天気 晴
写真は、閉じ込められた氷の中の熱帯魚・・ではなく、すべて手作りのガラス製。群馬・月夜野のガラス工房前の川にかかる橋の欄干に並ぶ擬宝珠が、みなこの作品になっていて見事だった。10年前のスキーの帰路に寄ったときの写真。
昨日の午後は、膠原病の診察だった。去年11月の診察で、寒くなってどのくらい強皮症の症状が出るか診たいので、と寒中を診察日にしたもの。ドクターの11月の予想的中で、前の冬はこんなにひどくなかったのに・・という具合に、一昨日のブログのような状態。的中した、なんて当たり前、膠原病の専門医なのだから。でも私の周りには同じような患者は居ないし、介護士も良く知らない人ばかり。
末梢の血管の細いことと血の巡りの悪いことは若い頃からのことだ。採血の時には20代から看護師泣かせだった。若い頃は職場で献血を定期的にやっていて、その時も「血液の勢いはとても良いのですがともかく血管が細いですね」と言われたことも一度や二度ではない。
その血管を拡げる薬を飲むことになった。膠原病の肺高血圧症対応の薬。人によって副作用が強いことがあるので最初は二日に1粒、効果の様子を見るために3週間後に診察・・という。いよいよ、膠原病の始まりと思った。
今、肺は膠原病の症状は出ていない。でも心臓は検査にはさほどの急ぐ症状悪化はないが確実に弱っている。と、自分で解る。やっぱり、膠原病ってジワジワとくるものなのかな?八代亜紀さんのように急激な変化は珍しいのかも。
生きている、生かされている・・まだまだ生きよ、ということなのだろう。
昨日の午前中は、親しい友人の息子が午後の用事で休暇を取ったので、と、余った午前の時間に寄ってくれた。短時間しかないけれどさっそく、パソコンの、訳わからないことを見てもらう。何だか、壊れそうなこのパソコン、毎日ヒヤヒヤしながら使っている。買い替えたあとで夫の病気やら自分の病気やらで、ゆっくりと使い方を覚えないうちに年数ばかりが経ってしまった。それに、ここへ入る3年前には肺がんであと2年くらいしか正常な能(脳の)力は保てない、と言われた。心臓が悪くて手術が出来ないのだ。
で、パソコンを必要とするのはあと2年くらい・・と思っていたら・・あらま、3年経っても私の脳は壊れなくて(一応認知症テスト済)パソコンの方が怪しくなってきた。今の医療の進化恐るべし。そういえば、「余命1年」と言われて5年経っても生きている、とかいうような話をよく聞く。薬が進化したのだ。免疫療法は治癒はしないけれど(私のタイプのがんは)進行を遅らせることが出来る。楽な治療ではないけれど。
それにしても・・病気だらけで、よくまあ生きていること。
動きのとれない、ガラス玉の中の魚のような毎日ではあっても、生きているだけで価値があるのかな?
わが窓を過(よ)ぎつて寒雀一団 KUMI
何だか薬で生きているのも体には楽ではありませんが、明後日は句会ですのでそれに何とか参加します。