前回の素人なりの問題意識と別に、専門家はどう考えているんだろうとネットなどを調べてみましたが、特に手続き的な部分に言及してピンとくるもの(今までマスコミで言われていた以外の切り口のもの)が見つからなかったのですが、雑誌「判例時報」の1977号(2007.10.21)に「裁判する心(司法改革の流れの中で-第20回全国裁判官懇話会報告-)Ⅱ 」という記事がありました。
裁判官がどういうことを考えているのか、というのは普段ほとんど表に出ないこともあり、また、対談形式のためもあってか裁判官によってかなりスタンスの違いがあることもわかり、興味深く読みました。
以下面白かったところを一部引用します。(「A裁判官」とあるのは原文もそのような匿名表記になっています。でも、イニシャル風なのでわかる人にはわかるのでしょう。)
※ 内容が濃く、ちょっと長いので2回に分けます。なかなか模擬裁判に入らなくてすみません。
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【O元裁判官】
・・・裁判員制度の導入によって、必然的に争点中心のわかりやすい迅速で充実した審理が実現し、捜査中心から公判中心の刑事司法になるというような楽観的な見方を取ることは到底できません。 (中略) 今の刑事司法の最大の欠陥は精密司法ではありません。それは精密司法ではなくて、精密捜査です。捜査が不当に肥大化し、捜査が完了したときには、実質的に見て、一審の裁判は、捜査すなわち密室における証拠調べによって終了しているということdす。すなわち、一審の有罪判決が言い渡されていると言ってよい状態になっている点にあります。いわゆる調書裁判も、このような密室裁判と結びついてはじめて大きな問題となるのです。
第二次世界大戦前の日本の刑事一審の裁判は、予審終結決定と同時に実質的に終わっていました。先後の刑事訴訟法の改正により、検察官と警察官とは旧法のもとで捜査官と予審判事が持っていた権限のほぼすべてを掌握しました。これを制約するものは、裁判官の令状捜査と刑事訴訟法319条1項及び320条1項による制約だけだといってよいでしょう。ところが、裁判官の令状審査も、刑事訴訟法319条1項及び320条1項、321条1項2号による制約に対する判断が有名無実となっていることは、ご承知のとおりであります。だとすると、公訴提起と同時に実質的に一審の裁判が終わっている事態になることは、当然のことと言えるのでありましょう。そのような状態のところに、早急に一審の審理を簡明化すれば、その結果がどうなるかはおのずから明らかではないでしょうか。 (中略)
(参考)
第三百十九条 強制、拷問又は脅迫による自白、不当に長く抑留又は拘禁された後の自白その他任意にされたものでない疑のある自白は、これを証拠とすることができない。
第三百二十条 第三百二十一条乃至第三百二十八条に規定する場合を除いては、公判期日における供述に代えて書面を証拠とし、又は公判期日外における他の者の供述を内容とする供述を証拠とすることはできない。
第三百二十一条 被告人以外の者が作成した供述書又はその者の供述を録取した書面で供述者の署名若しくは押印のあるものは、次に掲げる場合に限り、これを証拠とすることができる。
一 (省略)
二 検察官の面前における供述を録取した書面については、その供述者が死亡、精神若しくは身体の故障、所在不明若しくは国外にいるため公判準備若しくは公判期日において供述することができないとき、又は公判準備若しくは公判期日において前の供述と相反するか若しくは実質的に異つた供述をしたとき。但し、公判準備又は公判期日における供述よりも前の供述を信用すべき特別の情況の存するときに限る。
公判手続きを簡明化しながら、無罪の発見という刑事裁判の最大の目的を達成しようとすれば、全取調べ過程の完全な可視化、必要性の判断をも含めた厳格な令状審査、特に罪証隠滅についての厳格な審査、伝聞法則の例外についての厳格な解釈、自白法則の厳格な適用が必要不可欠であると思われます。ところが、現在せいぜい公判後の保釈の判断がやや緩やかになったということぐらいで、このようなことが早期に実現される見込みはまったくないというのが私の見方であります。 (中略)
たとえば、当初否認していた被疑者を100時間取り調べて(それは通常の状態です)自白させ、最後の数時間分だけの自白調書がつくられ、被害者その他の重要参考人も何回も呼び出されて取り調べられ、最終的に被告人の自白調書と整合する供述だけが調書に録取され、被告人についても、参考人についても、供述の変遷過程はメモか何かに残されるだけで、被告人側には開示されない、公判での被告人質問はどんなに長くやっても数時間しかできない、証人についても同様、と言うような事態は容易に想定されます。従来無罪判決の多くが、供述の不合理な変遷をとらえて無罪判決への突破口としていたこととの関係をどう考えたらよいのでしょうか。 (以下略)
