日々の出来事 7月31日 杉原千畝
今日は、杉原 千畝が亡くなった日です。(1986年7月31日)
杉原 千畝は日本の外交官で、第二次世界大戦の際、外務省の命令に反してリトアニアでユダヤ人が亡命できるようにビザを発給しました。
このビザによって6000人にのぼるユダヤ人が救われたと言われています。
その後、ヨーロッパ各地の領事館に勤め、第二次世界大戦の終結のおり、在ブカレスト公使館で家族と共にソ連に身柄を拘束され1年間の収容所生活を送ります。
1947年に日本へ帰国、外務省からビザ発給の責任を負わされ解雇通告を受け、語学の才能を生かして企業に転職しました。
イスラエル政府より、多くのユダヤ人の命を救出した功績で、日本人では初で唯一の“諸国民の中の正義の人”として“ヤド・バシェム賞”を受賞しています。(1985年1月18日)
杉原 千畝の言葉
なぜ私がこんなことをしたのか知りたいのでしょう?
そうですね、実際に難民が目に大粒の涙をうかべて懇願してくるのを実際に見れば、誰でも憐れみを感じるでしょう。
それは同情せずにはおれないようなものです。
かれら難民の中には、お年寄りや女の人もいるんです。
彼らは必死のあまり、私の靴にキスさえしていました。
ええ、そういう人を実際にこの目で見ましたよ。
それに、当時の日本政府はまとまった見解がないように感じていました。
軍部はナチスの圧力を恐れていましたし、ほかの内務省の役人は単に態度を決めかねているだけでした。
日本の人々は統一した見解をもっていないようだったので、彼らとやりあうのは馬鹿らしいと思いました。
それで、彼らの返事を待たずに事を進めることに決めたんです。
あとで確実に誰かから叱られるだろうとは思っていましたが、自分ではこれが正しいことだろうと思いました。
人々の命を救うのに悪い事は何もないはずですからね・・・。
それは人間愛、慈愛、そして隣人愛といったようなものです。
こういったものにより私はこの最も困難な状況にあって、自分のしたことを思い切ったわけです。
そしてこうした理由により、私はさらに勇気づけられて先へ進みました。
杉原千畝
☆今日の壺々話
樋口季一郎の体験
樋口季一郎(ひぐち きいちろう、1888年8月20日 - 1970年10月11日)は、日本の陸軍軍人です。
最終階級は陸軍中将です。
1938年3月、ユダヤ人がナチスの迫害下から逃れるため、ソ連~満州国の国境沿いにある、シベリア鉄道・オトポール駅まで避難していた。
しかし、彼らは亡命先に到達するために通らなければならない満州国の外交部が入国の許可を渋り、足止めを食らっていたのである。
樋口はこの惨状に見かねて、ユダヤ人に対し、直属の部下であった河村愛三少佐らとともに即日給食と衣類・燃料の配給、そして要救護者への加療を実施、更に膠着状態にあった出国斡旋、満州国内への入植斡旋、上海租界への移動の斡旋等を行った(オトポール事件)。
樋口は「彼ら(ユダヤ人)の何千人が例の満洲里駅西方のオトボールに詰めかけ、入満を希望した」と書き記しているが、芙蓉書房は彼の手記にある数字を勝手に2万人に改竄している。
樋口がナチスの人種差別政策に激しい憤りを抱いていた背景には、かつてポーランドやドイツに駐在武官として赴任していた頃寄宿しようと一般家庭に尋ねて行くと、東洋人であると言う理由でことごとく拒否され続けていた。
しかし、あるユダヤ人の一家庭だけが樋口を温かく迎えてくれたという、彼自身の体験が根底にあったためである。
ドイツ式釣り師スタイル
ドイツは『釣り免許』ってのがあって、免許を取らないと魚釣りができない。
んで、釣りやってると通りすがりの通行人とかが次から次と「君、魚釣り免許見せなさい」とか言ってくる。
つまり一般市民全員が取り締まり官やってるようなもんだ。
正直、ムチャクチャうっとおしい。
なので、『釣り免許』を拡大コピーしたやつを背中と胸に貼付けて釣りをするのが、ドイツ式の釣り師スタイル。
自分の名前や生年月日を宣伝しながら釣りしてるようなもんだ。
時々現れる謎の釣り人が実は伝説の釣り師だった、
って漫画の展開が出来ないじゃないか。
それどころかドイツでは『天才少年釣り師』とかが存在できない。
釣り免許の難易度が、大人でも何度も落とされる難しさなので。
年齢制限無いけど、ペーパー試験と実技試験両方受かるのは子供には実質無理。
日本でもそのくらい自然環境を大事にしてれば、馬鹿バサーによる環境破壊がなかったのにな。
どうりで三平がヨーロッパに行かない訳だ。
カモ許可証
カモ狩猟管理官はカモを3羽手にしているハンターを呼び止めました。
彼は自分のバッジを示し言いました。
「 きょうは、いい日だったようですね。
カモを調べてみてもいいですか?」
ハンターはうなずき、管理官にカモを渡しました。
管理官は1羽のカモの肛門に指を入れ、指を抜いて臭いを嗅ぎました。
「 これはワシントン州のカモですね。
ワシントン州狩猟許可証をお持ちですか?」
ハンターは財布から許可証を抜いて管理官に見せました。
管理官は2羽目のカモの肛門に指を入れ、それを嗅ぎました。
「 これはアイダホのカモです。
アイダホ州狩猟許可証をお持ちですか?」
ハンターは許可証を見せました。
管理官は3羽目のカモの肛門に指を入れて、それを嗅ぎました。
「 これはオレゴンのカモです。
オレゴン州狩猟許可証をお持ちですか?」
今度はハンターも少しイライラしながらオレゴン州の許可証を示しました。
管理官はすべてのカモと許可証をハンターに返しながら言いました。
「 すべて、OKですよ。
ところで、あなたはどちらから来たんですか?」
ハンターはズボンを下ろしました。
狩猟免許
嫁は料理が美味い。
それは認める。
前に知り合いに猪肉を貰ったのでボタン鍋をしてくれて、滅茶苦茶美味かったので誉めまくったら、狩猟免許と銃の所持許可免許を取って猟に出る様になった。
なんでそうなるんだ。
天敵のいない日本のイノシシは年を追うごとに増えまくり、畑どころか人を襲う例もでている。
駆除できる人たちは高齢化が進み、どこも後継者不足。
経験者として嫁さんに心よりエールを送る。
真冬の脂の乗ったイノシシをさばいて2日も吊すと旨味が増すよ!
