天気 時々大雨
西日本を縦断する台風の余波の雨が、時々強く降る一日。
写真は百日草。今はジニア、と英語表現をするらしい。子供の頃に住んでいた村では、お盆の切り花としてどの家も庭に咲かせていて、私の好きな花だった。
終戦の日になると、この花を思い出す。
当時、東京から疎開した我が家は、母の実家の遠縁にあたる大農家の離れに暮らしていた。その日、玉音放送を聴くため、大人たちは母屋の縁側に置いたラジオの前に整列していた。我々子供は、静かにしていなくては・・という空気だけは解っていたと思う。大人たちから離れたところで、私は退屈な「放送」を聴きながら、庭先の百日草の間をちょろちょろしていた。色とりどりの花の林は、4歳になったばかりの私の背丈ほどに思えた。終戦のあの放送よりも、百日草の方が私には記憶に残っている。
という日は、義弟の忌日でもある。夏休みを友人と好きな海釣りに行っだ伊豆の海で、台風の余波の大波に攫われた。29歳、秋に結婚を控えていた。その2年前に義父母を相次いで病気で亡くしていたから、長男の我が家は親替わりでもあった・・・・
今日は夫の見舞いに、亡甥の奥さんが来てくれた。当時近くに住んでいた甥は、4歳になったばかりの娘を残して急死した。その日が8月13日。その娘は高校受験で勉強に明け暮れている。
悲しみの記憶はどんどん遠くなっていく。それでも、この時期を楽しく過ごせることはなかった。今年もまた。
おとうとの忌日や供花と缶ビール KUMI
西日本を縦断する台風の余波の雨が、時々強く降る一日。
写真は百日草。今はジニア、と英語表現をするらしい。子供の頃に住んでいた村では、お盆の切り花としてどの家も庭に咲かせていて、私の好きな花だった。
終戦の日になると、この花を思い出す。
当時、東京から疎開した我が家は、母の実家の遠縁にあたる大農家の離れに暮らしていた。その日、玉音放送を聴くため、大人たちは母屋の縁側に置いたラジオの前に整列していた。我々子供は、静かにしていなくては・・という空気だけは解っていたと思う。大人たちから離れたところで、私は退屈な「放送」を聴きながら、庭先の百日草の間をちょろちょろしていた。色とりどりの花の林は、4歳になったばかりの私の背丈ほどに思えた。終戦のあの放送よりも、百日草の方が私には記憶に残っている。
という日は、義弟の忌日でもある。夏休みを友人と好きな海釣りに行っだ伊豆の海で、台風の余波の大波に攫われた。29歳、秋に結婚を控えていた。その2年前に義父母を相次いで病気で亡くしていたから、長男の我が家は親替わりでもあった・・・・
今日は夫の見舞いに、亡甥の奥さんが来てくれた。当時近くに住んでいた甥は、4歳になったばかりの娘を残して急死した。その日が8月13日。その娘は高校受験で勉強に明け暮れている。
悲しみの記憶はどんどん遠くなっていく。それでも、この時期を楽しく過ごせることはなかった。今年もまた。
おとうとの忌日や供花と缶ビール KUMI