」
「 あれは、プロレス。」
「 ババ、ババ!」
「 まだ、ジャイアント馬場は生まれていない!!」


パリ

「 うお~、高い塔だ!」
「 パリ万国博覧会です。」
「 檻の中に変な動物が・・・?」
「 動物園です。」
「 下に水が流れているぞ!」
「 下水です。」
「 あ、ありがと、ありがと。
 お金、貰っちゃった!
 あのオッチャン、誰?」
「 パリ万国博覧会を訪れている将軍名代の徳川昭武さんです。」

しばらくして・・・・。

「 あ、日本からニュースが入りましたよ。」
「 えっ、“明治維新”・・・、何、それ?」

そして、欧米巡業を終えた帝国日本芸人一座はアメリカで解散し、芸人達は世界に散らばって行きました。









       動物たちの問題




☆問題と解答の行間を開けてありますので、答えを考えながら、ゆっくり下にスクロールして下さい。


問1
冷蔵庫にゾウを入れる方法は?




答え
冷蔵庫の扉を開け、ゾウを入れて冷蔵庫の扉を閉める。




問2
その冷蔵庫にキリンを入れる方法は?




答え
冷蔵庫の扉を開け、ゾウを出して、キリンを入れて扉を閉める。




問3
アフリカの草原でライオンが、すべての動物を集めて会議を行うことにしました。
ところが、一種類だけ集まりませんでした。
それは何という動物でしょう?




答え
キリンです。
キリンは冷蔵庫に入っているから。




問4
アフリカのある川はとても浅く歩いて渡れるほどですが、残念なことに強暴なワニが住んでいます。
この川を安全に渡るにはどうずればよいでしょうか?




答え
普通に歩いて渡る。
ワニはライオン主催の会議に出席中です。


一般に正答率は進学コースのマニュアル解答ばかりしている優等生より、普段アホなことばっかりやっているロクデナシ連中の方が高いようです。

















ピエロ




 これは私が中学の時の話。
今は建て直して違うのですが、当時歯磨きをしているとき、目の前に鏡(大きめの丸い手鏡)を立てかけていたので、鏡で後ろにあるドアがちょうど見えました。
 普段は気にしていないのですが、歯磨きの時間が重なったり、お手洗い(当時は廊下を挟んで向かい側の部屋に仏間、そして隣がトイレ)に行く人がいたりすると時々鏡に人が写る。
けれど、それもあまり気に留めていませんでした。
 それが、ある日の事です。
私はいつものように寝る前の歯磨きをしていました。
歯磨きが終り、確か口をゆすいでいた時でした。
 ふと鏡を見ると、ピエロのぬいぐるみが浮んでいました。
それは私の家にあったぬいぐるみで、オルゴールのついた音が鳴ると首が回る、そんな愛らしいものでした。
 また父が何かしていると、私は後ろを振り返りました。
ただ廊下だけが見えています。
 何をからかっているんだと、私は急いで居間に行きました。
その間の時間はほんの数秒でしょうが、そこには私以外の家族が揃って寛いでいました。
慌てた様子の私を怪訝に見ながら「どうしたの?」と尋ねます。

「 いま、お父さんピエロ持っとらんかった?そこで・・・。」
「 ?」
「 お父さんが、なんでそんな事せないけんと?」

 もちろん、父はピエロのぬいぐるみなど持っていませんでした。
もし家族全員で私をからかおうとしていても、ピエロのぬいぐるみは仏間。
そして居間はその隣です。
仏間にぬいぐるみを置こうとすれば、どうしても廊下に飛び出した私とすれ違わないといけなくなります。
 その時になって、私はようやくこの奇妙な事態に気づきました。
私はピエロのぬいぐるみが浮いていると思って振り返りましたが、その時見えるべき『ぬいぐるみを持っている手』を見ていないのです。
その後、私はそのぬいぐるみがいつもの場所(仏間のタンスのガラスケース内)にあることを確認しました。
 ごく普通の愛らしいピエロのぬいぐるみですが、このことがあってからは母に頼んで捨ててもらいました。
あれから家も変わって鏡もきちんとしたものですが、いまだに咄嗟に鏡を見るのが恐いです。
















サーカス






 子供の頃、どうしてもサーカスに行きたかった。

 僕が小学生ぐらいの頃だっただろうか、いつも母親と車に乗って通る自衛隊基地の横の広大な空き地に、突如として大きなテントが現れた。
カラフルであるが、どこか色褪せているテントは魅惑的で、幼き日の僕の心の琴線をブルブルと振るわせたものだった。
 あのテントはなんなんだろう。
あんな大きいテントなんてアリなんだろうか。
考えることはテントのことばかりだった。

