日々の恐怖 5月20日 挨拶(1)
彼は若い時から、同い年の奥方と仲睦まじい夫婦として評判だった。
残念ながら子供はなかったが、その分いつまでも恋人気分で、二人きりの生活を楽しんでいた。
ところが、五十代半ばという若さで、奥方は不慮の事故で亡くなってしまった。
彼は深く悲しみ、しばらくは食事も手につかないほどだったいう。
ある朝のこと、目覚めた彼はいつものように、遺影の奥方に挨拶をした。
すると、遺影から、
「 おはよう。」
と返事があったのだ。
その後も、彼が遺影に話しかけるとおうむ返しのような返事が返ってきた。
写真の裏に何か仕掛けがあるのかとも疑ったがそんなことはなく、声は幽霊か幻聴か、そのどちらかであると思われた。
しかし、彼にとってはどちらでも関係なかった。
はじめこそ驚いたものの、懐かしく優しい奥方の声が、ありしの日のように自分に語りかけてくれることが、何よりも嬉しかったのだ。
朝な夕な、食事時、出勤時と帰宅時と、まるで生きていた時のように奥方の写真に話しかけていると、そのうちおうむ返しだった返事も変化してきた。
奥方の方から声をかけてくれるようになり、
「 お疲れさま。」
「 今日は何をしたの?」
と問いかけてくれるようになった。
ところがそんな生活が半年も続いた頃、彼は家に帰るのが億劫になっていた。
あれほど嬉しく感じていた奥方の言葉が、負担になっていたのだ。
「 おはよう、あなた。今日は何をするの?」
「 どこに行くの? 誰と出かけるの? お帰りはいつ?」
「 今日は何がありました? 夕飯は何を食べるの?」
生前の彼女はこんなにも詮索好きだったかと、自分の記憶を疑ってしまうほど、奥方は彼の行動を逐一知りたがった。
童話・恐怖小説・写真絵画MAINページに戻る。
大峰正楓の童話・恐怖小説・写真絵画MAINページ