【K裁判官】
・・・ただO元裁判官は供述調書に引っ張られたままの今の刑事事件の状態で裁判員制度を導入したらひどいことになると言われましたが、本来、刑事訴訟法は供述調書は例外的にしか使わないシステムとしてできております。それを実際上変えて運営しているのは実は裁判官なんです。その裁判官の意識を、すなわち裁判主体そのものを変えるということが、裁判員制度のひとつの大きな眼目だと思っています。つまり、先ほど言いましたように、市民感覚、柔軟な感覚を取り入れた裁判をすることのできる裁判体が生まれるわけです。六人の市民裁判官が加わるわけですね。そういうこれまでとまったく異なる裁判体に対して、今までのように刑事訴訟法に書いていないような運用はまったく通用しないのではないでしょうか。 (以下略)
【丙裁判官】
・・・一番大事なことは、やっぱり直接その人から話を聞くと言うことなんだろうと思います。口頭主義・直接主義って簡単に言いうとそういうことじゃないかと思います。
今も否認事件だと一応証拠調べで証人呼んでますけれども、正直言って肝心なことが聞けてないというか、余計なことばっかり聞いている。それはなぜかというと、その人の体験事実を公判で聞くのではなくて、先ほどO元裁判官のほうからご意見があったように、調書が取られているということが前提となって、その調書を法廷で再現しようと検察官は尋問しているし、それから弁護人も調書を見てますので、その調書の細かいところを前提にして聞くという尋問をやっていると思うんですね。だからその意味では、形の上で証人を調べていても、本当の意味での口頭主義、直接主義になっていないんじゃないかと僕は思うんです。それを理念的に言いますと、やっぱりその場で証人に、被告人にももちろんですけど、あなたはどういう体験をしたのかというのを直接聞けるような実務をつくるというのが大事じゃないかなと、この点では考えています。
【司会・丁裁判官】
この点については、例えば検察官なんかは今どういう動きなんですか。
【丙裁判官】
検察官の動きは具体的にはちょっとわかりませんけれども、公刊されているものを見ると、検察は今のところ捜査をあんまり変えるという意識は持ってないと思われます。いかに適切な起訴、適切な公訴提起をするかというのは維持すべきだということもちゃんと書かれていますし、それから捜査の問題については、基本的に変えるつもりがない。典型的なのは自白の任意性に関して、東京地検で可視化を試行しているのですが、あれはあくまで検察官が任意性立証のために有益である、必要であるという事件を選んで立証方法として有益だというものについて録画をするということのようですので、一般的に可視化するという、いわゆる可視化の議論とは全く異なる考え方というか、試行方法でしか今のところはないというふうに理解してます。
【P弁護士】
・・・今の裁判をどのくらい変えなければならないかですが、丙裁判官やK裁判官がおっしゃったように、要するに、刑事訴訟法の原則に戻ればいい、ということだと私は思います。つまり弁護人は、書証は原則全部不同意にするということですね。その上で、証人を呼ぶことが訴訟経済に著しく反するとか、証人ではかえってわかりづらくなるとすれば、検察官と合意書面をつくって、わかりやすく争いのない事実を裁判員に提示する。
そして調書が使われなくなると、捜査の側もあんなに厚いものはつくらなくなるのではないかと考えます。また例によって楽観主義なんですけど・・・。
(中略)
弁護士会ですが、ここはまだ議論があるところだと思います。私が申し上げた意見はかなり極端な意見かもしれませんが、ただそれに賛同してくれる人も多い。しかし弁護士も、骨の髄まで調書裁判主義がしみついております。ですから、この準備の二年半の間に、いろいろな実験をしてみたらいいと思います。ゆまり調書を今までどおり使う、あるいは簡単にして使ってみる。あるいは、私が申し上げたように、原則全部使わずにやってみる等。そして、その実験の場には必ず一般の人に入ってもらう。我々プロがそういった試行錯誤を続けて、失敗をして恥をかいていけば、結局行き着くところは、丙裁判官のおっしゃるように、人から直接話しを聞く、そういうところに収斂していくのではないかと思います。 (以下略)
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現在の調書中心の裁判の進め方の方が実は刑事訴訟法の本来の「口答主義・直接主義」と乖離しているんですね。
そこに「本則どおり」の裁判員制度が導入されるのは正常化へのいい契機かもしれませんし、逆にプロの裁判官だけなら方針転換も力技でできるのでしょうが、素人の裁判員にもわかるようなレベルで進める、そのために公判前整理手続でいかに効率的かつ公平に証拠や論点を整理するかが重要になってくるということなのでしょう。