 しばらくして、そのテントの正体はサーカスであることを知った。
数ヶ月ごとに地方を転々とするサーカス。
たしか「木下大サーカス」だったと思う。
娯楽もない閉鎖的な田舎町にとってサーカスの到来は話題性抜群で、学校で皆が口々に噂していた。

なんでもクマとかトラとか猛獣が出るらしい。

空中ブランコがあるらしい。

それはそれは楽しい夢のひと時らしい。

 噂が噂を呼び、頭の悪い児童たちはたちどころにサーカスの虜になった。
「俺も行きたい」「親に頼んでみる」、とにかく、誰が話題のサーカスに行くことが出来るのか、それだけが話題の焦点だった。

 とにかく子供にとってサーカスってのは魅力的で、映画「マイライフ」でも子供時代のサーカスにまつわるエピソードが登場し、涙を誘ってくれる。
それだけ僕ら子供はサーカスに魅了されていた。

 映画館すら存在しなかった田舎町。
一年に一度だけ市民会館に大長編ドラえもんの上映がやってきていたのだけど、どういう繋がりかその映画の割引券が必ずと言っていいほど学校で配られていた。
そして、今回のサーカスの入場割引券も、どういう繋がりか知らないけど学校で配られていた。

 今でも忘れない、禍々しいトラのアップの写真があって空中ブランコの写真がある。
あの魅惑のテントの中身をふんだんに表現した割引券だった。
たかが割引券、されど割引券。

 この割引券配布は頭の悪い児童には効果覿面で、普段は大切なプリントすら家に持って帰らない僕ですら大切に大切に、余った分まで大量に持ち帰った。

「 サーカスに行きたい、観に行きたい。これ、割引券。」

家に帰り、元服を迎えた青年のように神妙な面持ちで親父に申し出る。
 しかし、端から分かっていたのだが、ウチの親にこんなことを言っても絶対に通用しない。
欲しい物を買ってもらえることなんてなかったし、行きたい場所に連れて行ってもらえることなんてなかった。
最初から分かってることだった。
 それに、ウチの親父はサーカスだと演劇だとか映画だとか、そういったものを観るという行為が大嫌いだった。
なんでも他人に見せられる、つまりは魅せられるという事実が極度に悔しく腹立たしいらしく、見るたびに歯がゆく思うらしい。
 つまり、プロ野球を観ては野球を出来ない自分が歯がゆいし、サーカスを見ては空中ブランコができない自分を歯がゆく思うらしい。
だから、絶対に無理だって分かっていた。

「 ダメだダメだ。サーカスなんてつまらん。」

案の定、親父の返答は軽々と予想できるものだった。
 けれども、僕だってただでは引き下がらない、ちゃんと代替案を用意して親父との交渉に臨んでいたのだ。

「 今度のテストで100点取ったら連れて行ってよ。」

100点を取ったら連れて行け、そんな条件を出したのだ。
 正直、いくら激烈に簡単な小学校のテストとはいえ、青っ鼻垂らした救い様がないバカだった僕にとっては厳しい条件だった。
100点なんて夢のまた夢、夢の中で、だった。

「 おっしゃ、100点取ったら連れていったるわ。」

親父も「絶対無理」そう悟ったのか気さくに了承してくれたのだった。
 それからが戦いだった。
全然勉強なんてしたことないのにとにかく勉強。
100点を取るため、サーカスに行くため、とにかく勉強して勉強しまくった。
クラス一の優等生に勉強を教えてもらったりもしたし、先生にも質問した。
とにかく分からない場所は何としても分かるまで勉強した。

 その甲斐あってか、その後に実施された理科のテスト、あろうことか見事に100点だった。
もう、受け取った瞬間に膝がガクガク震えるし、「よく頑張ったわね」っていう先生の労いの言葉も聞こえないくらいだった。

いける、これでサーカスにいける。
トラも見れるし空中ブランコも見れる。大興奮だった。
100点取った喜びよりサーカスを見れる喜びの方が明らかに大きくて、まさに五里霧中、夢見心地な瞬間だった。

 どうだ、100点取ったぞ、サーカス連れて行け、さあ連れてけ、ホレ連れてけ、と実際に言うと間違いなく殴られるので、言わんばかりの表情で親父に100点の答案を見せました。
まさか本当に取ってくるとは思っていなかった親父。
ぐうの音も出ないといった表情でマジマジと答案を見つめ、「約束だ、仕方ない」とサーカス行きを了承するのだった。

 これには大歓喜だった。
ついに、あの、憧れのサーカスにいける。
夢のようなあのテントの中にいける。
これほど喜んだことがあっただろうかという勢いで喜んだ。
そして、付随して一緒に行けることになった弟もまた大喜びしていた。