狩猟用の銃は許可証が無いと使用や所持もダメ。
許可証は基本、都道府県公安委員会の審査と指導、講習および市町村長の推薦が必須。
だけど話を通す的な意味合いで、現在ではどの自治体でも仲間の猟友会の紹介も必要(法律上では必要なし)。
時間もかかるし金もかかる、一朝一夕じゃ猪は狩れんよ。
前に銃(と言っても俺は競技用だったが)を持ってた。
講習&筆記試験→実技試験→銃の購入→登録の流れで3か月くらいかかったかな。
試験は午前中講習、午後試験て感じだから車の免許より簡単だし、実技は25発中1発当たれば合格とかなんで意外とハードル低い。
狩猟免許は知らんが、監督官庁が違うからたぶん並行して手続きできると思う。
むしろ散弾銃って銃本体も高いし弾もけっこうな値段するんで、その金を用意できた嫁はすごいと思う。
近所の人が肉を貰いに来るなら、イノシシやシカを昔から食べている地域なんだと思う。
害獣駆除のメンバーが少なくて困ってる所ばっかりだから、そこの猟友会に若い人が入ってくれるなら、地元メンバー大喜びだと思うよ。
イノシシといえば、大学の部活の先輩が襲ってきたイノシシを死闘の末に殴殺したって言って牙で刺された太ももの傷を見せてくれたっけな。
何部?
弓道部。
早退
そうこれは高校2年、国語の時間の俺の思い出だ。
先生 「今日の授業は、昨日の続きの・・・。141ページ、前から3行目からですね。
今日は9月10日だから出席番号10の山田君!教科書読んで。」
俺 「 はい…、最近家の姉が色づいてきました。」
先生 「 !? …その字は姉じゃない柿だ。」
この後、俺早退した。
担任の許可無く早退した。
マスゴミの報道編集について
“航空自衛隊のパイロットは、何故「ベイル・アウト(緊急脱出)」を二回叫んだのだろうか?”
1999年11月22日午後、航空自衛隊入間基地所属のT33型ジェット練習機が入間川河川敷に墜落しました。
その際、東京電力の高圧送電線を切断し、東京・埼玉の約80万世帯で停電となりました。
電線切断による停電は都市のもろさの再認識となり、マスコミの論調は私の知る限り「税金の無駄使い」的な、冷淡なものであったと思います。
ところが、別な観点の紹介がありました。
当日のニュースステーションで(私は普段テレビをほとんど見ず、この番組も見ていませんが)、国際コンサルタントの岡本さんという人が出演しており、事故のお詫びをする防衛庁長官の画像についてコメントを求められ、
「 私の事務所でも停電のためにコンピュータが止まり、大いに迷惑はしているが、今の報道を見ると、脱出用パラシュートも開かぬままとなっており、脱出のチャンスを失ってまで、住宅地への墜落を回避した可能性が高い。
であれば、パイロットの行為は人間の尊厳に満ちたものであり、にも関わらず、まず、この行為に対して、長官が哀悼の意を表しなかったとすれば、ご遺族の方々は、何と思うだろうか、誠に遺憾である。」
と語ったそうです。
実際には防衛庁長官は会見で、亡くなったパイロットへの、哀悼の意を表したそうです。
報道の編集作業の恐さですね。
報道には必ず「誤報」があります。
意図したもの、せぬものがあるでしょう。
しかしそれ以上に恐ろしいのは「編集」です。
簡単には「強調」と「省略」です。
又、このような会話がありました。
「 ベテランのお二人は、最低安全高度については熟知されていた筈ですから、二人とも『自分が助かるため』に脱出装置を使われたとは思えないのですが。」
「 自衛隊パイロットへのインタビュー記事でしたか、こんな記述を読んだことがあります。
もし住宅密集地の上空でエマージェンシーに遭遇したら、どうするのかとの質問に対するパイロット氏の答え、
『 被害を最小限にとどめるため、最後まで操縦を続ける覚悟はあります。』
と言い切った上で、
『 ただ、最後の瞬間に、わずかでも時間があれば、脱出装置は作動させます。
そうしないと、脱出装置を整備した整備員に、要らぬ心配をかけますから。』
とのことでした。」
産経新聞2000.8.3朝刊から「自衛隊半世紀」と題する特集記事が始まっており、プロローグとしてこの事故が取り上げられています。
その冒頭で、
なぜ、航空自衛隊のパイロットは「ベイル・アウト(緊急脱出)」を二回叫んだのだろうか。
と、記しています。
「 パイロットはベイル・アウトを通報した後、十三秒後にもう一回、同じ言葉を叫んでいた。」
この十三秒は、正に上記の、
『 被害を最小限にとどめるため、最後まで操縦を続ける覚悟はあります。』
に合致します。
そして、
『 ただ、最後の瞬間に、わずかでも時間があれば、脱出装置は作動させます。
そうしないと、脱出装置を整備した整備員に、要らぬ心配をかけますから。』
を、完璧に実現しています。
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