フルートおじさんの八ヶ岳日記

美しい雑木林の四季、人々との交流、いびつなフルートの音

久保田彰「チェンバロ 歴史と様式の系譜」

2011-11-30 | グルメ・クッキング

今日は朝から暖かいので、暖房が要らない。外気温3度、室温17度、湿度21%。もちろん霜は全くない。いい天気なので、山々は霞んでいる。

昨日Kさんから読んでみてくださいと言われた久保田彰「チェンバロ 歴史と様式の系譜」を読む。DVDブックなので、文章読みながら、同時に映像と音でも理解できるようになっている。チェンバロはモーツアルトの「フィガロの結婚」でなんとも言えない優雅な音を聴かせてくれるが、ではチェンバロとは何かと問うとよくわからない。それが手に取るように理解でき、またその装飾の美しさにも築かせてくれるのがこの本だ。

筆者の久保田彰は、楽器としてのチェンバロを作成するだけではなく、それに実に鮮やかな装飾もほどこすという、将にトータルとしてチェンバロを作る人だからこそ、こんなことがきるのかもしれない。

巻頭にかの林望さんが「知る喜び、聴く愉しみ、そして見る面白み」と題して巻頭言を寄せている。ギターのように弦をはじいて発音する楽器を撥弦楽器(はつげんがっき)といい、チェンバロもその一つだ。鍵盤で弦をはじくという構造が15世紀末に現れたという。その構造は非常に複雑なので、理解したとは言えないが、実に巧妙な力の伝達装置があり、最後に弦をはじくところまで行くのである。

チェンバロの魅力は楽器としての美しい音色だけでなく、その内部・外部が美しく装飾されているところにもある。DVDにはチェンバロの素晴らしい演奏が載せられていて、これを聴くのも楽しかった。これを時の王侯貴族、ブルジョア階級などが部屋の装飾品として珍重した。ところが、18世紀末のフランス革命の動乱で、チェンバロは支配階級を象徴するものとして、すべて破壊されたという。

久保田氏は、ピアノの発明が音量的に不利なチェンバロの衰退の原因だという、これまでの俗説に真っ向から反対を唱えている。「チェンバロの実践的研究の立場では、衰退の要因は市民革命など社会事情や、音楽の趣味の変化によるもの」とのことである。そうしたチェンバロの装飾・構造を見ながら、ヘンリー・パーセルやフランソワ・クープラン、バッハのフーガなどが聴けるのがいいではないか。

午後、森を散歩する。暖かい日差しが森の中に入ってきて、森の中は明るい。

空は真っ青だ。

畑の様子を見に行くと、ブロッコリーが大分大きくなり食べごろになってきた。

その後、冷蔵庫のなかが大分寂しくなってきたので、食材の買い出しに出かける。平日の昼は、さすが「きらら」は空いていた。「きらら」専用の買い物かごを持って行くとレジで、専用かごに買った物を丁寧に詰めてくれるのがありがたい。丁度、かご一杯分になった。

アダージョの森に帰り、大分暗くなってきたが、明日から天気が下り坂なので、柴拾いをやっておこう。それが済むと夕食の準備だ。今日も、買い物に行ったので新鮮な刺身が手に入った。ということで、今晩のメニューはいつものように湯豆腐と手巻き寿司にする。この組み合わせは、何故か飽きが来ないのでいい。

夕食を食べ終えたのは今日も早かったので、食後フルートの練習をする。今日はまだフルートを吹いていない。基礎練習をゆっくりやっていると1時間ほどかかった。その後、「シチリアーノ」「ユーモレスク」「アルルの女 メヌエット」を何回か吹いた。やはり、「アルルの女」が問題で、ミスが目立つのが気になった。今日で11月も終わり、明日からいよいよ師走だ。