「 やった、サーカスいけるよ、お兄ちゃん。」
「 やったな、お兄ちゃんが100点取ったおかげだぜ。」

微笑ましい兄弟愛も見られ、僕らは手と手を取り合って喜んだものだった。

 サーカスには次の休みに連れて行ってもらえることになった。
その日まで僕ら兄弟は結婚前の新婦みたいな落ち着かない日々を過ごし、サーカスの到来を待ち侘びていた。

 行きたい、早く行きたい、クマを見たい、トラを見たい、空中ブランコを見たい。
いけると分かっているのだけど、その日の到来がまどろっこしくて仕方ない。
早く週末にならないか、休みにならないか。
そんなことばかり考えている兄弟がいた。
そして、その想いが爆発する。

“サーカスごっこ!”

サーカスを待てないバカ兄弟が考え出した遊びだった。
思えばコレが不幸のどん底への第一歩だった。

 これは、近所の6区子供会公園という場所にあった遊戯具を使った遊びだった。
近所の大工が調子に乗って作ったみたいな微妙にアスレチック風な遊戯具の一部に、少しばかり高い場所をロープを伝って移動するものがあった。

 横に伸びた丸太から垂れ下がった何本ものロープを伝い横に移動していく。
それだけの遊戯具だったのだが、バカ兄弟はコレを利用してサーカス遊びをすることを思いついた。

 まあ、簡単にいってしまえば空中ブランコ遊びなのだけど、何本も垂れ下がったロープをほとんど丸太の支柱に巻きつけてしまい、端っこの二本だけにする。
で、その二本を使って空中ブランコみたいにアクロバティックに遊ぼうというものだった。
バカとしか言いようがない。

 端のロープに僕がぶら下がり、もう一方の端に弟がぶら下がる。
ここから反動をつけて左右に動き、あわよくば弟の方のロープに飛び移ったりしたかったのだけど、怖いからやめておいた。
 で、

「 おい!早く飛び移って来い!」

怖くて出来なかった僕は弟にそうするように命じた。
 兄の命令は絶対である弟、逆らえずに反動をつけて動き出す。
その動きはまるでサーカスみたいで、間近に迫った本物のサーカスを身近に感じさせてくれるものだった。

「 よし!今だ飛び移れ!」

 今考えると、この遊戯具のロープはそんなに長くなく、子供一人がやっとぶら下がれるくらいの長さだった。
なのに、僕と弟の距離は3メートル以上あり、たとえカールルイスでも飛び移れないものだった。

「 い、い、い、い、いくよ!」

兄の命令に逆らえず、目を瞑って覚悟を決めたかのように宙を舞う弟。
エネルギーを失い、僕の目の前で無残にも落下していく弟。
無残に地面に叩きつけられる弟。ボシャっという聞いたことないリアルなサウンド。
全てが忘れられないものだった。

「 ぎゃああああああああ~~~!!」

弟の断末魔の叫び。
どうも落ち方が悪かったらしく、明らかに体の一部分に異常をきたした悲鳴だった。
 弟を愛して止まない僕は遊戯具から降り、狂ったように痛がっている弟に駆け寄った。

“ ゆあーん ゆよーん ゆあゆよん~。 ”

そんな擬態語が適切なほど、弟の右腕はプラプラと揺れていた。
後に医者に行って分かったことだが、弟は骨折まではいかないものの、右肩を脱臼していたらしい。
本気でロープに飛び移ろうとした結果、肩口から地面に叩きつけられたのだろうか。

 もちろん、泣き叫ぶ弟を家に連れて帰ると我が家は大騒ぎ。
やれ病院やら、やれ湿布やら、支える木をくくりつけたほうがいい、だとか、父と母が右往左往の大騒ぎだった。

 もちろん、弟が医者に行った後は怒りのアフガンと化した両親にこってり絞られ、親父には頭の形が変わるぐらい怒られた。
まあ、当然のことだけど、サーカスの話もお流れに。

 今でも思うことがある。
あの時憧れていたサーカスのテント小屋の中、あの中には一体どんな世界が広がっていたのだろうか。
それは、夢もクソもないこの世界に潤いを与えてくれるものだったのだろうか。
空中ブランコのようにゆあーんゆよーんと揺れる弟の右腕を思い出しては切ない気分になるのだった。

「 お前は、頭の中がサーカスなのかっ!」

その時、烈火のごとく怒っていた親父が僕に投げつけた言葉。
この言葉の意味は今でも分からない。
















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10月25日(木)のつぶやき

2018-10-26 02:55:10 | _HOMEページ_





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しづめばこ 10月25日 P534

2018-10-25 17:40:18 | C,しづめばこ



 しづめばこ 10月25日 P534  、大峰正楓の小説書庫で再開しました。


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