日々の恐怖 6月27日 声
かなり前の話になる。
ある日、俺は中高時代に友人だった男と二年ぶりに再会した。
そいつと俺が通っていた高校は、まあ平凡な進学校というのか、市内で五番目くらいのレベル、というと想像できるだろうか。
そんな高校の落ちこぼれグループに、俺とそいつはいた。
中途半端なヤンキーですらない、今思うと恥ずかしいツッパリみたいなものか。
で、そいつは三年になってからがらっと人が変わった。
何があったのか知らないが、受験勉強に専念し始めた。
学校にいる間は、休み時間もずっと勉強していた。
俺らとの付き合いを一切断ち、傍から見ると呆れるくらい一心不乱に勉強した。
成績も夏休み前くらいから急上昇し、ついに二学期は試験以外登校しなくなった。
そして、冬休み前の試験では、ついに学年トップになった。
教師も見てみぬ振りをした。
クラスからも完全に浮いて、机の上にはいつも花瓶がのっている有様だった。
俺は密かにヤツに憧れていた。
ストイックを通り越して狂っているようにも見えたが、絶対に中途半端ではなかった。
そんなことができる人間に、俺は畏敬の念を持っていた。
やがて受験シーズンが到来した。
俺は市内の無名私立大に何とか滑り込み、あいつは有名国立大に合格した。
学校でもウン十年ぶりの快挙だった。
卒業してすぐ、みんな浮かれ騒ぎで夜の繁華街に繰り出す中、あいつは飲み会に一度も参加することなく、誰の賞賛も受ける気はないらしかった。
それから二年の月日がたったある日、俺はバイト先の古本屋でヤツに再会した。
うだつのあがらない退屈な日々を過ごしていた俺は、時々ヤツのことを思い出していたのだが、その再会は思いもよらぬことだった。
ヤツは深夜閉店間際に現れた。
一目でその異様さに気が付いたが、最初それがヤツだと分からなかった。
つるつる頭に銀縁めがね、白髪まじりの無精ひげ、がりがりに痩せこけていた。
「 すいません、もう閉店なんすけど・・・。」
俺は立ち読みに耽るヤツに声をかけた。
顔の肌はアトピーで荒れ、眉毛は無かった。
それでもかすかに面影があった。
「 もしかして○○?」
思わずそう訊ねると、ヤツはあらぬ方をきょろきょろ窺いながら、後ずさりするみたいに店を出て行った。
ショックだった。
あれが本当にあいつなら、完全に気が触れていると思ったからだ。
その夜、複雑な気分のままバイトを終え、原付の置いてある駐車場に向かった。
シートからヘルメットを取り出そうとすると、不意に背後から声を掛けられた。
ヤツは自動販売機の影に潜んでいたらしい。
「 俺のこと分かるのか?」
突然のことで驚いたが、俺はすぐに気を取り直して答えた。
「○○だろ?」
「本当にそう思うか?」
ああ、やっぱりこいつ頭がおかしくなってる。
「 中学からの付き合いだ、忘れるわけないだろ。」
俺は悲しくなってヤツの肩に手をかけた。
「 俺××だよ。
そっちこそ俺のこと忘れたのか?
それより、どうしてここにいるんだ?
向こうの大学に行ってたんじゃないのか?」
ヤツは何も答えず、頭を手でなでている。
「 立ち話もなんだ、どっかファミレスでも入るか?」
「 いや、人がいる所じゃ緊張してしゃべれない、誰もいない静かな場所がいい。」
ヤツはそれだけ言うと、自分の自転車にまたがった。
そして行く先も告げず、いきなり立ちこぎしながら走り出した。
辿り着いた場所は、倉庫が立ち並ぶ埠頭だった。
ヤツは自転車を降りると、自動販売機でお茶を買った。
それから防波堤に腰掛け、ポケットから薬袋を取り出すと、幾つかの錠剤を飲んだ。
その間、会話は無かった。
俺が隣に座り、二,三話し掛けるが、目を閉じてうつむいている。
成す術もなく真夜中の海を眺めていると、ヤツは急に切り出した。
「 俺はもうすぐ死ぬけど、これから話すことを信じて欲しいんだ。」
「 自殺する気か?」
驚いてそう言う俺の顔を、ヤツは初めて見つめた。
「 医者の馬鹿にはこう言った。」
ヤツは落ち着いて、至極まともに見えた。
「 俺は悪魔に魂を売った。
その返済が近づいてる。
返済を拒否してるから、俺は毎日責められてる。
どいつもこいつも同じ事を言う。
精神分裂病だとさ。」
ヤツは取り留めの無い話を始めた。
それをまとめるとこういうことだった。
“ ある日、頭の中で声がした。
『俺の言うとおりにしろ。そうすれば、おまえの希望を叶えてやる。』
ヤツは最初その声を無視した。
その声は、ある時は歌いながら、またある時は怒鳴りながら、しつこくヤツに語りかけた。
ヤツはとうとう根負けして、その声に耳を貸した。
「会話が成立したんだよ。ここが分裂病と違うところだ。」
ヤツは声の主にその証拠を見せろと言ったらしい。
「あの体育教師が事故って死んだだろ。」
ヤツを目の敵にしていた教師が死んだと言うのだが、そんな事実は無かった。
「A子から告ってきたよ。」
学校でも美人で人気があった女の子が、ヤツに付き合ってくれと言ってきたそうだが、彼女は他の男とずっと付き合っていた。
俺がその事を否定すると、ヤツは自信ありげに答えた。
「新聞の切り抜きもあるし、A子からもらった手紙もあるんだ。」
おまえの妄想だと言うと、ヤツは笑いながらぼろぼろになった学生証を見せた。
「最初のうちはうまくいってた。受験勉強なんて睡眠学習だけだったしな。」
ヤツは声のアドバイスに従って、一日中寝ていたそうだ。
「でも一人暮らしを始めてから、おかしな事がずっと続くようになった。
見たことも無い景色を見て、会った事も無い人間のことを覚えていたりした。」
偽りの記憶と本当の記憶の狭間でヤツは混乱し、誰からも相手にされなくなったと言う。
さらに、偽りの記憶の方が鮮烈だったりして、ヤツの現実は圧倒されてしまったらしい。”
ヤツは激しく混乱しているのは明らかだった。
話をしている最中も奇妙な仕草を取った。
突然額の上の部分を押さえて、また声が聞こえてきた、などとうめいた。
俺に耳を当てて聞いてくれと言うのでその通りにしたが、何も聞こえなかった。
支離滅裂な話に数時間付き合わされたせいで、こちらもひどく消耗してしまった。
「 俺はお前のことを覚えていない。」
ヤツにそう言われて、かなり安堵したのは確かだ。
こちらの手におえる話ではない。
係わり合いになるのも嫌だと感じ始めていた。
「 お前もすぐに俺のことを見失う。」
一瞬ヤツの表情が変わった。
はっきりと悪意を感じた。
「 こいつは俺のもんだ。」
背すじがぞっとした。
ヤツは甲高い笑い声を上げながら自転車にまたがった。
俺はヤツを引きとめ、ヤツの正体を確かめようとした。
その時だった。
「 おいっ。」
背後から声を掛けられた。
振り向くと、何も無かった。
そこには暗く深い海が広がっているだけだった。
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