まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

サトイモの 露またひとつ 消えにけり

2009年08月21日 | 自然
 いつまでも暑くて・・・何をする元気も出ないが、何かをしないと・・一日が永い・・・。そうは言っても・・、今から涼しくなってしまうと、それこそ冬が長くなって・・大雪にでもなったら、それも困ってしまうので、やはり、暑いときには暑いままでいてもらわねばなぁとも思ってみたり・・。

 

 我が家のマシン室(パソコンがあるお部屋)には、こんなものが掛かっている。温度計で・・32度、湿度が・・60%ちょっと・・。だから・・そんなに暑くて暑くてたまらないほどではなくなってきた。日陰にいれば風が通って気持ちがいいような時期だな・・。

 でも・・、ご近所で稲刈りをしている夫婦をみていたらば、それはそれは暑そうだった・・。日のあたる場所で・・体を動かせば・・暑いんだろうなぁと思う。でも、今は・・ほぼ、全自動だから・・昔ほどには稲の束を運んだり、収穫したモミを袋で運んだりしなくても済むようになったので、多少は楽にはなったんだろうと思う・・。もう、数年も・・そうしたお仕事をやっていないもので、体感的にはわからなくなってきてしまったけれど・・。

 

 収穫をしたモミを・・大砲みたいな煙突から・・トラックの荷台に流し込んで・・、それを農協さんのカントリーエレベーターに運べばクレーンで処理してくれるらしい・・。だから、人力はほとんどいらなくなったような・・。

 でもまぁ・・屋外で作業をするんだから・・涼しいわけはないな。

 退職して・・時間ができたんだから・・また、おコメでも作れば?って、言われるけれど、もう、勘弁してよね・・って、言ってしまう。一度、お休みをしたらば、もう、戻るには・・何倍も勇気も元気も費用もいるものね・・。

 

 暑いときには・・この「ひやかけ」というのがおいしい。つめたいおうどんに、冷蔵庫で冷やしたお出汁をかけるだけなんだけれど、これが冷たくて、さっぱりとして・・たまらない。これで・・170円だから安いよね。

 ま、こういうものばかり食べるから胃がおかしくなるのかも知れないけれど、暑いときにはこれがたまらない。暑いときには熱いものを・・って、いう人もいるけれどね。

 

 最近は・・・気温が高いものか・・「ミーンミーン・・」っていうミンミンセミが激しくなくようになったし、朝夕には・・「カナカナ・・」というヒグラシがよく鳴くようになった・・。ま・・、ずっと鳴いているのかも知れないけれど・・、やはり、晴れた日にはセミの声がよく通る・・。

 やがて・・日が落ちてしまうと、今度はクツワムシがにぎやかになるんだけれど。そうなると・・、さすがにエアコンはいらなくなってしまう。

 

 でも・・、小学生の夏休みの宿題ではないが、私の今年の夏休みの宿題・・。

 ① お袈裟の研究 ②万華鏡の製作 ③高見島の研究 ④庄松さんの研究・・。
そのどれもが・・、みんな・・中途半端。11月の文化祭までには・・なんとか形に仕上げないといけないけれど、大丈夫かな・・。

じゃぁ、また。

故郷の 偉人の影の 暑さかな

2009年08月21日 | 歴史
 今日も朝から蒸し暑いような気候で・・・、連日、エアコンの中でパソコンばかり叩いているのも精神的にも肉体的にもよくないなぁと考えて・・・。

 だからと言って、お散歩に出たり、ウォーキングをやったりするには蒸し暑さすぎる・・。熱中症になっても困るしね・・。

 で・・、前から気になっている場所へ行ってみようと思ったわけだ。

 

 これが、さぬき市志度というところに、今年の3月にできた・・「平賀源内記念館」。以前には・・源内先生旧宅というのがあって、そこに遺品館というのがあったんだけれど、その遺品館を移転して新築したのが、この記念館らしい。

 一階が展示室で・・エレキテルの模型とか、著作とか書物とか・・源内先生に関する資料を展示してあったり、DVDでの勉強とか・・。二階は研修室みたいだった。

 

 ま、小学生とか中学生あたりが勉強するにはいい施設かも知れないけれど、どういうわけだか・・石川とか千葉とかの県外ナンバーの車で中年の夫婦連れあたりが見学をしたり、お土産を買ったりしていた・・。

 入場料はおとな500円で、旧宅や薬草園も見学できる。

 

 旧宅は・・そこから西に約500mくらい離れているので、今回は車で移動した。気候がいいと、古い街並みを散策してみるのもいいものだし、この街の良さがわかるってものだ。そうそう、ここは・・桐下駄の産地でもあって、小さな下駄屋さんや下駄工場があるので、そのあたりをのぞくのも楽しい。

 

 で、こちらが・・源内先生の生家といわれる建物で、今は「旧邸」と呼んでいるらしい。ここに鉄筋の遺品館があるが、ここにあったものを記念館に移転したらしい・・。だから、遺品館は物置になってるそうだ。

 旧邸はお土産屋さんみたいになってるし、ここも研修設備のようだった。焼き物とか薬草などの勉強をするみたい・・。

 裏庭が薬草園になっているが、なるほどなぁ・・と思う程度。そんなに面積も広くはない。平成16年の台風の高潮で全滅状態になって、今は復元途中みたい・・。

 

 で、今回、ここを訪れたわけは・・・、

 

 これだ・・。これだ・・ではわからんが、これが「平賀源内」の銅像で、郷土の生んだ天才彫刻家の「小倉右一郎」が作ったものだという。確かに、そう、刻んである。

>昭和9年(1934)10月、平賀源内先生顕彰会により建立される。
作者は小倉右一郎[明治14年(1881)~昭和37年(1962)]。
台座には杉田玄白の“嗟(アア)非常ノ人、非常ノ事ヲ好ミ、行イ是レ非常、何ゾ非常ニ死スルヤ”が刻まれている。 
小倉右一郎は、さぬき市寒川町石田出身。東京美術学校彫刻科本科を首席で卒業。文展では特選を4回連続し、第三部彫塑審査員を続ける。代表作に上野国立図書館前の「小泉八雲」、靖国神社の「忠魂碑」。香川県では満濃池畔の「弘法大師」銅像、坂出常盤公園の「三土忠造」銅像。

 という説明文がある。

 一方、うちのお寺の勝覚寺にある庄松同行の作者は・・

>1881年香川県大川郡白鳥村に生まれる。1903年香川県立工芸学校を卒業、07年東京美術学校彫刻本科を卒業する。翌1908年第2回文展に入選し、以後入選を続けた。1915年第9回文展で「行人」が三等賞受賞、16年第10回文展で「暗路の人々」が特選となる。以後も文展、帝展に出品を続け、1956年第1回香川県文化賞を受賞する。1962年死去。以下略・。

 らしいという・・。

 全く・・おなじような経歴だが・・、生まれと出身地が違う・・。おそらく、同一人物だとは思うのだが・・ここだけがやや疑問・・。

 その確認というか、証拠調べみたいなものか・・。

じゃぁ、また。 

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