宮城県知事公館から新坂を下り、澱橋方向に行くと、坂下に澱不動尊がある。
時々通る道だ。この不動尊に立ち寄った。正面左に板碑が立っている。
澱(よどみ)不動尊
(仙台市青葉区広瀬町)
正面左に板碑がある
左手に文永十年板碑
板碑は昭和11年(1936年)にこの付近で発見され、ここに建てられたとの事
建立は留守家3代家広かと言われる
留守氏は鎌倉時代から岩切城を拠点に活動した。その後16世紀前半頃に伊達氏の傘下となる。
板碑の説明
作られたのは文永10年
(西暦1273年)
材質は粘板岩
仙台市指定有形文化財
☆板碑(いたび)
板碑は主に中世仏教で使われた供養塔である。板石卒塔婆(いたいしそとば)・板石塔婆のことである。
鎌倉時代から安土桃山時代(13世紀~16世紀)に作られた。盛んに作られたのは、鎌倉時代から室町時代前期である。江戸時代に入ると廃れ、墓石が普及する。
☆粘板岩(ねんばんがん)
泥(粘土)は高い圧力を受けると脱水し硬くなる。泥(粘土)→固結粘土→泥岩→頁岩→弱い変成を受け粘板岩の順である。
粘板岩は堆積面で板状にはがれる性質がある。屋根瓦(スレート)や硯に使われる。硯での雄勝石(産地:宮城県石巻市雄勝町)は有名である。